グルメ追求の週末

今週末はまるで食べ歩きでした。

土曜日は夫婦ではるばるミッション(SFダウンタウンの少し南にあるヒスパニック色が濃いエリア)まで足を伸ばし、Yelp曰く「SFで最高のクレープ」を食べにいった。
クレープといってもデザートクレープではなくて、そば粉を使ったガレットと呼ばれるもので、ハムやチーズを入れて食事のメインになるもの。実はこれ旦那さんの出身であるブルターニュの名物。
ベイエリアはジャパンタウンもあるしなにかと和食は恵まれているのだけど、対してフランス料理はあんまりお目にかかれない。美味しいバゲットもまだ見つけていないし。

そんなわけで結構期待して行ったのですが、感想は、う〜ん、まあまあ。家の近くならまた行くかもしれないけど、ミッションまでわざわざこのためには行かないかも。まずガレットの生地自体がちょっとパサパサしていて(旦那曰く)、しかもチーズが一面にベタって入っていてそのせいか味が濃すぎる。あとデザートのクレープは生地が油っぽくて(バターなのかな?)二人して胃をやられてしまいました。

決して美味しくないわけではなくて、なのになぜこんなに満足できないかっていうのを考えると、多分「求める味」というのがはっきりしすぎていたから。これって良くないよね。特定の味を求めていってもそれがあるのは知ってるお店であって新しいお店ではなかなか巡り会えないわけだし。
でもまあ言い訳をさせてもらえば、東京で通いつめていたクレペリーが美味し過ぎたんですよ。Le Bretagneというお店で、本当に美味しいガレットが食べられます。値段は数倍だけどね。ブルトンの人でも美味しいっていうよ、私が知る限り。おすすめは本店の飯田橋店。小さくて混んでるけど、ケベック人のおじいちゃんが笑顔でサーブしてくれます☆表参道は私が行った時はガレットがいまいちでした。あと今サイトを見たら新しくカフェが新宿にオープンするらしい。帰国時に行ってみようと思います。そのまま拡大してSFまで来ておくれ〜〜〜〜。

と、話がそれましたが、とにかくここが美味し過ぎて、外国で食べるのに本場並みの味なわけで、それに慣れてしまっていた私と旦那さんは、どうしてもそれが基準になってしまっていたみたい。
ってわけでTi Couzにはう〜んとなってしまったのですが、それでも初めてガレット食べるとかって人には、普通に美味しいのかもしれません。でもとにかくちょっと味濃いめなので、一つをシェアしてサラダも頼むとかっていうのがいいかも。

土曜日はそんな感じで夜まで胃もたれで過ごしたわけですが、今朝朝一番でふとほのかに甘いスイーツが食べたくなった私。これはアメリカンスイーツでは絶対に満たされることのない欲求なので、ゼルダを完略後、Redwood CityにあるBeard Papa’sへ。はい、あのBeard Papa’sです、渋谷とかにある。SF市内にもあるみたい。んでここに行く途中に先日ネットサーフィンで発見したお弁当屋さんへより、とんかつ弁当を購入。

どちらもおすすめです。
とんかつ弁当はこちら、Kobeya
そして言わずと知れたBeard Papa’s

とんかつ弁当は、付け合わせはイマイチでしたが、とんかつが肉厚で美味しかった!ついにYoshida以外で、しかも家から結構近いところで、肉厚のとんかつを発見できて嬉しいです。そしてBeard Papa’sは、説明するまでもないでしょう。ちなみにシュークリームの他、フォンダンショコラとチーズケーキも売っています。

そんなわけで行ってみたかったお店に行きまくり、当たりハズレがあっても楽しい週末でした☆

過去を忘れずに未来を見つめる

教育基本法改正に防衛庁の省昇格、歴史教科書の沖縄戦の表記変更、そしてついには国民投票法案可決ですか。まさにやりたい放題ですね。

そんなに戦争がしたいのだろうか。結局儲かるから?政治家本人か周りがかは知らないけど、結局そうやって私利私欲のために国民や別の国の一般人の命を犠牲にするのか。アメリカと一緒。
あるいは安倍さんの場合、本当に日本には戦争が必要だと思っているのかもしれない。ある意味そっちの方が救いがない気もするけど・・・。

安倍さんを突き動かす原動力が何であれ、議論の場をすっ飛ばしていいわけがない。ましてや改憲といういまだに議論が熟していない議題について、一方的な方向に無理矢理引っ張っていくなんて・・・。本当に戦争が必要だと思っているとしても、国民に議論の余地を持たせないなんて、民主主義国家のリーダーのすることじゃない。ってことから考えてもやっぱり戦争は儲かるんだろう。

前にも書いたけど、戦争より儲かる平和がない限り、戦争はなくならないと思う。いっそのこと軍事産業は全部強制的にNPOにして、利益は全て世界平和のための国際機構に寄付とかっていう逆説的な措置はいかがかしら?

政治家が本当に国民のために動いているのなんて、国を問わず私はほとんど目にしたことがない。歴史上まれにはいたのかもしれないけど、結局政治家なんて程度の差はあれ、みんな腹黒いことをしているのだ。だけど、いくらしているからといっても、それを開き直ってはいけないのではないかな。たとえみてくれだけだとしても、たとえ見せかけだけだとしても、一応国民のためですっていうアピールはするべきだと思う。そして何より、どれだけ腹黒いとしても、私利私欲のために国民の命を危険にさらすのはアウトだと私は思う。ので、耐震偽装の時点で安倍さんはアウトだと思う。それに加えて、戦争ですか・・・。

でも、どれだけ何を言ったって、やっぱり自民党を圧勝させてしまったのは国民なわけで、そういう意味では自業自得(他人事という意味ではなくて、自戒を込めて、ね)。私たちが今するべきなのは、国民としてきちんとNOを言うことだし、大多数の力を利用してどんなめちゃくちゃな法案を通したとしても、最終的にはそれをきちんと国民は見ているんだぞと示すしかない。

私が思うにね、もしも自分が改憲賛成だったとしても、戦争は必要悪だと考えているとしても、このやり方はやっぱりおかしいと感じるのではないかな。だってNOって言えないって分かってて勝手に色々やっちゃうわけでしょ。そしてさらに好き勝手できるような法案を通す。

意見の相違があったとしても、本当に日本のことを考えている人だったら、これはおかしいと思うはず。なぜならこれじゃあ独裁だから。っていうのは楽観的すぎるかな?

とにかく海外にいるから余計なのかもしれないけど、ここ最近の日本の政治のニュースを見るとこういうことを感じるわけです。私は戦争放棄は維持するべきだと思っている。だけどそういう意見がどうこうというよりも前に、議論をすっ飛ばす独裁者にはやっぱりNOを言わなければと思うので、今度の選挙は在外投票しなければ。

夫婦別姓

今日は再びダウンタウンへ出向いて領事館へ。
目的はパスポートの修正です。

国際結婚でよく悩みの種になる姓。
選択肢としては
1.夫婦別姓
2.旦那の姓に統一
3.ジョイントネーム(複合姓。例えば「ブルボン−乃木」が姓になる)
あたりがあるようです。

それぞれにメリット・デメリットがあるようですが、まあカップルが納得していればいいんだと思います。
ちなみに日本では、日本人と外国籍の人が入籍した場合、届け出がない限り日本人の姓は変わりません。私と旦那さんはもともと夫婦別姓で構わないと思っていたので、婚姻届を出しただけで(といっても手続きは大変でしたが・苦笑)氏名変更はしませんでした。

この場合のデメリットというか、問題になるのは、夫婦関係の証明が同姓の場合と比べると面倒ということと、おそらく一番大きいのが子供が出来たときに子供の姓をどうするかという問題。夫婦別姓の場合通常はそれぞれの国籍ごとにその国籍の親の姓を受け継ぐみたいです。でも例えば夫婦は別姓でいいけど、子供は両方の姓を入れてあげたいとかって思うと、そこで色々手続きが必要になるみたい。

私たちはまだ子供がいないので、子供の姓をどうするかは出来てから決めるつもりであんまり考えていません。ただ、夫婦関係の証明というのは、色々な場面で必要になってくるし、特にどちらの母国でもない第三国で暮らしていると、その証明がものすごく大きな意味を持ってくる場合もあるので(幸いまだ無いですが)、そういうことを考えてパスポートの修正に行ってきました。

ちなみに私がした修正は「戸籍上は姓(氏)の変更はしていないが、外国人との婚姻により旅券に配偶者の姓(氏)を別名として併記する場合 」に該当するもので、
(変更前)leMMon Noki →(変更後)leMMon Noki (Bourbon)
となります。パスポート自体を作り替えれば、IDの部分がこうやって変わるんですが、そうすると新規に作るのと同じだけお金がかかるので、私はただ修正にして、パスポートの1ページにアメンドを記してもらいました。これだと$8。ま、パスポートの期限がそろそろ切れるようであれば作ってしまってもいいと思うんですが、私はまだしばらく残っているので、今回は修正のみで。

手続きとしては、パスポートと婚姻証明書を持っていき、窓口で修正の申請書と非ヘボン式ローマ字氏名表記等申出書をもらって記入し、提出します。この「非ヘボン式・・・」がないと、当然ヘボン式表記になり”Bourbon”ではなく”Burubon”になってしまうので要注意。
書類を提出してから1時間後にはできていて、その間にまたまたrf-1でランチも出来て、大満足な半日でした。

先にも書いたように、私たちは夫婦別姓で構わないと考えていたので、自分の正式書類に旦那さんの姓が入るのはこれが初めてです。
んで、なんだかむずかゆいのですが、実際にやってみたらこれが結構嬉しかったりして・・・。

まあそれはいいとして、国際結婚だとどっちを選ぶかでこれだけ悩めるのに、日本人同士の結婚だと戸籍上の夫婦別姓は未だに選べないなんて、なんだか逆差別だなぁと思ったりして。まあ戸籍制度で外国人が筆頭主になれないからこそ、別姓でも何でも好きにしてってことなんだろうけど。戸籍制度自体は問題があると思うけど、別姓に関してだけは私はラッキーだったのかもなぁ。

まあでも結論としては、誰でも別姓も選べるようにするべきだと思う。
戸籍上で別姓ありとするとか、事実婚を条件付きである程度婚姻に近いものにするとか(フランスのPACSみたいなものとか)、いくつか方法はあるはず。選ぶ人が多いかどうかではなくて、選べるかどうかが大事だと思うので、ぜひ法整備が進むことを願っています。

つながり

とある掲示板で面白い書き込みを発見。

夫婦関係を続けられる条件

1.お互いに愛し合っていること
2.愛は無くても尊敬できる存在であること
3.完全な主従関係にあること

ツッコミどころは3だけど、まあそれは置いておいて・笑。

実際にはこれら3つがきれいにわかれてるわけではないと思うけど。
私には3つ混ざったものが理想形だなぁ(あ、でも2の「愛は無くても」は一応括弧に入れるかな・笑)。んで、その源をたどっていけば自分の両親の姿なのかもと思う。

夫婦の数だけ違った関係があると思うので、どれが正しいとかってことは言えないし、自分が知り得る関係っていうのもほんのいくつかだけだと思う。それでも、自分の周りにある関係の中で「いいなぁ」って思える関係があるのなら、ラッキーだ。

昨日TTVで「東京タワー」をみたら、おかんが癌の手術をする回で、その中で
「親子関係は簡単だ。産まれた瞬間に約束されている。でも家族は、長い時間をかけて、たくさんの努力をしなければ築けない。」
というような息子の語りがあって、すごく納得した。親子関係が簡単かどうかは議論の余地があるかもしれないけど、後半部分は特に共感。

夫婦関係っていうのと家族の関係っていうのは、イコールではなくてもかなりかぶっているんだと思う。

以前旦那さんと話していてお互いに強く同意したのは、親が子供を「ダメだ」というのはいけないよね〜ってこと。親が無条件に子供を受け入れて、それがその子の自信になるのだということ。もちろん、無条件といっても怒らなくていいとかそういう意味ではないですよ。
違う考え方を持ってる人もいると思うけど、少なくとも私と旦那はそうやって育てられてきて、今そのことに感謝しているし、だからこそ自分たちもそうしたいと思っているわけです。

んで上記の掲示板をみて感じたのは、それって夫婦間でも同じなんだなということ。相手に対してあれがダメだこれがダメだということだけ思っていると、相手も自分に不満を持つのは当然というような書き込みだったんだけど、やっぱり「尊敬」とか「尊重」ってことになるのかな。いや、「思いやり」とか「受け入れる」ってことか。

私たちは入籍してまだ1年の新婚さんなので、この先どうなるかはまだ未知の世界。この先二人の関係がどうなるかも、将来子供が産まれたら何が変わるのかも分からない。だけど、ラッキーなことに私たちの回りには素敵な夫婦や家族がいる。だからその人達の関係をお手本にして、私たちの関係を良く続けていけるように、努力していこうと思う。

布ナプキン

※度々ですが、今回はまた月経の話なので、読みたい人だけ読んでください。

この前の生理のときに、生理用布ナプキンを使ってみました。
のでその感想をまとめようと思います。
一利用者の意見ということで、布ナプキンを使ってみようか考え中の方、何それ?って方にも参考になれば嬉しいです。

まずは良い点から。

良い点

  • 肌触りが良い
    これがなにをおいても布ナプキンの素晴らしいところです。なんといっても布なわけですから、使い捨てナプキン(しばしば布ナプキン=布ナプに対してケミカルナプキン=ケミナプと言われますが、個人的にこの呼び方は好きではないのでここでは使い捨てナプキンと呼ぶことにします)のようなガサガサした感じはないし、経血の冷たい感触も随分マシになります。
  • 蒸れない
    これは前のともつながるのですが、普通の下着と同じように綿100%なので、汗で蒸れません。サンフランシスコは暑い日でも乾燥しているので、日本ほど蒸れに悩むことはないのですが、それでも違いを感じるので、日本の夏だったらすごい違いなんじゃないかと思います。想像ですけど。
  • 生理が楽しみ
    これは人によるかな。でも私は布ナプキンを購入してからは、次の生理が来るのが楽しみだったので、そういう人も中にはいると思います。あと、自分で自分の経血を洗うことで、今までは経血=汚れ物って感じていたのが、弱まっていくように感じます。そういう意味でも生理が楽しみになるというのはあるかな。
  • ゴミが出ない
    これはもう当然ですね。私が買ったGladRagsの布ナプキンは、説明書通りの使い方なら5年保つと書いてあるので、大きな違いですよね。
  • エコな気分
    ゴミが出ないという意味ではエコなのですが、人によっては水でしっかり洗ったりすると、結局水の消費量は増えてしまうので「な気分」を付けました。ただ、ゴミを出していないっていうのは事実なので、それ自体は嬉しいことだし、その分生理そのものをポジティブに考えるようになれるのではないかと思います。

ここら辺がざっと思い当たるところです。また気付いたら足していきます。
良いところばかりでは参考にならないと思うので、私なりに気になったところもまとめます。

気になる点

  • 高い
    これは、長い眼で見れば使い捨てナプキンより安いとは思うのですが、初期投資というのか、最初にそろえるときにかかる値段が結構します。私が買ったGladRagsの布ナプキンは、デイパッドの3枚セットが$25でした(ちなみにElephant Pharmで買ったらここのサイトより安かったみたい)。ってことはデイパッド1枚で1000円近いですもんね。一回の生理で必要な枚数は、経血の量や洗濯の回数によって変わると思いますが、私はデイパッド9枚+ハンドタオル(後述の即席布ナプキン)4枚で、洗濯は2回でした。
  • 洗い物が増える
    これはまあ当然。使い捨てじゃないので洗うわけで、洗い物は増えます。ただ、使った後すぐに水につけておけば一晩でだいたいの血液がとれるので、そのあと洗濯機に入れてしまえばあんまり手間はかかりません。でも生理中に1〜2回は洗濯しないと回らないと思うので、それが負担になってしまうようなら難しいかと思います。
  • もれやすいのでは?という不安
    これは私も思っていたのですが、今のところないです。デイパッドなら、多い日は中のパッドを2枚入れておけば5時間ぐらいでも大丈夫でした。ただ、私は今専業主婦生活なので気兼ねなくトイレに行けるし外出も買い物程度だから良いのですが、一日中仕事っていうときにどうかっていうのは、私にはまだ分かりません。あとその場合は使用後の布ナプキンの処理もあるので、使いやすさは全然変わってくると思います。
  • 洗濯物を見て家族がビックリ
    一人暮らしなら心配ないし、家の旦那さんみたいに生理の話を一緒にしてくれるような人なら良いんですが、血がダメとかっていう人がいたら、やっぱりちょっと難しいのかもしれません。方法としては参考URLにもありますが、蓋付きのバケツとかでつけ置きしておくというもの。あと、私はたまたま家にあるバケツが赤かったのですが、それも色を隠してくれるので結構おすすめです。

結局
こんな感じで良い点と気になる点とあるわけですが、総合的に私は今のところ気に入っています。
参考リンクで読んだような、生理が短くなるとか生理痛が軽くなるというのは、私は今回は感じませんでしが、なにしろ一回しか使っていないので、使い続けてみないと分からないですけどね。でもそういう利点をのぞいても、充分にメリットがあると私は思います。

ただ、布ナプキンが良いとっても、逆にあまりこだわりすぎずに、自分のその時の環境に合わせて使い分けるのが一番かと思います。私自身、これから仕事が始まったり、旅行先や出先などでは、今後も使い捨てナプキンを併用すると思うし、本当に心配な時は布ナプキンの下に使い捨てナプキンをしくという方法もあります。何よりも自分が安心できることが大事なので、不安な時は適宜併用していけばいいんではないでしょうか。

それで、もし試してみようかなぁという方がいたらなんですが、私は今回の生理で初めて布ナプキンのみで過ごしたんですが、その前に2回ほど即席布ナプキンを生理の終わり頃(経血が少なめのとき)に使っていました。それで、布ナプキンを始めてみようっていう方には、是非そうやって即席ナプキンから始めることをオススメします。
理由としては、始めるのに1000円の布ナプキンは高すぎるということ。そして布ナプキンの気持ちよさや使い心地を実感してから、本格的に始めた方が良いと思うからです。
即席布ナプキンはいくつかやり方やあるみたいですが、私は余っていたハンドタオルを3つ折りにしただけのものを使いました。縫ってもいません・笑。時々ずれたりしましたが、それでも使い心地を実感するには充分でした。もし、即席布ナプキンから始めたいという方がいらしたら、以下のサイトなど参考になるかと思います。
布ナプキンを試す方法
即席パッド

また、本格的に始める場合でも、買わずに自分で作る方法ももちろんあります。私はミシンが無いことを言い訳に買ってしまいましたが、お裁縫が嫌いでなければ楽にできると思います。
布ナプを手作りしよう
縫ってみよう!

その他布ナプキンを使い始めるにあたって、私が参考にしたサイトをまとめておきます。
布ナプビギナーのための布ナプ生活ガイド
Feel so good !!
E-Conception.org(特にエッセイ)
布ナプ星

そんなわけで誰かの参考になれば嬉しいです☆

Google My Maps!

昨日はついに高速を制覇し、20マイルくらい離れたところにあるお気に入りのお店に買い物に行った。んで今日もどっかいこうな〜なんてGoogle Mapsを見てみたら、なんと新しいMy Mapsなる機能が!

早速使ってみたら、これってもう私がずっと欲しかった機能でした。
要は自分のお気に入りの場所を地図に書き込んでおけるという感じ。

こちらに来てから自分の情報管理の目的で、wikiを使ってお気に入りのレストランとかの情報を集めていたのですが、そのときに地図を挿入したくって色々なサービスを試したのだけど、結局ちょうどいいものとか使いやすいものがなかったのです。
それでずっとGoogle Mapsの長いURLをリンクで入れるという形にしていたのですが、この新機能のおかげで、こんな風に生まれ変わりました!
ベイエリアのおすすめレストラン
アドレスが相変わらずだっていうのは、まあご愛嬌。

また、ページごとに公開/非公開を選べるので、自宅はもちろん、プライベートでいくところも登録できます。私みたいに運転初心者で、何度も何度も同じ場所への地図を検索してしまう人間には大助かり。

これでよく行く場所と自宅の住所とか登録しておけば、近いうちにカーナビのように使えるようになるのではないかしら。渋滞情報機能も入ったしね。カーナビの次は車もネットワークでつながるようになるって話も聞いたことあるし、これはなかなか楽しみですな。

あとHTMLでPicasaのオンラインアルバムやFlickrの写真もblogに入れるように入れられるので、旅行の写真とかにもいいかも?

これってFlickrの”Map this Photo”ですね。
Flickrの方が容量制限ないし、友達に見せる写真とかには良いかなぁって思っていたのですが、少なくともphoto mappingについてだけ言えば、私はGoogle My Mapsの方が使いやすいです。ま、私の場合Flickrの無料アカウントだからセットが3つしか作れなくてそのせいで写真の整理が出来ないという別の問題があるからかもしれないけどね。
とにかく試しに作ってみた旅行記はこんな感じ。

その他Google My Mapsの機能としては、地図上に線を書いたりシェイプ作ったりできるみたいです。

日本だと駅からの行き方の説明とかで使えるかも?
アメリカだと車なので行き方ってほとんど使わないんだけど。

とまあ色々、使い道があるように思いますこのサービス。
私はこのせいで今日の高速練習はなくなりました・笑。
ということでお時間がある方は是非お試しあれ!

追記:Google Japanの解説ページがあったのでリンクはっておきます。
こちら

海の向こうで暮らすということ

アメリカに来て1年。
今までは、アメリカと日本は思ったより近いと感じていた。
Skypeでいくらでも話せるし、メールのやり取りも出来る。
お互いの近況を話したり、顔を見たりできる。
アメリカに行くと決まった時に感じた「遠く離れてしまう」という思いよりも、
現実は近かった。

でも先日妹が出産して、やっぱり遠いんだと分かった。
今まで近いと感じていたのは、近かったんじゃなくて、お互いにあんまり大きな変化がなかったからだ。日々の生活を聞かなくても、ある程度想像できたし、実際その通りだったんだろう。
ところが出産、そして新しい家族という大きな変化が起こったとき、それは私にとってものすごく遠い世界での出来事だった。写真はたくさん送ってもらったし、Skypeのビデオチャットでも対面したし、妹とも他の家族ともたくさん話してはいる。
でも、やっぱり私にとって、この新しい変化はまだ実感が伴わない。
そりゃ、体験してないんだから当たり前だ。
お恥ずかしいことだけど、初めてそのことに気付いたのだ。
どれだけ連絡を取り合っていても、実際に届かないという距離。

救いなのは、これがとても嬉しいニュースだということ。
たとえ人から「おばさん」と呼ばれる理由が出来てしまったんだとしても、変わらず嬉しいニュースなのだ。だから、実際に触れられない距離はもどかしいけれど、数週間後に迫った一時帰国までなんとか我慢できる。

でももしこれが何か悲しいニュースやショックなニュースだったらと思うと、今までに味わったことのない恐怖が湧いてくる。

「遠く離れてしまう」ということの実感が、これだったんだろう。
この距離を実感して、外国で暮らすということの意味が少し分かったように思う。

私はこの1年、3ヶ月おきに日本に帰っていて、いくらなんでも帰り過ぎかもって自分でも感じていた。
でも、時間があるのなら、いくらでも会いに行ったらいいと今は思う。
留学とか期間限定の海外生活なら、また事情は違うと思うんだけど。

私はビザがおりれば10月からフルタイムで仕事が始まる。
そうしたら今までみたいに3ヶ月おきには帰れなくなってしまう。本当に緊急のときには帰れるだろうけど、逆に考えたら本当に緊急のときにしか帰れない。

だから、時間のあるうちに長めにゆっくり日本に帰ることにした。
家族との再会も甥っ子との初対面も、愛犬との再会も、友人との再会も、どれもこれも待ちきれない。

T女

日曜日は、中学高校の同級生で、奇遇にも同じサンフランシスコで暮らしているカモとデートした。
わざわざうちの方まで来てくれたので、とれたての免許でお迎え&ドライブ☆
遅めの軽いランチを食べながら色んな話をした。

私は中学高校と私立女子校のT女で過ごした。
今でもこの学校が大好きで、自分に娘が出来たら絶対ここに入れたいと思う。
本人が嫌がらないっていうのと、日本で子育てできるっていう条件付きではあるけれど・・・。
んで会話の中でカモが、「みんななんだかんだ言って、あの頃の夢を追いかけてる」って言ってて、本当にそうだなぁって思った。
別に中学の頃から変わらぬ夢を追いかけてる人ばかりではないと思うし、私自身、旦那さんの仕事にくっついてアメリカで暮らしているなんて考えたことも無かったけど、それでもなんというのだろう、みんなパワーがあるのだ。夢を掴もうとか、前に進むぞ〜っていうパワーが。

T女は偏差値が40ともいわれるオバカ学校で、それは受験の合否が筆記試験ではなく口頭試問の結果重視だからとかって聞いた。テストの点や経歴では分からないことが、何分か話しただけで分かるって言うのは誰しも経験済みだろうし、だからこそT女のやり方が好きだ。
そしてその結果、当然のごとく、面白い人達が溢れている。
私はT女で、好きなことを好きなだけやる時間をもらったし、何かに没頭している人達と出会った。そしてそういう経験があったから、今こうしていられるんだといつも思う。
T女の卒業生が持っているパワーっていうのは、本当になにかに向かおうとしたときに注げるパワーが大きいってことだと思う。八方美人と対極にあるもの。

そして今日Mixiで友達の日記を見ていたら、なんとM先生が校長先生に就任したらしい!!!驚いた〜。

このM先生は、私はあんまり近くなかったけど、私がこの学校に入るきっかけを作った人でもある。彼は入試前の保護者説明会で、「当校の教育方針は『無』です」といった人。うちの父がそれを気に入って、私と妹も秋休みがあるのが気に入って(実際には秋休みという名の試験休みなだけだけど・笑)T女を受験したのだった。

そんなわけで近頃受験を意識した教育に傾いているとかって風の噂で聞いていただけに、M先生の校長就任は嬉しいニュースだった。
これからも、自分で決めて自分で動く人達が育って行く学校であって欲しい。そして様々な場面でT女卒業生と出会って、「何色?」って会話をしたい。

もったいない

今日、大手小町の掲示板でおもしろいトピックを読んだ。
たくさん注文しておいて、なぜ残すの?」というトピック。

色々な意見を読みながら、自分の場合を考えてみた。

まず、個人的には食べ物を残すことは好きではない。出来る限り全部食べ切りたいと思う。それはやっぱり誰かが作ったものだし、食べなければゴミになるわけだし、というような気持ちから。
そして自分が作ったものも、やはりなるべくゴミにはならないようにしたいと思う。もし食べきれないなら他の料理にアレンジするなり、冷凍でもして取っておくなりね。

でも、そういう風に考えてなるべくそうしてきたつもりだけど、ここアメリカではさすがにそうはいかない。残すことに罪悪感を感じていたら、ここでは気持ち悪くなると思う。それだけの量が出る。持ち帰りは出来るけど、パスタとかその場でないとっていう料理もあるしね。それで泣く泣く残すことが増えた。食べ切る時もあるけど、残すこともある。

そんなわけで、食べ物を残すことに罪悪感は感じるわけだけど、残すこともやっぱりあるというのが私の現状なわけです。それで、もしレストランで残したときに作った人からならまだしも、隣の席にいた人から注意されたらって考えたら、「なんであなたに言われなきゃいけないの?」って思ってしまうかもしれないと思った。

トピ主さんの考えには共感するんです。でも自分が言われたら「あれ?」って思ってしまうかもしれない。これは結構な矛盾だなと思って、自分の中に渦巻く感情をそれぞれ分析してみた。

まず浮かぶのは「もったいない」という気持ち。それから「作った人に悪いな」という気持ち。そして、そういう罪悪感を感じているにも関わらず、他人(しかも作った人じゃない人)から非難されたら浮かぶであろう「関係ないでしょ」という気持ち。

「もったいない、食べられるのに」
これって誰でも感じるんじゃないかな。食べ物を残してしまった時や、野菜をダメにしてしまった時とか。数年前にマータイさんが「もったいない」という言葉を世界中に紹介したいといって話題になったけど、その言葉の定義としては「そのものが持つ可能性を無駄にする」ということだと私は思っている。それで、食べ物が目の前にあって、それが食べられるというのは本能で分かるわけだから、それを自分のせいでゴミにしてしまうのはまさしく「もったいない」わけだ。もしかしたら誰か他の人の胃袋を満たしたかもしれないものが、自分の手の中にあるばっかりにゴミになってしまったと。んで、これは多くの人が自然に感じることだと思う(思いたい)。思わないとしたら、目の前に食べ物があっても、それを「生きる力を与えるもの」と判断する動物的な本能が欠けているってことだと思う。本能的なものだからこそ、感じるか感じないかしかないんじゃないかな。子供が親から言われるのは場合によっては必要だと思うけど、それを除いて人から言われて感じるものじゃないと私は思う。だから人にも言わない。あ、旦那さんは別ね。つまり家族を除いてっことかな・笑(ご都合主義)。

「作った人に悪いな」
「もったいないな」という気持ちもと同時に浮かぶのが、「作った人に悪いな」という気持ち。レストランじゃなくて誰かの手料理だったらなおさら感じるだろう。料理を見て、作った人の労力を感じるかどうか。お米の一粒にお百姓さんの苦労を感じるかどうか。想像力ともいえるんじゃないかな。でもこれは考え方だから、感じる人もいるし、感じない人もいるだろう。私は想像できる方がいいと思うし、そう思って食べた方が美味しく感じられると思う。だけど、そう思わなければいけないとは言えない。どう考えるかはその人の自由だから。
あと想像力についてだけれど、現代社会っていうのはあらゆる意味で、それを削ぐ環境だと思う。米一粒だってお百姓さんが長い時間かけて育てたんだっていうのは、畑がどこにでもあって、お百姓さんがたくさんいて、土に触れて育った人には、当たり前のことだろう。だけど、現代社会、特に都会では、お米は袋に入って売っているものでしかない。
消費する方だけでなく、生産の観点から見ても、もはや人の手を経ていない食べ物も多いのかもしれないとも思う。つまり機械で種まきして機械で収穫して、機械で料理されて機械で温められたものかもしれないってこと。100%機械って食べ物がどのくらいあるのかは分からないけど。でもその割合は高くなっているのではないかしら。そういう現象が双方から進んでいくと、結果的には食べ物の価値は「生きる力をくれるもの」ということか、何円かという二つしかなくなってしまうのだろうな。

「関係ないじゃん」
さて、そんな二つの罪悪感にかられながらも、もし隣の席にいた人から注意されたとしたら、言うか言わないかは別として「関係ないじゃん」と思ってしまうだろうな、私は。
これは多分「あなたが作ったんじゃないでしょ」というので、罪悪感があるが故の自己弁護。これは情けないけど、してしまうかもしれない。
でもそれとは別に、作った人に言われても「関係ないじゃん」という人もいるだろう。
それは「お金払ってるから」。
これは私は言わない。絶対。作った人に言われたら、「ごめんなさい」というしかない。それは自分が作った人間だったらやっぱり嫌だろうと思うから(と良い人ぶって書いてみたけど、逆の言い方をすれば、ここが私の想像力の限界だってことだ)。
お金が全てであるアメリカに住んでいると、時々本当に嫌気がさす。なんて下品な国なんだろうと思う時がある。でも、なんだかんだいっても日本もこの方向に進んでいるのだろう。
「お金を払ったんだから、わたしのものなんだから、何をしても自由でしょ」というのがその理論で、悲しいけれど法律的にはこれが正しいのだろう。私はこういう開き直りは好きじゃない。でも、そう言っている人を説得できるわけでもない。だから結局は認めていることになるんだろう。自分がどうしたいかだけが基準で、自分の行動で回りの人間がどう思うかということが行動の理由にならないなんて、なんと自分勝手で生きにくい社会だろう。日本でも「人に迷惑がかかるから」とか「人が嫌な気持ちになるから」というのが、行動を抑制する理由にならなくなっているという批判を耳にする。それでも、この国よりよっぽどましだし、どうかそこで止まって欲しい。

結局
話がそれてしまったけど、私の考えはざっとこんな感じ。トピ主さんが批判している二人は、開き直ってるように見えても、悪いという気持ちがあるようだというのが分かるし、そもそも作った人でもない自分がそこで注意するのはおかしいと思うので、私はこのケースでは何もしないと思う。多少もったいないなぁと横目で見て思うかもしれないけど、それだけで特に嫌な気持ちにはならないかな。

でも本当はね、本当に一番いいと思うのは、そこで「あんたたち、もったいないじゃないの〜」と軽く注意できてしまうおばさんがいて、その注意を批判とか攻撃と取らずに「ごめんなさ〜い、思ったより多くってぇ。もらってくれます?」とかって返せる若者達。
人の距離が遠すぎるとどんな言葉でもすぐ攻撃や批判と捉えられてしまうし、受け手も身構えざるを得ない。それが都会の一番の悲しい現象かな。
といっても私はばりばりそういう都会育ちなので、そんなおばさんに注意されたら批判されたと思ってしょげてしまう気がする。情けないなぁ。