仕事

「自分にしかできない仕事をしたい」

というのはよく聞く話ですが、そんなのってすごく少ないと思う。
特殊な才能や職人レベルの技術を身につけているのならともかく、
そうでない場合はむしろ、多くの人ができる仕事をやる事になると思う。

前の会社で休職する事務の人に(その会社では事務は実質一人だったので)
その人がいなくなった後が不安だと話をしたら
「会社っていうのは社員が1人いなくなってもやっていけなくちゃいけないし、
なんだかんだいってreplaceできるものだ。うまくできないとしたら、
それは私の引き継ぎ方がいけなかったってこと。」と言って大量の引き継ぎを準備していた。
その時は現実的だけど寂しいこと言うなぁなんて思っていたけれど、
最近はその言葉の意味がやっと感じられるようになった。

自分にしか出来ない仕事を探すんじゃない。
誰でもできる仕事を、自分はどうやるかを考えるんだと思う。
どう楽しめるか、
どう相手を満足させられるか、
どう効率的にやるか、
どう新しくするか。

誰にでも得意なことと不得意なことがある。
そしてそれは一つの職業とまるまる重なるような大きなことではないはずだ。
あるいは逆の言い方をすれば、もっと根本的な部分だからこそ、
あらゆる仕事に共通しているかもしれない。
だから、自分の長所を生かせる、自分の短所をカバーできる、
そういう働き方を見つけられたらいいとおもう。
そう思っていくつものアルバイトをやってきた。
いよいよ定職に就くかもしれなくて、それでもそういう気持ちを忘れずにいたい。

シナプス

小学校の国語の教科書に脳の記憶の話があって、
それは記憶はお互いにシナプスでつながっているんだというような内容だったと思う。
そして思い出せそうで出せないのはシナプスが弱っているからだと。
そのまま思い出さないと切れてしまうけど、思い出せればそこがより強くつながれると。

小学生用の内容だったので色々簡略化された内容だったんだとは思うけど、近頃本当にそうだなとおもう。

アメリカに住んでいた10歳の頃、ここでのことは絶対忘れないと思っていた。
中学高校のときにも、これだけ充実した生活のことを忘れるわけがないと思っていた。

だけど時間がたつと記憶は薄れるものだ。
当たり前に言えた名前が出てこなくなって、ふと記憶の隙間にはっきりしないものがあることに気付く。
そしてその事自体、思い出さなくなってしまう。
それは今アクティブな記憶とその出来事とのつながりが遠すぎてしまうから。

そしてひょんなことから離れたところの記憶が蘇ると、
その一つの出来事から芋づる式にいろんな記憶の断片が呼び起こされる。
そのまわりにつながっている様々な記憶。
全てが断片的で、それ以上の詳細を思い出すすべもない。
それでもそのときの感情が、時空を飛び越えてこの胸を満たす。
言葉には到底できないような自分の心の状態を、脳は覚えているのだろうか。

忘れることが出来なければ、生きていることは辛すぎるという。
それでも忘れたくない思い出が、誰にでもあるものだ。
そんなとびきりの思い出でも、全てを刻み込むことは出来ない。
大好きだったEugeneの街並を忘れてしまうように。
大好きだった学校のディティールを忘れてしまうように。

そうやってふいに呼び起こされた記憶が新しい思い出の物語を作り出す。
今度は自分の思い通りに、好きなところだけをうまくつなぎ合わせて。
そうやって今日も、思い出を作り出す。

小さな宇宙

そこは完成された世界。

ここに私がいて、あなたがいる。
私の言葉にあなたが笑う。
あなたのその表情が私をなごませてくれる。
そこに用意されているのは、試練のような顔をしたたくさんの冒険。
私たちがお互いをより必要とするように。

すべてのピースがきれいに組み合わさったようなこの世界。
すべてがちょっと刺激的で、それだけ中毒性の世界。

それでも私には置いてきた世界がある。
あなたにも、置いてきた世界がある。
そして私たちは、時間が経てばそこに戻らなければいけない。

そこには私を待つ人がいる。
守るべき人がいてやるべき仕事がある。

なぜこんなにもかけ離れた世界へ来てしまったのだろう。
何一つ変わらなかったような顔をして、
あの場所へ戻らなくてはいけなくなるのに。

無限に続くような錯覚をおこさせるこの世界は
じきこの世から消えてなくなってしまうだろう。
世界のどこへ行っても、宇宙の果てまで行っても、
この世界を見つけることはできなくなってしまうだろう。

それでも、それからも、私とあなたの心には
永遠にこの世界が息づいている。
そしてまるで小さな宇宙のように、きらきらと輝くことだろう。