八月十五日と私

「堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍」ぶのは国民だと思っていたら、
「然れども、朕は時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ、
以て万世の為に太平を開かむと欲す」という文脈なのだと、今さっき知った。

玉音放送を聞いてみんな落胆し泣き崩れたのだろうと勝手に思い込んでいたが、この本を読んでみると、実はほっとしたとか、よく分からなかったとか、当たり前ながら色々な思いがあって、妙に納得した。

一番印象的だったのはなだいなだの話。
チフスの病人を病院まで運ぶのに列車では伝染するからと断られ、父親と一緒に病人をリヤカーに乗せて運んでいる途中、美しい松原の景色を見ながらお昼を食べていた頃に玉音放送が流れたんだろうけれど、自分はその存在自体知らなかったと。
「そのとき歴史が動いた」とか、あとから振り返れば劇的瞬間はある。
だけど、そのときそこで生きていた人にとっては、それもまた日常の中の一ページなのだ。

一番心が痛むのは、敗戦の玉音放送を聞いた後、浅間山に飛び込んでいったパイロットの話。戦争に負けたのに自分はなぜ生きているのだと、自分を責める人の話。思想というのは、生物の一番根幹にある生存本能にまで逆らわせることが出来るのだ。その威力と脅威。

いくつか、外地で終戦を迎えた人の話も載っていた。
中国や朝鮮が日本の植民地になり、軍人だけでなく民間人までもが移住し、日本人であるというだけで特別扱いされて暮らしていたなどという事実を、私は習ったことがない。もちろん自分の勉強不足を棚に上げるつもりはないけれど、私が習った歴史では、満州事変こそ習ったものの、それはすぐに欧米との戦いにつなげられてしまい、アジアにおいて日本が何を目指し何を強いたのかということは触れられなかったように思う。大日本帝国という言葉を知ってはいても、それが具体的にさすところ知らないままであった。

生まれてくる時代がほんの数十年違っていれば、自分もこの日を生きていたかもしれない。もはや東京にその記憶を彷彿とさせるものはほとんどない。身近な戦争経験者もあまり多くを語らない。しかし大切なのは、もしまた同じように日本が不毛な戦争に踏み込もうとしたときに、過去からの学びをもとにNOと言えるようになることだと思う。メディアや政治家の言うことを鵜呑みにしていては、また同じことの繰り返しになるだけなのだ。本書の中の唯一の西欧人ヨゼフ・ロゲンドルフの言葉がなんて説得力を持っていることか。

「日本に弱点があるとすれば、それは多くの人があまりにも安全第一主義を取りすぎることだろう。単に経済の面ばかりではない。わたしがの言いたいのはむしろ、ひとと同じことを考えよう、言っておこう、そうしておけば間違いはないという日本人の本能的願望、つまり付和雷同の性向である。」 —ヨゼフ・ロゲンドルフ

八月十五日と私」への2件のフィードバック

  1. ましゃひこさん

    家の母は『これで安心して眠れる』と喜んだそうです。『見よ、東海の空あけて~』という軍歌(愛国行進曲というらしい)は『見よ、とうちゃんのはげ頭~』と歌っていたと言っていました。
    母は国学院のあたりに住んでいて、せっかく山脇中学に合格して通い始めたのに戦争のため疎開することになり、三重の山の中で暮らすことになったのが、きっと悔しかったのだと思います。いじめとかあったらしいし。

    こういう実体験を話せる世代が生きているうちに、いろいろ聞いておきたいことはあるね。

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  2. お母様、戦争経験のある世代なんですね。私は祖父母が経験世代ですが、あんまり聞いたことがないんです。でも本当に、実体験を話せる世代から聞いておきたいですよね。
    原爆とか東京大空襲とか大きな出来事だけでなくて、普通の人の普通の毎日がどうだったかっていうのを知ることが、戦争を学ぶ上では欠かせないと思うんです。夜電気を付けられる、朝までぐっすり眠れるということは本書の中にも敗戦後の感想として度々出てきましたが、その裏返しとして夜の闇に姿を隠し、空襲警報に怯えながら過ごした夜が見えてくるんだと思います。その無意味さを伝えるためにも、聞いておかなくちゃと思います。

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