日経オンラインを読んでいて、一つの記事が目に止まった。
早大、ワイン・・・もしかして。
読み進めると、やっぱり!!!ぶどう収穫隊参加者だった。多分年度は違うけど。
ぶどう収穫隊は様々な私大でフランス語を教えるワイン好きの先生たち4名が企画運営していた、大学生向けのフランスワインツアーだった。大学2年目のフランス語の担任がたまたまその中の一名で、ほとんど話したこともなかったけど、フランスに行くチャンスとばかりに同じクラスの友達と一緒に参加した。私にとっては初めてのフランス、ヨーロッパだった。
ツアーは確か3週間ほど。フランス各地のワイナリーを巡って、最後はコルシカ島でぶどう収穫を手伝うというものだった。家族とは別に海外に行くのは、多分これが初めてのことだったと思う。パリはもちろん、ボルドー、ブルゴーニュ、色々なところを回った。ワインは飲めない下戸だったけど、口に含んで味わってから出してもいいということで試飲もした。ぶどう収穫はなかなかの重労働だったけど、初めてのことで楽しかった。先生も教室で見るのとは全然違って、昆虫オタクだったりオヤジギャク連発だったり。
自分も含めて海外は初めてとか、実家から出たこともないような学生たちを40人近く連れてフランス中を周るなんて大変だろうに、先生たちも物好きだなぁと思ったのを覚えている。
先生4人の中の中心で隊長と呼ばれていたのが、早稲田大学の加藤先生だった。加藤先生はもちろんフランス語が上手で、でも何よりもとても素敵な声の持ち主だった。低いけど柔らかく、少し鼻にかかった声だった。ワイナリーの人の説明を詳しく日本語に訳してくれたり、私たちの質問を通訳してくれたり。学生たちにも気さくに話しかけてくれて、いつも笑顔だった。移動中のバスの中、音楽が好きという話になったら、コルシカ民族音楽のi muvriniを教えてくれた。それは後日購入し、今でもよく聞く。
収穫隊は何年も続いていて、時々同窓会のようなものもあったらしい。私はその後音楽の方にのめりこんで学校にはほとんどいかなくなり、卒業後もすぐに渡米してしまったため、ほとんど参加できなかった。時々、コルシカワインの購入希望のメールなどのやりとりで、隊長と連絡をとっていた。
「春に亡くなった先生の遺稿小説に文を寄せることになっていて、それが30日までの締め切り。その先生とのつながりを思うと、なかなか文にならなくて。
しかしほんと人って不思議だよ。生きてるんだなぁ、心の中で。」
数年後、隊長にメールで入籍を報告した。隊長からのお祝いメールは次のように締められていた。
「お元気で。そして何もなくても、時にはメール下さい。」
それなのに、なぜだろう。
アメリカでの生活が始まり、仕事が始まり、そのうちに妊娠してフランスに引っ越して子供が生まれ、慌ただしく毎日が過ぎて行く中で、私は一度も隊長に連絡を取らなかった。
そして2013年の年明け、実家に届いたお別れ会のおしらせで訃報を知った。前年の11月に、くも膜下出血で亡くなったとのことだった。
私は隊長が大好きだった。頻繁に会うことはなくとも、その人が今日も元気で別の場所で楽しく生きているのだと思うだけで、自分の一日が楽しくなるような、そんな人だった。
それなのになぜ、連絡を取ろうとも思わなかったんだろう。そのうち、そのうちにと思っているうちに5年以上が過ぎてしまった。「何もなくても」って、わざわざ言ってくれたのに。
訃報に呆然としながら、過去のやりとりを読み返して、上の言葉たちを見つけた。
不思議だよ。生きてるんだなぁ、心の中で。
私は隊長への返事にこう書いた。
「以前は、自分は自分自身で確固として存在するものだと考えていたのですが、他人に映る自分の複合こそが自分であり、自分が散った後も残っていくものなのだと最近考えています。
だからこそ、自分が消えてからも誰かの心の隅っこにいさせてもらえるような生き方をしたいです。」
冒頭のワインの造り手の心の中にも、隊長はしっかりと生きていることだろう。
私にとって、どこまでも目標のような人であり、生き方であったのだと思う。
ワインが好きで、学生を連れて行くようになり、その中の一人がついにはワインの造り手になった。しかも世界中から注目されるような日本産ワインの。
隊長は、きっと今頃、祝杯をあげているのだろうか。