成長率がマイナスだとか、減益だとか、リーマンショック以来の危機だといった文面をよく目にする。
おそらくは今生きている人間の誰一人が経験したことのないようなパンデミックを前にして、これまでの状態での経済と比較して、今の危機を表現することの意味はなんだろうか。
そもそもの前提(グローバルな取引、物流、人の移動ができない、普通の経済活動ができない)が崩れている今、これまでと同じ基準で成長率をはじき出して、それがマイナスだと騒ぐことに意味はあるのか。
内田樹氏は著書『修業論』の中で、「天下無敵」という言葉の独自の解釈を述べている。すなわち、「天下無敵」の「敵」とは「全ての敵を斃す」という意味ではなく、「私の心身のパフォーマンスを低下させる要素」であり、したがって「天下無敵」の意味するところは、敵を「存在してはならないもの」ととらえずに、特段気にしないという心的態度のことである、というものである。
私たちの「最初のボタンのかけ違え」は、無傷の、完璧な状態にある私を、まずもって「標準的な私」と措定し、今ある私がそうではないこと(体調が不良であったり、臓器が不全であったり、気分が暗鬱であったりすること)を「敵による否定的な干渉の結果」として説明したことにある。
因果論的な思考が「敵」を作り出すのである。
『修業論』内田樹著
ウィルスに善悪はない。
「こうあるべき」と考えるから、現状が「危機」になる。今の状態でできることは何か、今の社会が回っていくとはどういうことか。
これまで常識だと思っていたものを捨て、今ある現実から新しいパターンや機会を見出す。それこそが、この前代未聞のパンデミックを「敵」とせず、乗り切る方法なのではないか。
言うは易しであることは百も承知だが、今この時こそ、この天下無敵の視点が本領を発揮するはずだ。前提を疑い、思い込みを捨て、現状に集中して、できることを為す。そうすることでしか、新しい道は拓けないのだから。