サウナ(もどき)

フランスで暮らしていて、恋しくなるものは何かと考えると色々あるけれど、私にとってはお風呂もその一つ。我が家にも浴槽はあるのだけど、フランスではよくあるシャワーと一緒の浴槽なので、シャワーで洗ってから最後にもう一回温まるとかってことができない。またお風呂場も、もちろん洗面所と何の境もなく一部屋なので、湯気モウモウとした浴室にはなかなかならないし、何よりすぐにお風呂が冷めてしまう・・・。ボタン一つで好きな温度のお湯がはれて、しかも温度を保ってくれるなんて、日本のお風呂って何て素晴らしいんでしょう。

で、1年ほど前に給湯器を付け替えて、かなり熱いお湯が安定して出るようになったのはいいのだけど、やはりこの季節になるとお風呂場自体が寒くて、お湯に浸かってる部分は温かくても、じっとり汗をかけない。どうも全身の発汗作用が落ちている気がするので、これはサウナだなと思ったわけです。

サウナもあるプール施設もあるのだけど、こちらのサウナは水着着用。だし、そもそも徒歩圏ではないので、サウナに入った後にトラムとか車で家まで帰るのは、多分私には続けられない。ということで、なんとか家でサウナができないかと調べてみました。日本語で調べると、100円のビニール傘で同じ効果があるというので、手持ちの傘で試したところ確かに汗はいっぱいかける!でもこちらの浴槽だとサイズが今ひとつ合わないのと、深さがないから縁にかけられなくてずっと持ってないといけなくて疲れる。

1ヶ月ほど使い続けたのだけど、これはこれからの冬には絶対必要だと判断して、ついに買ってしまいました、ぽかぽか温浴てんと!サイズもちょうど家の浴槽にぴったり!これでテントの中でゆったり両手自由に過ごせます。これ使って入浴すると、出た後もずーっと汗かくし寒くならない。体の芯まで温まってる!(といってもそれが体にいいのかどうかは不明だけど)

フランスって夏が乾燥してるし、基本的にあんまりドバドバ汗をかくことがない。日本だと大して運動してなくても夏にはどうやっても汗かくし、お風呂に入ればジワジワ汗をかく。これは多分体には結構大事なことなんだと思うのです、不純物を出すという意味で。フランス人の方が体臭がキツい人が多いというのはよく聞きますが、これは多分、汗腺が発達していない人が多いからなのではないかと。我が家の旦那さんも例に漏れず体臭が強い。そして汗をかかないので、暑い日にはすぐ軽い熱中症になって頭痛に苦しむことになります。汗をかけるって本当に大事!

今日行ったChronographeという考古学博物館みたいなところで、Rezeの遺跡からテルマエの跡地も見つかったとあった。それだけ衛生とか健康のために大事だったってことなはずなのに、一体どうしてヨーロッパ文化から公衆浴場が姿を消してしまっだろう・・・。

紙に書く

高校生くらいのころから、ずっとリフィルの8つ穴手帳を使っていた。日付を書き込んで、予定を書き込んで、シールを貼ったり、コンサートチケットを貼ったりしていたっけ。ここ数年はそんなに予定がなくなって手帳が必要なくなったのと、家族のこととかで旦那さんと共有する必要性が高くなって、Googleカレンダーとか携帯のカレンダーがメインになっている。それでも時々、やっぱり紙の手帳がいいなと思って買ってみたりするのだけど、結局使わなくなってお蔵入り・・・ということの繰り返しだった。

そもそもなぜ使いつづけられないかというと、自分の好きな手帳がないから。マンスリーとウィークリーが欲しくて、しかもウィークリーは左側のページに7日分で右ページは空白がいい。それはもちろん上記のリフィルがそうだったからなんだけど、そのリフィルはもう廃盤。ということで、最近また手帳が欲しい熱が再発して色々調べてみて、結局自分で作るのが一番早いのではという結論になった。でも枠から全部書き込むのは、これまた長続きしなさそうだなと思っていたら、ちょうど良さそうなBullet Journalというのを発見。適当に始めて適当に続けられるこの感じ、素晴らしい。

ということで早速、始めました。形から入るのでLEUCHTTURM1917ノートを買って、マンスリーログは月間カレンダー風にして、デイリーログをつらつらと。

Bullet JournalはJournalというだけあって、手帳というよりももっとノートに近い。でもカレンダー機能そのものはGoogleカレンダーとかでもまったく不満はないので、むしろそれ以外のタスクとかメモとかアイディアを一ヶ所にまとめていくのに、このスタイルはすごく使いやすいと思う。

こうやって紙に書くようになると、どんなにスマホが便利でも、思いついてそれを入力するまでのタイムラグというか、手間というかが、紙に書く場合よりもずっと大きいのだなというのがわかる。紙に書くってすごく直感的。だからきっといろんなアイディアが広がりやすいんだろう。

いろんなメモとか覚え書きとか、まとまらなくて処理に困っていたので、これからは全部ここで解決!2018年くらいは頑張って使いつづけますよ。

2016ー2017

フランスは目下、年度末です。子供がいるとどうしても学年度で生活が回っていくので、なんとなく今年度を振り返ってみようかと。3人目ももうじき2歳で、ようやっとほっとける時間が増えてきたので、いよいよ本格的に趣味が分散し始めた感じです。

とりあえず今年度から始めたこと。

・ピラティス

3人目出産後から腰痛がひどくなり、一時期は夜中の2時とか3時に痛くて目が覚める時期があって、病院でレントゲンもとってもらったけど、骨には大して異常はないので筋肉が伸びてしまっているのでしょうということで、ついに始めたピラティス。なんとかドロップアウトせずに1年通いきりました。そしてハマった。日本語ですら名前を知らない筋肉を使うことを少しずつ覚え、自分の体でできると思わなかった動きができることを知り、なにより目に見えてお腹のタルミが減って腰の痛みがなくなった!多分私のそもそもの筋力があまりにも低かったからこそ効果が劇的だったのだとは思うのですが、以前ヨガとかちょっとやったときも、こういう筋肉の実感というのはなかったので新鮮です。普段いかに力を抜いてだらーっと過ごしているのか、ピラティスに行く度に痛感します。肉体労働と呼べるものはどんどん減りつつあって、筋肉も使ってもらえることが少ないんだろうなぁ。

 

・ピアノ

15年振りくらいにピアノを習い始めました。日本では100%クラシックの先生のもと、ツェルニー、ブルグミューラー・・・みたいな感じでいわゆるクラシックピアノ街道をゆったり進んでいたのですが、今回の先生は伴奏歴も長いし、ジャズとかでもジャンルを問わず音楽命!って人で、これまで見たことも聞いたこともないないような曲をくれるのでおもしろいです。話が面白すぎて授業後おしゃべりの時間が長くなりすぎるのが困り者。やっぱりオタク万歳!

 

・先生

まあこれは昨年度から続けてる部分もありますが、日仏ミックスの子の授業だけでなく、フランス人の子供たちに日本語を教える先生も始めました。子供を教えるのは楽しい。自分が目指すのはそこだな、と思う。

 

・歌

コーラスはすでに5年目(!)ですが、こちらも新しく小グループに入りました。自分でブルトン語の曲を書く人がいて、女性4声、一人一パートでやってみない?との誘いに二つ返事で引き受けてしまった。コーラスだけでもコンサートだ練習だって結構時間をとられるのに、さらにこのグループの練習で旦那さんには申し訳ないくらい週末の時間がなくなっていくのですが、でもこれは本当にまたとない経験。自分のパートを一人で歌うって、ある意味一人で自分の曲歌うよりも難しい。つられるし、合わせないといけないし。でもコーラスのように大勢の声が溶け合っているのも好きだけど、4つの声が4つのまま広がっていくというのもなかなか壮観です。歌詞がブルトン語で暗記前提なので、家でブツブツひたすら覚えるのみ。ボケ防止になるかしら。

・チアシード

hosikoさんのブログで見かけて、直後にBiocoopで売っていたので思わず買ってしまったチアシード。ミルクプティングみたいのは私はどうも飽きてしまってあまり続かなかったんだけど、ただ水に一晩浸しただけのチアシードをフランスの甘いムースデザートにかけると、プチプチ食感が加わって美味しいことを発見。コブとラムもハマって、毎食後のデザートにみんなでチアシード争奪戦です。目に見えて何か変わったとは言えませんが、とりあえず風邪はひいてません。食べつづけて冬乗りきれたらまた報告します。

 

フランス語もブルトン語もアラビア語も、カリグラフィもモザイクも庭仕事も、今年度はほとんど何もできなかったけど、それはまた未来のお楽しみにとっておいて、しばし夏休みを満喫しましょうか。自分の体内時計がすっかりフランス式になっているなぁ。

ゴミ

数年前この街に引っ越してくるまでずっとマンションかアパート暮らしだった私は、ゴミ収集日というものを頭にインプットした記憶がない。ゴミが溜まったらマンションかアパートのゴミ捨て場に捨てにいくだけ。パリのアパートに至ってはダストシューター(!)があったので、ほぼそれで済んでいてゴミ捨て場にさえ行かなかった。

便利、は便利ですね。でもそうすると自分が出すゴミを意識しない。出てもすぐ見えなくなるから。地球環境のためにとかっていう偽善的な意味ではなくても、単純にどっちの方がゴミが少ないかっていう観点がそもそも持てなくなる。

一軒家に住み始めて早5年。しかもここはゴミ収集日は週に1日だけ。祝日とかストライキで収集日を逃すと2週間分のゴミが溜まっていく。環境のために、とかではなく自分のために(家が臭くならないように)、自然とゴミを減らそうとか臭わないように工夫するようになるわけですね。

例えば紙オムツがいかに臭くてかさばるゴミかということ。生ごみをコンポストするとゴミって意外と臭わないということ。そして加工食品はゴミが多いということ。

もしずっとアパート暮らしだったら、私はそういうことに一生気がつかなかったかもしれない。アパートに住んでいても子供がいればゴミは増えるしゴミ出しの回数は増えるだろうけど、それは面倒が増えるというだけであって、ここまで直接的にゴミを減らそうという動機になりにくい気がする、私の場合は。

便利さを追求するその先に何が待っているのか。ボタン一つで物が買えて、配達される。ゴミも誰にも会わずに大きなゴミ箱にいれておけばいいだけ。足を運んで、会話をして、汗を流して何かをする必要はぐっと減っていく。誰にも迷惑をかけていないというような錯覚。私たちにはより多くの自由な時間ができる。そしてそれを何に使う?ネットサーフィン?そんな人生嫌だなぁ。

という自問自答に明け暮れる今日この頃です。

手前味噌

すでに3月も半ばですが、ようやく味噌を仕込みました。これで2回目。

2年前、ナント在住日本人友達からさんがで一緒に買いませんかと声をかけていただいて、麹を買ったのが1回目。あの年も延ばし延ばしで3月に仕込んだような気がする。

大豆1kg麹1kg塩490gだったかな。とにかく結構な量ができた。1年ほどほったらかして(天地返しもせず)から食べてみたらその美味しいこと!手作りの味噌はそのまま食べても美味しいってクローンも言ってたけど、その意味がよく分かりました。うちは毎食みそ汁ってわけでもないので消費はゆっくりで、1年くらいかかって今最後の1パック使用中。なのでこれは今度の冬に向けて仕込まないとということで、今年も買いましたよ。前回は大豆探すのに苦労したので、今回はさんがで大豆とセットで頼んでしまった。あとはゲランドの塩だけあればOK。あ、あと2年前の味噌も最後に蓋がわりに使ったけど。

大豆1kgを潰すのはやはり結構な重労働で疲れましたが、庭作業同様、嫌な疲れではありません。下手すると日がな一日PCに向かって過ごしていたりするので、こうやって体を使うこともしないとな。

塩麹もなくなりつつあるし甘酒も最近作ってないから、春到来とともに発酵生活再開としたいところ。

なりわい

ココナラで翻訳サービスをはじめて、2年くらい経つ。日本との時差があるので、日本の深夜帯に翻訳作業をして翌朝までに届ける、というのが主なスタイル。ちょっとした手紙や歌詞から、本格的な論文とか本まで、様々な依頼があっておもしろい。

そして今回、初めてココナラでサービスを購入した。コーラスでも歌った”Tout au fond de la mer”という曲が、子供向けの海の歌CDブックに入っていたのだけど、そのピアノ伴奏があまりにもかっこよくて弾いてみたくなった。自分で聞き取ってみようと試みたのだけど、かなり難解なコード(いや、多分私が慣れてないだけでシンプルなのかも)で全然音が拾えず断念。ふと、こういう時にココナラなら出店者がいるのではと思って探すと・・・いました!

何件かコンタクトをとって、そのうちのお一人に依頼して、早速書き起こして下さって、いやー嬉しい!時々歌詞の翻訳とかで、好きなアーティストの歌詞の意味が分かって嬉しいっていうお返事を頂くのだけど、なるほど、こういう気持ちかぁと思いました。

こういうマッチングサービスによって、「仕事」というのとはまた少し違って、でも生活を豊かにしてくれるというか、自分の日常生活が少し彩りを増すようなサービスを受けられるのは嬉しいことです。自分も誰かの生活に、少しでも明るさをもたらせていたら本当に嬉しい。「なりわい」とでも呼ぶのか。音楽もそうなんだけれど、金額は少なくてもこうやって直接誰かのために何かできるのは、すごく自分の自信につながる。自分が得意とすることで、それを必要としている人の役に立てるなんて、なんて素晴らしいシステムでしょう。もちろんお金が絡むし、サービスだし、嫌な思いをすることもたまーにあるけれど、それでも今の時代ならではの「自己実現法」なのではないかと思う。

温度差

トランプ台風が吹き荒れていますね。

どこまでもマイペースで突き進むトランプさん。あまりにも印象的なルックスで、我が家の子供たちもアメリカの新大統領だと覚えてしまいました。初めて認識する大統領がトランプさんか・・・。

 

トランプさん本人が危険というよりも、より極端な思想を持った人が彼を利用するのではないかと個人的には危惧していましたが、やはりそういう人物が出てきますね。これはフランスにも全く同じように当てはまることで、マリンルペン本人が危険極まりないんではなく、彼女をうまく利用するヒトラーみたいな極端な思想を持った人物が現れることが危険なんだと思います。そういう人物は最初から矢面には立たないし、裏でうまく法改正とか進めてから表に出てくるんだろうなと。

 

入国規制には反対ですが(というか意味があるとは思えませんが)、それはそもそもアメリカのアンチテロ対策(Homeland Securityという名のパフォーマンス)全般に言えることです。各国各紙各人物が批判を繰り広げている中で、びっくりするのはアメリカ内外の温度差。

一例として日経のクイックVoteでは入国規制反対が71%。その他の新聞だなんだを見ていても、そんなに違和感ない数字です。

その一方でアメリカ国内の評価はというと、

ロイター通信の世論調査では、支持が49%、反対が41%と賛成意見の方が多かったものの、2日発表されたギャラップ社による調査では、賛成が42%、反対が55%となった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170205-00010009-abema-int

http://jp.reuters.com/article/usimmigration-survery-idJPKBN15G33Z

この差はどこから来るんだろう。

 

いろいろな要素があるとは思うけれど、一番忘れてはいけないのは、自分がその中にいると批判的になるのは難しいということ。

外にいる私たちが批判するのは簡単だ。でもそれが自分のいる国だったら、周りに支持者と反対がどちらもいる状態だったら、あるいは支持者ばっかりだったら、そこで同じように批判できるだろうか。

 

フランスは今フィヨンのスキャンダルで持ち切りですが、フランス人らしからぬ一斉攻撃に不安を覚えます。今この時点でなぜこのスキャンダルが出てくるのか。誰が得をするのか。どこに向かおうとしているのか。

すでに非常事態宣言が2年以上続いているこの国で、ふと考えるわけです。最悪のシナリオを、そんなことありえないって、考えないで通りすぎてはいけないところまで来ている。イギリスはEUから出るしトランプさんが当選するし、これだけ不安に煽られている時代には、どんなどんでん返しがあるか分からない。「対テロ」の枠組みから出ない限りは、不安を煽る扇動政治は広がる一方なのではないかしら。アメリカ大統領がそれに乗っかってしまったわけですからね。

うーん・・・

 

 

色んな大統領選

トランプ氏、当選してしまいましたね。

資本主義国家においては、ビジネスマン(の富)が政治をも制するという実例が出来てしまいました。あるいはトランプ氏のBluffとも言えるような発言が、ビジネスだけでなく意外と政治にも有効だったということでしょうか。

これで4年間の大統領の座を得たトランプ氏。あとはこのBluffが国際社会や実際の政治運営にどれだけ効くかというのが見どころだと思います。

クリントン氏は、きっと共和党代表がトランプ氏に決まった時点で、これはいけると喜んだのでしょう。もしかしたら影で応援していたかも。まさか、トランプ氏が当選する日が来るとは誰も思っていなかったでしょうから。

次はフランス大統領選です。フランス人はみんな、2002年の大統領選のように決戦でルペン氏が敗れると言いますが、果たしてそうでしょうか。トランプ氏ほど資本主義を具現化した人物ではないし、フランス人はアメリカ人ほど資本主義万歳ではないですが、それでもどんでん返しは十分ありえると個人的には思います。経済停滞、EUの行き詰まり、移民問題。そういう山積みの問題に決定的な解決策を出せる人はいないからです。

また個人的には、当選した場合、トランプ氏よりもルペン氏の方が質が悪いと思います。質が悪いというのはつまり、彼女は本気で権力を握りたいと思っていて、その野望はトランプ氏よりも深く大きいと思うからです。ヒトラー前夜のように、「まさか当選すまい」と思って手を貸す人々が出てきてしまうと、それは一気に現実味を帯びます。政治とはつまるところパワーゲームですが、パワーゲームに熱中するあまり、国のあり方やより大きな視野、もっと根本的には自身のモラルを失ってしまうと、思わぬどんでん返しが起こってしまうものです。

イギリスのEU離脱もそうでしたが、一番怖いのは「ありえない」「どうせ負ける」とナメてかかって投票に行かない人が多いが故、まさかの異端(とその支持者)の方が多数になってしまうということ。EU離脱投票の後も、再投票を呼びかけるデモがありましたが、まさしく「後の祭り」ですよね。衆愚政治に陥らないためにも、一人一人がパートタイム政治を全うしないといけないということですね。

 

ビジネスで成功したトランプ氏の能力が、国内及び国際政治でも通用するのか、個人的には疑問に思いますが、もしそれが結果的に通用するのであれば、もはや資本主義に敵なしということでしょうか。

 

個人的には、これを機にアメリカ西海岸の独立運動が進んでくれるといいなと思います。

 

メディアのあり方

日本を離れて8年が過ぎた。
アメリカでもフランスでも普段あまりテレビを見ないので、時事問題には疎くなった。
それでも大きいニュースや興味のあるものは人づてやネットで入ってくるし、そもそも知らないと困るニュースなんてないのかもしれないとも思う。

ブラウザのデータを整理したのでログイン情報が消えてしまって、mixiにいったらトップページのmixiニュースがででんとあった。
そしてその第1位が『死の直前「パパと呼び続けていた」 厚木の男児遺棄事件』。なんだそれって、心が痛むのは分かっていたけど開かずにいられず、関連ニュースも読んでしまった。次いつ帰ってくるか分からないお父さんを、それでも他に頼る人もなく待ちつづけるしかなかった、息子と同い年の男の子のことを思うと本当に胸が痛んで涙が出てくる。

でも、でもね、それを伝えたくて日記を書いているわけではないのです。
mixiニュースのソースは朝日新聞で、同じような男の子の生活を伺わせる記事がたくさんある。その後読売新聞を見てみるとそういう記事は皆無。白骨化遺体が発見されたというニュースと、もう一つは「厚木男児遺体、発見遅れ多くの課題…神奈川」

以前からワイドショーと報道の違いというのは感じていたのだけど、今回の朝日と読売のずれはまさしくそのままだと思った。男の子がいかにかわいそうか、お父さんがいかにひどいか、それをできる限りドラマチックに伝えるのがワイドショー。でもそれは見ている者を一時的な感傷に浸らせるだけ、あるいはすべて分かったような気にさせるだけで、そこに問題提起や建設的な問いかけは存在しない。それってようは野次馬のおばちゃんたちのひそひそ話と同じで、あることないこと話して勝手に盛り上がって、次の瞬間にはコロっと忘れてしまうってことなんだろう。

報道ってなんなのか。高校生の頃、私の夢はニュースキャスターだった。女子アナではなく。なぜなら報道がしたかったから。それはつまり、社会にむけて問題提起をするということに憧れていたのだと思う。

地球上で、日本で、フランスで、あるいはこの町で、毎日たくさんの人が傷付けられ、辛い思いをし、命を落としているはずだ。中には誰にも気づかれないままのケースもあるだろう。それら一つ一つに思いを馳せるのは個人の自由だ。でもメディアはそうであってはいけないと思う。メディアは同情を呼ぶために、読者や視聴者を感傷に浸らせるためにあるのではなく、そこにどんな問題が存在しているのか、我々がなにを変えていかなければいけないのか、そういう問題提起を行うためにあるはずだ。

今回はたまたま朝日と読売だったけど、日本のメディアは媒体を問わずワイドショー型の報道が多い。それはもちろん議論を苦手とし付和雷同の精神をもつ日本人の性質から生じた現象なんだと思う。でも会社にしろ政治にしろ、大きいものに巻かれれば安定が約束された時代はとっくに終わっているのだから、メディアもマスも変わらなければいけないんだろう。

自分では変わっていないつもりだけど、三度の飯より議論が好きなフランス人たちに私も影響されているのかもしれない。

Give Peace a Chanceって歌うんだ

今年度の初め、私が参加しているコーラスで使用している部屋について他の音楽クラスとバッティングがあり、多少もめた。といってもどちらもいい年した大人だし、市営の施設なので市役所の人も間に入って無事解決。結果的に私たちがその部屋を使えることになった。

解決後初めての練習日、部屋でウォームアップをしていると、移動させられたクラスの先生がやってきてこう言った。
「ここにある楽器はとても高いものなんだ。触らないでくれ。」
私たちはピアノ以外の楽器は使わないので「分かってます。気をつけますよ。」と答えた。
先生は続けた。「分かっていない、今あなたが寄りかかっている楽器は50万するし、あの楽器の上にコートが置いてあるなんてもってのほかだ。」
こっちにも言い分はある。その楽器たちのせいでコート掛けが塞がれて使えないのだ。
正直に言えばムッとしたし、多分多くの人がそうだった。

私はそのやりとりを見ながら、そこに敵意を込めなければ、こっちも譲ってくれてありがとう、移動させてしまってごめんなさいって言えただろうにって思っていた。どこからか負が入り込むとそれは回り回ってなかなか消せないと思うから。

でもその時にコーラス仲間の一人が言った。「そうね、確かにそういう楽器の使い方はよくないわね、ごめんなさい。」
ムッとして動こうとしない人もいたし、無視していた人もいた。
でも彼女は別に苛立つでもなく穏やかなまま仲間たちにコートをどけましょうと呼びかけた。
先生は黙って出て行った。
いきなりの出来事になんだあれと悪口を言う人もいたけど、私はただ感動した。

私は流されていないつもりだった。でも多分私が口を開けば、負の言葉しか出てこなかったと思う。それは直接相手を攻撃するというより、自衛的になるという意味での負だ。つまり、相手からいきなり攻撃されたという口実を得て、私たちは悪くないのにという自己正当化が私の中では着実に起きていたのだということが、そうでない彼女の言動を目の当たりにして身に染みたのだ。

Anatomy of Peaceにはこのまんまのことが書いてあったではないか。

相手の発した「負」を、批判したり受け止めたりするのではなく流すのだと、気に留めないということなのだと分かった。分かったからといってできるようにはならないけど、でも残念ながら発生してしまった負が、簡単に暴発してしまう負が、穏やかに静まっていくのを目の当たりにして、私もこういう大人を目指したいと強く思った。

戦争とか世界規模のことだけでなく、夫婦間とか親子間とか友達同士で起こるような諍いも、多分そのほとんどは負の増殖によるものだと思う。もともとものすごい諍いとか不平等が存在するというよりも、どこかで生まれた小さな負があっというまに暴発してしまうだけ。直接相手を攻撃する人だけでなく、それを批判的に見ている私のような偽善者もまた負を増長している。