2018年まとめ

年は明けてしまいましたが、2018年のまとめ。

・コブ留学

我が家の2018年の一番大きな出来事は、長男コブが9月から日本に留学したこと。留学といっても、日本人でもあるので普通に学校に通うだけだけど。妹家に1年間居候です。コブ自身が、いとこのお兄ちゃんと一緒にいたいといって希望したので、親と離れることについてはさほど心配していなかったのだけど、1年生の時に体験入学した時は、日本の小学校が好きではないと言っていたので、学校がどうなるかと心配していた。が、杞憂でした。週末学校ないのが残念っていうくらい楽しいらしい。まあ、給食だって絶対日本の方が美味しいし。イベントだって、理科の実験とか美術音楽とか、日本の授業は面白いこともいっぱいあるもんね。

残された弟二人は、それぞれの立ち位置を確立するまで試行錯誤していたけど、数ヶ月経ってだいぶ落ち着いてきた様子。それでも次男のラムは、一番上になることにうんざりしているようで、早くコブに帰ってきてほしいらしい。でも友達のお母さんとかからは、こんなに生き生きしているラム君見たことない!と言われるほど、生き生きしてるんだけどね。ずっとお兄ちゃんと同じことを、負けまい負けまいと頑張ってきたからこそ、自分でゼロから選んでいくこの1年の経験も、きっとかけがえのないものになるはず。

日本で10歳を迎えるコブ、一体どんな風になってフランスに戻ってくるのだろう。

 

・Kindle Paperwhite&Kindle Unlimited

気になる本を一時帰国の度に買いまくっていたら、置き場所がなくなってきたので、日本語も読めるPaperwhiteを2018年の誕生日に購入(これまで持っていた初代Kindleは日本語非対応)。フランスAmazonで買ったけど、もちろん日本アカウントで使用。今後は「気になったらKindle版で試し読み→購入→本当に気に入ったら本を購入」ということにした。

その後、知り合いからのおすすめ本の和訳本を探していたら、Unlimitedで無料になっていたので、これはいいかもとKindle Unlimitedにも加入。その後1年弱購読。

Unlimitedは日本の図書館や本屋さんに行けない身としてはとても嬉しいサービス。フラフラと色々立ち読み気分で読める。新しい本も色々対象になっていたりする。

難点は、雑誌が対象に入っているけど、Kindleで読むのがあまり現実的でないこと。タブレット併用してる人なら問題ないかと。あとは、あまりレベルの高くないKindle本(ブログまとめただけとか)が多すぎて、いい本を探すのが難しい。これはAmazonの検索が見にくいせいもある。

で、そんなに大幅には対象範囲も変わらないので、1年弱で面白そうなものは読み尽くした感もあり、昨年末に解約。

今後はついつい購入してしまうのをどう抑えるかが課題。

 

・ビオトープ

これまでも鳥用に、庭に古い鍋を置いて水を溜めてあったのだけど、夏はどうしてもボーフラが湧くし、水底がヘドロのようになってしまう。ということで、これは魚だな、という結論に。ナントの冬でも屋外越冬可能な生物でこちらで購入できるものということで、アカヒレとレッドシュリンプを選択。微生物の住処となるように、水底に10cmくらいPuzzolaneを敷いて、水を溜めたところ・・・数ヶ月経っても水は綺麗なまま!6月頃にアカヒレを投入し、なぜか古いベビーバスと150ℓのプラ池も増え、夏を越える頃にはアカヒレもレッドシュリンプもたくさん繁殖した。

入れた覚えのないカイミジンコ、イシビル、逆巻貝とラムズホーンも、いつの間にか存在していた。そして夏の終わり頃、水底にヤゴを発見し、アカヒレが食われるかと危惧したけど、糸トンボのヤゴと判明。魚は大きすぎて食べないそうなのでそのままにしておいたら、数週間後に脱皮したてを発見。数時間後に飛び立っていきました!

全然餌をやらないのに、こんなに逞しく育つものなんだなぁと感心。私たちの目にはただの水にしか見えないけど、色々な生き物が存在しているのだろう。昨日一昨日と氷が張っていたけど、無事に越冬できますように!

 

・褌ならぬゆるり下着

ヒモトレ革命」を読んで、たすき掛けするようになったのが2018年始め。冬で着込んでいるので、下の方にたすき掛けがあっても全く気にならず、つけていることを忘れるほど。でもあれ、なんか今日は肩が凝るなと思うと巻き忘れているということが数回あったので、忘れていても効果がある様子。

もともと高校生くらいの時からブラのアンダーバストの締め付けがダメで、ゆるいスポーツブラとかしか使ってなくて、フランスに来たらノーブラの人もいっぱいいるし、誰も気にしてないと自分もずっとノーブラ生活だったのだけど、日本人と会うとやっぱり相手は気になるみたいで申し訳なく感じることが数回あったので、ふと、もしかして紐のブラがあるのでは!?と探してみたら、ありました。バリ島に移住した日本人が作っているRunguのゆるりシリーズ。甲野さんの本で褌にもずっと興味があったので、これはもうやってみるしかない!ということで上下とも早速注文。

試しに数着ずつ買ったのが4月。その後これじゃあ足りない!と夏に買い足して、今も毎日活躍中。紐なので、当然ながらどこも苦しくない。だからつけたまま寝られる。トイレは解いてって書いてあるけど、私は結んだまま上げ下げしてしまっていることが多いかな。布ナプなので、生理の時はどうなるかとハラハラしていたけど、布ライナーを一枚かませて布ナプをつけたら、ほとんどずれない。ので問題なし。

ゆるり下着にして何か変わったか?と聞かれると、うーん、あまりはっきりとはしない。でも一度洗濯が追いつかなくて普通のパンツ履いたら、鼠蹊部が苦しくて1時間と履けなかったので(それで買い足した)、体はやっぱり違いを実感しているみたい。

唯一の難点は横が紐だけなので、冬場ちょっと寒いこと。ま、毛糸パンツとかタイツ履けば問題ないけど。

あとは、結果的にではあるけれど、ウェストがきつめのゴムの洋服とかが、もう絶対に着られなくなること。元々締め付けが嫌いだからワードローブには少なかったとはいえ、今まで普通に履いていたブーツカットジーンズも、あまり気持ちよくなくなって履かなくなってしまった。そしてズボンも紐調節ものはないかなぁと徘徊して、またなぜかバリ島に移住した別の日本人の方が作っている洋服に行き当たり、手作り服を購入。

ここ数年は化繊で肌が痒くなってしまうようになったので、肌着はシルクか綿オンリーで、これがフランスだとなかなか見つからなかったのだけど、こうなってくると洋服すらなかなか見つけられない。最後は結局自作に行き着くのかな・・・という予感がちらほら。

 

・3Dプリンター

これは私ではなく旦那。夏前に購入し、1週間くらいかけて組み立てて、以降休みといえばガレージにこもっています。デザインを決めたらそのものが作れるなんて、ドラえもんみたいな世界。子供達はあれ作ってこれ作ってと連日リクエスト。プラ作品(?)が増えすぎて、ちょっとうんざりしなくもないけど、私もビオトープのアカヒレのお家とか、仕切りとか、色々作ってもらいました。まだまだある程度の大きさのものを作るには一晩とかかかるけど、きっと数年後にはどんどんスピードアップして、あとはプラスチックごみからリフィルにする技術とかもきっと出てくるはず。それで最終的に全体のプラ使用量が減るといいな。

 

・音楽

2018年も音楽三昧の1年でした!6年目に突入したブルトン語コーラス、先日の講習会に参加した女性四声ミニグループ、夏から新しいピアノの先生の授業と9月から社会人大学の音楽史講座。2019年も引き続き、音楽まみれの一年になりますように。もっともっと歴史とか美術とか思想とか時代背景とか、そういったものと絡めて音楽を見られるようになるのが今年の目標。あとはもちろん、耳を開くこと、です。

 

・翻訳

ココナラでの翻訳サービスも5年目に突入。相変わらず色んな案件に日々刺激を受けている。世の中には、思いもよらない職業とか、研究とか、歴史とか、色んなものが溢れている。そういうものと繋がれるチャンスというのは、大事にしていきたい。

縁あって2019年からは、日本のとある出版社で翻訳の仕事をできることになった。しかも私は好きだけど儲からないから難しいと聞いていた論文専門!人生、どこで何がどう転ぶか、いつだって未知数で、これこそが醍醐味であり人生そのものだなと思う。

2019年、どんな年になるのかな。

2016ー2017

フランスは目下、年度末です。子供がいるとどうしても学年度で生活が回っていくので、なんとなく今年度を振り返ってみようかと。3人目ももうじき2歳で、ようやっとほっとける時間が増えてきたので、いよいよ本格的に趣味が分散し始めた感じです。

とりあえず今年度から始めたこと。

・ピラティス

3人目出産後から腰痛がひどくなり、一時期は夜中の2時とか3時に痛くて目が覚める時期があって、病院でレントゲンもとってもらったけど、骨には大して異常はないので筋肉が伸びてしまっているのでしょうということで、ついに始めたピラティス。なんとかドロップアウトせずに1年通いきりました。そしてハマった。日本語ですら名前を知らない筋肉を使うことを少しずつ覚え、自分の体でできると思わなかった動きができることを知り、なにより目に見えてお腹のタルミが減って腰の痛みがなくなった!多分私のそもそもの筋力があまりにも低かったからこそ効果が劇的だったのだとは思うのですが、以前ヨガとかちょっとやったときも、こういう筋肉の実感というのはなかったので新鮮です。普段いかに力を抜いてだらーっと過ごしているのか、ピラティスに行く度に痛感します。肉体労働と呼べるものはどんどん減りつつあって、筋肉も使ってもらえることが少ないんだろうなぁ。

 

・ピアノ

15年振りくらいにピアノを習い始めました。日本では100%クラシックの先生のもと、ツェルニー、ブルグミューラー・・・みたいな感じでいわゆるクラシックピアノ街道をゆったり進んでいたのですが、今回の先生は伴奏歴も長いし、ジャズとかでもジャンルを問わず音楽命!って人で、これまで見たことも聞いたこともないないような曲をくれるのでおもしろいです。話が面白すぎて授業後おしゃべりの時間が長くなりすぎるのが困り者。やっぱりオタク万歳!

 

・先生

まあこれは昨年度から続けてる部分もありますが、日仏ミックスの子の授業だけでなく、フランス人の子供たちに日本語を教える先生も始めました。子供を教えるのは楽しい。自分が目指すのはそこだな、と思う。

 

・歌

コーラスはすでに5年目(!)ですが、こちらも新しく小グループに入りました。自分でブルトン語の曲を書く人がいて、女性4声、一人一パートでやってみない?との誘いに二つ返事で引き受けてしまった。コーラスだけでもコンサートだ練習だって結構時間をとられるのに、さらにこのグループの練習で旦那さんには申し訳ないくらい週末の時間がなくなっていくのですが、でもこれは本当にまたとない経験。自分のパートを一人で歌うって、ある意味一人で自分の曲歌うよりも難しい。つられるし、合わせないといけないし。でもコーラスのように大勢の声が溶け合っているのも好きだけど、4つの声が4つのまま広がっていくというのもなかなか壮観です。歌詞がブルトン語で暗記前提なので、家でブツブツひたすら覚えるのみ。ボケ防止になるかしら。

・チアシード

hosikoさんのブログで見かけて、直後にBiocoopで売っていたので思わず買ってしまったチアシード。ミルクプティングみたいのは私はどうも飽きてしまってあまり続かなかったんだけど、ただ水に一晩浸しただけのチアシードをフランスの甘いムースデザートにかけると、プチプチ食感が加わって美味しいことを発見。コブとラムもハマって、毎食後のデザートにみんなでチアシード争奪戦です。目に見えて何か変わったとは言えませんが、とりあえず風邪はひいてません。食べつづけて冬乗りきれたらまた報告します。

 

フランス語もブルトン語もアラビア語も、カリグラフィもモザイクも庭仕事も、今年度はほとんど何もできなかったけど、それはまた未来のお楽しみにとっておいて、しばし夏休みを満喫しましょうか。自分の体内時計がすっかりフランス式になっているなぁ。

メディアのあり方

日本を離れて8年が過ぎた。
アメリカでもフランスでも普段あまりテレビを見ないので、時事問題には疎くなった。
それでも大きいニュースや興味のあるものは人づてやネットで入ってくるし、そもそも知らないと困るニュースなんてないのかもしれないとも思う。

ブラウザのデータを整理したのでログイン情報が消えてしまって、mixiにいったらトップページのmixiニュースがででんとあった。
そしてその第1位が『死の直前「パパと呼び続けていた」 厚木の男児遺棄事件』。なんだそれって、心が痛むのは分かっていたけど開かずにいられず、関連ニュースも読んでしまった。次いつ帰ってくるか分からないお父さんを、それでも他に頼る人もなく待ちつづけるしかなかった、息子と同い年の男の子のことを思うと本当に胸が痛んで涙が出てくる。

でも、でもね、それを伝えたくて日記を書いているわけではないのです。
mixiニュースのソースは朝日新聞で、同じような男の子の生活を伺わせる記事がたくさんある。その後読売新聞を見てみるとそういう記事は皆無。白骨化遺体が発見されたというニュースと、もう一つは「厚木男児遺体、発見遅れ多くの課題…神奈川」

以前からワイドショーと報道の違いというのは感じていたのだけど、今回の朝日と読売のずれはまさしくそのままだと思った。男の子がいかにかわいそうか、お父さんがいかにひどいか、それをできる限りドラマチックに伝えるのがワイドショー。でもそれは見ている者を一時的な感傷に浸らせるだけ、あるいはすべて分かったような気にさせるだけで、そこに問題提起や建設的な問いかけは存在しない。それってようは野次馬のおばちゃんたちのひそひそ話と同じで、あることないこと話して勝手に盛り上がって、次の瞬間にはコロっと忘れてしまうってことなんだろう。

報道ってなんなのか。高校生の頃、私の夢はニュースキャスターだった。女子アナではなく。なぜなら報道がしたかったから。それはつまり、社会にむけて問題提起をするということに憧れていたのだと思う。

地球上で、日本で、フランスで、あるいはこの町で、毎日たくさんの人が傷付けられ、辛い思いをし、命を落としているはずだ。中には誰にも気づかれないままのケースもあるだろう。それら一つ一つに思いを馳せるのは個人の自由だ。でもメディアはそうであってはいけないと思う。メディアは同情を呼ぶために、読者や視聴者を感傷に浸らせるためにあるのではなく、そこにどんな問題が存在しているのか、我々がなにを変えていかなければいけないのか、そういう問題提起を行うためにあるはずだ。

今回はたまたま朝日と読売だったけど、日本のメディアは媒体を問わずワイドショー型の報道が多い。それはもちろん議論を苦手とし付和雷同の精神をもつ日本人の性質から生じた現象なんだと思う。でも会社にしろ政治にしろ、大きいものに巻かれれば安定が約束された時代はとっくに終わっているのだから、メディアもマスも変わらなければいけないんだろう。

自分では変わっていないつもりだけど、三度の飯より議論が好きなフランス人たちに私も影響されているのかもしれない。

幕引き

サザンを好きになって、もう15年くらいになる。サザン自体が私より年上なので、どうあがいてもデビュー当時からのファンにはなれないのだけど、初めて車の中で「女呼んでもんで抱いていい気持ち〜♪」を聞いた日から今日まで、私が好きなミュージシャンはいつでもサザンオールスターズだ。当時はまだ小学生だったし、当時流行っていたサザンの曲も「エロティカセブン」だったので、サザンが好きといっても奇異の目でしか見られなかった。それは中学に入ってからも変わらず、私の同世代にファンが急増する「TSUNAMI」現象までそんな状態だった。もちろんお金なんてなかったので、図書館でこつこつとCDを借りてテープにダビングし、夜眠る時と朝目覚まし代わりに毎日聞いていた。当時は年越しライブもWOWOWではなくTBSで、「しじみのお味噌汁」の途中で放送時間枠が終了してしまって、悲しみに暮れながら年を越した覚えがある。自分がいつからファンクラブに入っているのか、いつからライブに行きだしたのか覚えていないけど、気付いたら毎年のライブを心待ちにするようになった。高校生になった頃からは、一つのツアーに2度3度と参加するようになり、大学生の頃はぴあの店頭に徹夜で並んでばかりだった。気付いたら、サザンライブと桑田ソロライブのために、北は北海道から南は福岡まで行っていた。数年前に渡米してからもそれは変わらず、仕事をしてなかったときはライブの度に、仕事をしていたときも休みとタイミングを合わせてはライブのために帰国した。

どのライブだったか忘れたけど、大森が脱退し毛ガニがお休みし、最後ステージで手をつないだメンバーが4人になった時、ライブの余韻よりもただ寂しさでいっぱいになった。そしてこれもいつの頃からだったか覚えてないけれど、桑田さん、しんどいのかもって思うようになった。「キラーストリート」が出た時、これで解散するんじゃないかという噂があった。それもあり得るんだろうなぁと思った。今のサザンファンはサザンに新しさを求めてくれない。やってくれるねっていう、ソロの「東京」みたいな曲を出さなくても、エロくて夏っぽくて、あるいはバラードであれば売れてしまう。それはそれでお決まりなりに楽しいのだ。新曲の振り付けを覚えてライブで皆で踊る。でも桑田さんにとって、それはある意味手抜きというか、自分の限界に挑戦することとは対局にあることで、だからこそこのままではいけないっていう葛藤があったんんだろうと思う。

私がサザンがこれ以上変わらないのは無理だろうと感じたのは、2007年の桑田ソロツアー「呼び捨てでも構いません!!」を見たときだ。そもそもこのツアーに向けて出された「明日晴れるかな」と「風の詩を聴かせて」を聞いたときに、ん???とは思ったのだ。なんでこんななんとなくバラードな当たりも外れもしないような2曲がシングルなのだと。噂ではアミューズがお金ないからCMとか映画のタイアップばかりやらなくちゃいけないっていうのも聞いたけど、そうだとしてももうちょっと桑田ソロじゃないと出来ない曲とかないのかなぁって、偉そうだけど1ファンとして思ったのだ。そしていざ初日の福岡に合わせて帰国したのだけど、初日ってこともあってか会場のせいなのか分からないけど、終始斎藤誠さんのギターチューニングがずれたままで、感動的なはずの「白い恋人達」の間奏部分でさえも聞いてられない程だった。ピアノとギターの音がずれているのだもの。そして初めて、アンコールを聞かずに帰った。さらに後日横浜アリーナのアンコールで、ソロとしては初めてサザンの「希望の轍」をやったと聞いて、あ〜って、そういうことかぁって、なんだか分かった気がしたのだ。今のサザンのままでは、桑田さんは思う存分ソロ活動をすることも出来ないんだろうって。だからきっと、そろそろサザンは変わらなくちゃいけないんだろうって。

そんなわけで、サザン無期限活動休止のニュースをアメリカで聞いて、ショックはショックだけど、仕方ないよねっていうのが正直なところだった。真夏の大感謝祭の最終日、大雨の中で桑田さんは「この夏が終わってしまうのが寂しい気もしますが、これでやっと終われるのかなっていう気持ちもあります」と言った。ドキュメントの中では、ファンからの「30周年おめでとう!」の掛け声の後には「一分でも一秒でも早くこの場から出たかった」とも。居心地が悪いから、嫌だから活動休止するわけじゃない。なんか別れ際の恋人みたいだと思った。嫌いになって別れる人なんてそんなにいない。ずっと一緒にいたんだし、過ごした時間が長い分、楽しい思い出も人一倍持ってる。だけど、お互いが前に進むためには離れるしかない。

あの日から何度目の夏が来ただろう
出会ったり別れたりくりかえし
美しい思い出も大切だけど
人生はこれからを夢見ることさ

大好きな曲を、もう生で聞けないと思うと寂しい。サザンで〜すという彼らに会えないのが寂しい。新曲だツアーだと騒げないのが寂しい。だけど、サザンにとって必要な、前向きな休業だったのだから、ファンとしては「ありがとう、お疲れさま」と言って見送ることしか出来ないように思う。いつの日か、サザンの曲を楽しく演奏できる日が来たら、是非復活してください。もし来なくても、自分の音楽を楽しんでください。私も音楽とともに人生楽しみます。

T女

日曜日は、中学高校の同級生で、奇遇にも同じサンフランシスコで暮らしているカモとデートした。
わざわざうちの方まで来てくれたので、とれたての免許でお迎え&ドライブ☆
遅めの軽いランチを食べながら色んな話をした。

私は中学高校と私立女子校のT女で過ごした。
今でもこの学校が大好きで、自分に娘が出来たら絶対ここに入れたいと思う。
本人が嫌がらないっていうのと、日本で子育てできるっていう条件付きではあるけれど・・・。
んで会話の中でカモが、「みんななんだかんだ言って、あの頃の夢を追いかけてる」って言ってて、本当にそうだなぁって思った。
別に中学の頃から変わらぬ夢を追いかけてる人ばかりではないと思うし、私自身、旦那さんの仕事にくっついてアメリカで暮らしているなんて考えたことも無かったけど、それでもなんというのだろう、みんなパワーがあるのだ。夢を掴もうとか、前に進むぞ〜っていうパワーが。

T女は偏差値が40ともいわれるオバカ学校で、それは受験の合否が筆記試験ではなく口頭試問の結果重視だからとかって聞いた。テストの点や経歴では分からないことが、何分か話しただけで分かるって言うのは誰しも経験済みだろうし、だからこそT女のやり方が好きだ。
そしてその結果、当然のごとく、面白い人達が溢れている。
私はT女で、好きなことを好きなだけやる時間をもらったし、何かに没頭している人達と出会った。そしてそういう経験があったから、今こうしていられるんだといつも思う。
T女の卒業生が持っているパワーっていうのは、本当になにかに向かおうとしたときに注げるパワーが大きいってことだと思う。八方美人と対極にあるもの。

そして今日Mixiで友達の日記を見ていたら、なんとM先生が校長先生に就任したらしい!!!驚いた〜。

このM先生は、私はあんまり近くなかったけど、私がこの学校に入るきっかけを作った人でもある。彼は入試前の保護者説明会で、「当校の教育方針は『無』です」といった人。うちの父がそれを気に入って、私と妹も秋休みがあるのが気に入って(実際には秋休みという名の試験休みなだけだけど・笑)T女を受験したのだった。

そんなわけで近頃受験を意識した教育に傾いているとかって風の噂で聞いていただけに、M先生の校長就任は嬉しいニュースだった。
これからも、自分で決めて自分で動く人達が育って行く学校であって欲しい。そして様々な場面でT女卒業生と出会って、「何色?」って会話をしたい。