メディアのあり方

日本を離れて8年が過ぎた。
アメリカでもフランスでも普段あまりテレビを見ないので、時事問題には疎くなった。
それでも大きいニュースや興味のあるものは人づてやネットで入ってくるし、そもそも知らないと困るニュースなんてないのかもしれないとも思う。

ブラウザのデータを整理したのでログイン情報が消えてしまって、mixiにいったらトップページのmixiニュースがででんとあった。
そしてその第1位が『死の直前「パパと呼び続けていた」 厚木の男児遺棄事件』。なんだそれって、心が痛むのは分かっていたけど開かずにいられず、関連ニュースも読んでしまった。次いつ帰ってくるか分からないお父さんを、それでも他に頼る人もなく待ちつづけるしかなかった、息子と同い年の男の子のことを思うと本当に胸が痛んで涙が出てくる。

でも、でもね、それを伝えたくて日記を書いているわけではないのです。
mixiニュースのソースは朝日新聞で、同じような男の子の生活を伺わせる記事がたくさんある。その後読売新聞を見てみるとそういう記事は皆無。白骨化遺体が発見されたというニュースと、もう一つは「厚木男児遺体、発見遅れ多くの課題…神奈川」

以前からワイドショーと報道の違いというのは感じていたのだけど、今回の朝日と読売のずれはまさしくそのままだと思った。男の子がいかにかわいそうか、お父さんがいかにひどいか、それをできる限りドラマチックに伝えるのがワイドショー。でもそれは見ている者を一時的な感傷に浸らせるだけ、あるいはすべて分かったような気にさせるだけで、そこに問題提起や建設的な問いかけは存在しない。それってようは野次馬のおばちゃんたちのひそひそ話と同じで、あることないこと話して勝手に盛り上がって、次の瞬間にはコロっと忘れてしまうってことなんだろう。

報道ってなんなのか。高校生の頃、私の夢はニュースキャスターだった。女子アナではなく。なぜなら報道がしたかったから。それはつまり、社会にむけて問題提起をするということに憧れていたのだと思う。

地球上で、日本で、フランスで、あるいはこの町で、毎日たくさんの人が傷付けられ、辛い思いをし、命を落としているはずだ。中には誰にも気づかれないままのケースもあるだろう。それら一つ一つに思いを馳せるのは個人の自由だ。でもメディアはそうであってはいけないと思う。メディアは同情を呼ぶために、読者や視聴者を感傷に浸らせるためにあるのではなく、そこにどんな問題が存在しているのか、我々がなにを変えていかなければいけないのか、そういう問題提起を行うためにあるはずだ。

今回はたまたま朝日と読売だったけど、日本のメディアは媒体を問わずワイドショー型の報道が多い。それはもちろん議論を苦手とし付和雷同の精神をもつ日本人の性質から生じた現象なんだと思う。でも会社にしろ政治にしろ、大きいものに巻かれれば安定が約束された時代はとっくに終わっているのだから、メディアもマスも変わらなければいけないんだろう。

自分では変わっていないつもりだけど、三度の飯より議論が好きなフランス人たちに私も影響されているのかもしれない。

幕引き

サザンを好きになって、もう15年くらいになる。サザン自体が私より年上なので、どうあがいてもデビュー当時からのファンにはなれないのだけど、初めて車の中で「女呼んでもんで抱いていい気持ち〜♪」を聞いた日から今日まで、私が好きなミュージシャンはいつでもサザンオールスターズだ。当時はまだ小学生だったし、当時流行っていたサザンの曲も「エロティカセブン」だったので、サザンが好きといっても奇異の目でしか見られなかった。それは中学に入ってからも変わらず、私の同世代にファンが急増する「TSUNAMI」現象までそんな状態だった。もちろんお金なんてなかったので、図書館でこつこつとCDを借りてテープにダビングし、夜眠る時と朝目覚まし代わりに毎日聞いていた。当時は年越しライブもWOWOWではなくTBSで、「しじみのお味噌汁」の途中で放送時間枠が終了してしまって、悲しみに暮れながら年を越した覚えがある。自分がいつからファンクラブに入っているのか、いつからライブに行きだしたのか覚えていないけど、気付いたら毎年のライブを心待ちにするようになった。高校生になった頃からは、一つのツアーに2度3度と参加するようになり、大学生の頃はぴあの店頭に徹夜で並んでばかりだった。気付いたら、サザンライブと桑田ソロライブのために、北は北海道から南は福岡まで行っていた。数年前に渡米してからもそれは変わらず、仕事をしてなかったときはライブの度に、仕事をしていたときも休みとタイミングを合わせてはライブのために帰国した。

どのライブだったか忘れたけど、大森が脱退し毛ガニがお休みし、最後ステージで手をつないだメンバーが4人になった時、ライブの余韻よりもただ寂しさでいっぱいになった。そしてこれもいつの頃からだったか覚えてないけれど、桑田さん、しんどいのかもって思うようになった。「キラーストリート」が出た時、これで解散するんじゃないかという噂があった。それもあり得るんだろうなぁと思った。今のサザンファンはサザンに新しさを求めてくれない。やってくれるねっていう、ソロの「東京」みたいな曲を出さなくても、エロくて夏っぽくて、あるいはバラードであれば売れてしまう。それはそれでお決まりなりに楽しいのだ。新曲の振り付けを覚えてライブで皆で踊る。でも桑田さんにとって、それはある意味手抜きというか、自分の限界に挑戦することとは対局にあることで、だからこそこのままではいけないっていう葛藤があったんんだろうと思う。

私がサザンがこれ以上変わらないのは無理だろうと感じたのは、2007年の桑田ソロツアー「呼び捨てでも構いません!!」を見たときだ。そもそもこのツアーに向けて出された「明日晴れるかな」と「風の詩を聴かせて」を聞いたときに、ん???とは思ったのだ。なんでこんななんとなくバラードな当たりも外れもしないような2曲がシングルなのだと。噂ではアミューズがお金ないからCMとか映画のタイアップばかりやらなくちゃいけないっていうのも聞いたけど、そうだとしてももうちょっと桑田ソロじゃないと出来ない曲とかないのかなぁって、偉そうだけど1ファンとして思ったのだ。そしていざ初日の福岡に合わせて帰国したのだけど、初日ってこともあってか会場のせいなのか分からないけど、終始斎藤誠さんのギターチューニングがずれたままで、感動的なはずの「白い恋人達」の間奏部分でさえも聞いてられない程だった。ピアノとギターの音がずれているのだもの。そして初めて、アンコールを聞かずに帰った。さらに後日横浜アリーナのアンコールで、ソロとしては初めてサザンの「希望の轍」をやったと聞いて、あ〜って、そういうことかぁって、なんだか分かった気がしたのだ。今のサザンのままでは、桑田さんは思う存分ソロ活動をすることも出来ないんだろうって。だからきっと、そろそろサザンは変わらなくちゃいけないんだろうって。

そんなわけで、サザン無期限活動休止のニュースをアメリカで聞いて、ショックはショックだけど、仕方ないよねっていうのが正直なところだった。真夏の大感謝祭の最終日、大雨の中で桑田さんは「この夏が終わってしまうのが寂しい気もしますが、これでやっと終われるのかなっていう気持ちもあります」と言った。ドキュメントの中では、ファンからの「30周年おめでとう!」の掛け声の後には「一分でも一秒でも早くこの場から出たかった」とも。居心地が悪いから、嫌だから活動休止するわけじゃない。なんか別れ際の恋人みたいだと思った。嫌いになって別れる人なんてそんなにいない。ずっと一緒にいたんだし、過ごした時間が長い分、楽しい思い出も人一倍持ってる。だけど、お互いが前に進むためには離れるしかない。

あの日から何度目の夏が来ただろう
出会ったり別れたりくりかえし
美しい思い出も大切だけど
人生はこれからを夢見ることさ

大好きな曲を、もう生で聞けないと思うと寂しい。サザンで〜すという彼らに会えないのが寂しい。新曲だツアーだと騒げないのが寂しい。だけど、サザンにとって必要な、前向きな休業だったのだから、ファンとしては「ありがとう、お疲れさま」と言って見送ることしか出来ないように思う。いつの日か、サザンの曲を楽しく演奏できる日が来たら、是非復活してください。もし来なくても、自分の音楽を楽しんでください。私も音楽とともに人生楽しみます。

T女

日曜日は、中学高校の同級生で、奇遇にも同じサンフランシスコで暮らしているカモとデートした。
わざわざうちの方まで来てくれたので、とれたての免許でお迎え&ドライブ☆
遅めの軽いランチを食べながら色んな話をした。

私は中学高校と私立女子校のT女で過ごした。
今でもこの学校が大好きで、自分に娘が出来たら絶対ここに入れたいと思う。
本人が嫌がらないっていうのと、日本で子育てできるっていう条件付きではあるけれど・・・。
んで会話の中でカモが、「みんななんだかんだ言って、あの頃の夢を追いかけてる」って言ってて、本当にそうだなぁって思った。
別に中学の頃から変わらぬ夢を追いかけてる人ばかりではないと思うし、私自身、旦那さんの仕事にくっついてアメリカで暮らしているなんて考えたことも無かったけど、それでもなんというのだろう、みんなパワーがあるのだ。夢を掴もうとか、前に進むぞ〜っていうパワーが。

T女は偏差値が40ともいわれるオバカ学校で、それは受験の合否が筆記試験ではなく口頭試問の結果重視だからとかって聞いた。テストの点や経歴では分からないことが、何分か話しただけで分かるって言うのは誰しも経験済みだろうし、だからこそT女のやり方が好きだ。
そしてその結果、当然のごとく、面白い人達が溢れている。
私はT女で、好きなことを好きなだけやる時間をもらったし、何かに没頭している人達と出会った。そしてそういう経験があったから、今こうしていられるんだといつも思う。
T女の卒業生が持っているパワーっていうのは、本当になにかに向かおうとしたときに注げるパワーが大きいってことだと思う。八方美人と対極にあるもの。

そして今日Mixiで友達の日記を見ていたら、なんとM先生が校長先生に就任したらしい!!!驚いた〜。

このM先生は、私はあんまり近くなかったけど、私がこの学校に入るきっかけを作った人でもある。彼は入試前の保護者説明会で、「当校の教育方針は『無』です」といった人。うちの父がそれを気に入って、私と妹も秋休みがあるのが気に入って(実際には秋休みという名の試験休みなだけだけど・笑)T女を受験したのだった。

そんなわけで近頃受験を意識した教育に傾いているとかって風の噂で聞いていただけに、M先生の校長就任は嬉しいニュースだった。
これからも、自分で決めて自分で動く人達が育って行く学校であって欲しい。そして様々な場面でT女卒業生と出会って、「何色?」って会話をしたい。