手前味噌

すでに3月も半ばですが、ようやく味噌を仕込みました。これで2回目。

2年前、ナント在住日本人友達からさんがで一緒に買いませんかと声をかけていただいて、麹を買ったのが1回目。あの年も延ばし延ばしで3月に仕込んだような気がする。

大豆1kg麹1kg塩490gだったかな。とにかく結構な量ができた。1年ほどほったらかして(天地返しもせず)から食べてみたらその美味しいこと!手作りの味噌はそのまま食べても美味しいってクローンも言ってたけど、その意味がよく分かりました。うちは毎食みそ汁ってわけでもないので消費はゆっくりで、1年くらいかかって今最後の1パック使用中。なのでこれは今度の冬に向けて仕込まないとということで、今年も買いましたよ。前回は大豆探すのに苦労したので、今回はさんがで大豆とセットで頼んでしまった。あとはゲランドの塩だけあればOK。あ、あと2年前の味噌も最後に蓋がわりに使ったけど。

大豆1kgを潰すのはやはり結構な重労働で疲れましたが、庭作業同様、嫌な疲れではありません。下手すると日がな一日PCに向かって過ごしていたりするので、こうやって体を使うこともしないとな。

塩麹もなくなりつつあるし甘酒も最近作ってないから、春到来とともに発酵生活再開としたいところ。

なりわい

ココナラで翻訳サービスをはじめて、2年くらい経つ。日本との時差があるので、日本の深夜帯に翻訳作業をして翌朝までに届ける、というのが主なスタイル。ちょっとした手紙や歌詞から、本格的な論文とか本まで、様々な依頼があっておもしろい。

そして今回、初めてココナラでサービスを購入した。コーラスでも歌った”Tout au fond de la mer”という曲が、子供向けの海の歌CDブックに入っていたのだけど、そのピアノ伴奏があまりにもかっこよくて弾いてみたくなった。自分で聞き取ってみようと試みたのだけど、かなり難解なコード(いや、多分私が慣れてないだけでシンプルなのかも)で全然音が拾えず断念。ふと、こういう時にココナラなら出店者がいるのではと思って探すと・・・いました!

何件かコンタクトをとって、そのうちのお一人に依頼して、早速書き起こして下さって、いやー嬉しい!時々歌詞の翻訳とかで、好きなアーティストの歌詞の意味が分かって嬉しいっていうお返事を頂くのだけど、なるほど、こういう気持ちかぁと思いました。

こういうマッチングサービスによって、「仕事」というのとはまた少し違って、でも生活を豊かにしてくれるというか、自分の日常生活が少し彩りを増すようなサービスを受けられるのは嬉しいことです。自分も誰かの生活に、少しでも明るさをもたらせていたら本当に嬉しい。「なりわい」とでも呼ぶのか。音楽もそうなんだけれど、金額は少なくてもこうやって直接誰かのために何かできるのは、すごく自分の自信につながる。自分が得意とすることで、それを必要としている人の役に立てるなんて、なんて素晴らしいシステムでしょう。もちろんお金が絡むし、サービスだし、嫌な思いをすることもたまーにあるけれど、それでも今の時代ならではの「自己実現法」なのではないかと思う。

温度差

トランプ台風が吹き荒れていますね。

どこまでもマイペースで突き進むトランプさん。あまりにも印象的なルックスで、我が家の子供たちもアメリカの新大統領だと覚えてしまいました。初めて認識する大統領がトランプさんか・・・。

 

トランプさん本人が危険というよりも、より極端な思想を持った人が彼を利用するのではないかと個人的には危惧していましたが、やはりそういう人物が出てきますね。これはフランスにも全く同じように当てはまることで、マリンルペン本人が危険極まりないんではなく、彼女をうまく利用するヒトラーみたいな極端な思想を持った人物が現れることが危険なんだと思います。そういう人物は最初から矢面には立たないし、裏でうまく法改正とか進めてから表に出てくるんだろうなと。

 

入国規制には反対ですが(というか意味があるとは思えませんが)、それはそもそもアメリカのアンチテロ対策(Homeland Securityという名のパフォーマンス)全般に言えることです。各国各紙各人物が批判を繰り広げている中で、びっくりするのはアメリカ内外の温度差。

一例として日経のクイックVoteでは入国規制反対が71%。その他の新聞だなんだを見ていても、そんなに違和感ない数字です。

その一方でアメリカ国内の評価はというと、

ロイター通信の世論調査では、支持が49%、反対が41%と賛成意見の方が多かったものの、2日発表されたギャラップ社による調査では、賛成が42%、反対が55%となった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170205-00010009-abema-int

http://jp.reuters.com/article/usimmigration-survery-idJPKBN15G33Z

この差はどこから来るんだろう。

 

いろいろな要素があるとは思うけれど、一番忘れてはいけないのは、自分がその中にいると批判的になるのは難しいということ。

外にいる私たちが批判するのは簡単だ。でもそれが自分のいる国だったら、周りに支持者と反対がどちらもいる状態だったら、あるいは支持者ばっかりだったら、そこで同じように批判できるだろうか。

 

フランスは今フィヨンのスキャンダルで持ち切りですが、フランス人らしからぬ一斉攻撃に不安を覚えます。今この時点でなぜこのスキャンダルが出てくるのか。誰が得をするのか。どこに向かおうとしているのか。

すでに非常事態宣言が2年以上続いているこの国で、ふと考えるわけです。最悪のシナリオを、そんなことありえないって、考えないで通りすぎてはいけないところまで来ている。イギリスはEUから出るしトランプさんが当選するし、これだけ不安に煽られている時代には、どんなどんでん返しがあるか分からない。「対テロ」の枠組みから出ない限りは、不安を煽る扇動政治は広がる一方なのではないかしら。アメリカ大統領がそれに乗っかってしまったわけですからね。

うーん・・・

 

 

色んな大統領選

トランプ氏、当選してしまいましたね。

資本主義国家においては、ビジネスマン(の富)が政治をも制するという実例が出来てしまいました。あるいはトランプ氏のBluffとも言えるような発言が、ビジネスだけでなく意外と政治にも有効だったということでしょうか。

これで4年間の大統領の座を得たトランプ氏。あとはこのBluffが国際社会や実際の政治運営にどれだけ効くかというのが見どころだと思います。

クリントン氏は、きっと共和党代表がトランプ氏に決まった時点で、これはいけると喜んだのでしょう。もしかしたら影で応援していたかも。まさか、トランプ氏が当選する日が来るとは誰も思っていなかったでしょうから。

次はフランス大統領選です。フランス人はみんな、2002年の大統領選のように決戦でルペン氏が敗れると言いますが、果たしてそうでしょうか。トランプ氏ほど資本主義を具現化した人物ではないし、フランス人はアメリカ人ほど資本主義万歳ではないですが、それでもどんでん返しは十分ありえると個人的には思います。経済停滞、EUの行き詰まり、移民問題。そういう山積みの問題に決定的な解決策を出せる人はいないからです。

また個人的には、当選した場合、トランプ氏よりもルペン氏の方が質が悪いと思います。質が悪いというのはつまり、彼女は本気で権力を握りたいと思っていて、その野望はトランプ氏よりも深く大きいと思うからです。ヒトラー前夜のように、「まさか当選すまい」と思って手を貸す人々が出てきてしまうと、それは一気に現実味を帯びます。政治とはつまるところパワーゲームですが、パワーゲームに熱中するあまり、国のあり方やより大きな視野、もっと根本的には自身のモラルを失ってしまうと、思わぬどんでん返しが起こってしまうものです。

イギリスのEU離脱もそうでしたが、一番怖いのは「ありえない」「どうせ負ける」とナメてかかって投票に行かない人が多いが故、まさかの異端(とその支持者)の方が多数になってしまうということ。EU離脱投票の後も、再投票を呼びかけるデモがありましたが、まさしく「後の祭り」ですよね。衆愚政治に陥らないためにも、一人一人がパートタイム政治を全うしないといけないということですね。

 

ビジネスで成功したトランプ氏の能力が、国内及び国際政治でも通用するのか、個人的には疑問に思いますが、もしそれが結果的に通用するのであれば、もはや資本主義に敵なしということでしょうか。

 

個人的には、これを機にアメリカ西海岸の独立運動が進んでくれるといいなと思います。

 

メディアのあり方

日本を離れて8年が過ぎた。
アメリカでもフランスでも普段あまりテレビを見ないので、時事問題には疎くなった。
それでも大きいニュースや興味のあるものは人づてやネットで入ってくるし、そもそも知らないと困るニュースなんてないのかもしれないとも思う。

ブラウザのデータを整理したのでログイン情報が消えてしまって、mixiにいったらトップページのmixiニュースがででんとあった。
そしてその第1位が『死の直前「パパと呼び続けていた」 厚木の男児遺棄事件』。なんだそれって、心が痛むのは分かっていたけど開かずにいられず、関連ニュースも読んでしまった。次いつ帰ってくるか分からないお父さんを、それでも他に頼る人もなく待ちつづけるしかなかった、息子と同い年の男の子のことを思うと本当に胸が痛んで涙が出てくる。

でも、でもね、それを伝えたくて日記を書いているわけではないのです。
mixiニュースのソースは朝日新聞で、同じような男の子の生活を伺わせる記事がたくさんある。その後読売新聞を見てみるとそういう記事は皆無。白骨化遺体が発見されたというニュースと、もう一つは「厚木男児遺体、発見遅れ多くの課題…神奈川」

以前からワイドショーと報道の違いというのは感じていたのだけど、今回の朝日と読売のずれはまさしくそのままだと思った。男の子がいかにかわいそうか、お父さんがいかにひどいか、それをできる限りドラマチックに伝えるのがワイドショー。でもそれは見ている者を一時的な感傷に浸らせるだけ、あるいはすべて分かったような気にさせるだけで、そこに問題提起や建設的な問いかけは存在しない。それってようは野次馬のおばちゃんたちのひそひそ話と同じで、あることないこと話して勝手に盛り上がって、次の瞬間にはコロっと忘れてしまうってことなんだろう。

報道ってなんなのか。高校生の頃、私の夢はニュースキャスターだった。女子アナではなく。なぜなら報道がしたかったから。それはつまり、社会にむけて問題提起をするということに憧れていたのだと思う。

地球上で、日本で、フランスで、あるいはこの町で、毎日たくさんの人が傷付けられ、辛い思いをし、命を落としているはずだ。中には誰にも気づかれないままのケースもあるだろう。それら一つ一つに思いを馳せるのは個人の自由だ。でもメディアはそうであってはいけないと思う。メディアは同情を呼ぶために、読者や視聴者を感傷に浸らせるためにあるのではなく、そこにどんな問題が存在しているのか、我々がなにを変えていかなければいけないのか、そういう問題提起を行うためにあるはずだ。

今回はたまたま朝日と読売だったけど、日本のメディアは媒体を問わずワイドショー型の報道が多い。それはもちろん議論を苦手とし付和雷同の精神をもつ日本人の性質から生じた現象なんだと思う。でも会社にしろ政治にしろ、大きいものに巻かれれば安定が約束された時代はとっくに終わっているのだから、メディアもマスも変わらなければいけないんだろう。

自分では変わっていないつもりだけど、三度の飯より議論が好きなフランス人たちに私も影響されているのかもしれない。

Give Peace a Chanceって歌うんだ

今年度の初め、私が参加しているコーラスで使用している部屋について他の音楽クラスとバッティングがあり、多少もめた。といってもどちらもいい年した大人だし、市営の施設なので市役所の人も間に入って無事解決。結果的に私たちがその部屋を使えることになった。

解決後初めての練習日、部屋でウォームアップをしていると、移動させられたクラスの先生がやってきてこう言った。
「ここにある楽器はとても高いものなんだ。触らないでくれ。」
私たちはピアノ以外の楽器は使わないので「分かってます。気をつけますよ。」と答えた。
先生は続けた。「分かっていない、今あなたが寄りかかっている楽器は50万するし、あの楽器の上にコートが置いてあるなんてもってのほかだ。」
こっちにも言い分はある。その楽器たちのせいでコート掛けが塞がれて使えないのだ。
正直に言えばムッとしたし、多分多くの人がそうだった。

私はそのやりとりを見ながら、そこに敵意を込めなければ、こっちも譲ってくれてありがとう、移動させてしまってごめんなさいって言えただろうにって思っていた。どこからか負が入り込むとそれは回り回ってなかなか消せないと思うから。

でもその時にコーラス仲間の一人が言った。「そうね、確かにそういう楽器の使い方はよくないわね、ごめんなさい。」
ムッとして動こうとしない人もいたし、無視していた人もいた。
でも彼女は別に苛立つでもなく穏やかなまま仲間たちにコートをどけましょうと呼びかけた。
先生は黙って出て行った。
いきなりの出来事になんだあれと悪口を言う人もいたけど、私はただ感動した。

私は流されていないつもりだった。でも多分私が口を開けば、負の言葉しか出てこなかったと思う。それは直接相手を攻撃するというより、自衛的になるという意味での負だ。つまり、相手からいきなり攻撃されたという口実を得て、私たちは悪くないのにという自己正当化が私の中では着実に起きていたのだということが、そうでない彼女の言動を目の当たりにして身に染みたのだ。

Anatomy of Peaceにはこのまんまのことが書いてあったではないか。

相手の発した「負」を、批判したり受け止めたりするのではなく流すのだと、気に留めないということなのだと分かった。分かったからといってできるようにはならないけど、でも残念ながら発生してしまった負が、簡単に暴発してしまう負が、穏やかに静まっていくのを目の当たりにして、私もこういう大人を目指したいと強く思った。

戦争とか世界規模のことだけでなく、夫婦間とか親子間とか友達同士で起こるような諍いも、多分そのほとんどは負の増殖によるものだと思う。もともとものすごい諍いとか不平等が存在するというよりも、どこかで生まれた小さな負があっというまに暴発してしまうだけ。直接相手を攻撃する人だけでなく、それを批判的に見ている私のような偽善者もまた負を増長している。

浮いた器用貧乏

昔からグループが苦手だ。それは自分が天邪鬼だからだとずっと思っていた。結局は周りに反発することでしか自己を確立できない情けない性だと。でもそれ以前に、そもそも私は周りに馴染めていたことがなかったのかもしれないと、先日クローンと話していてふと気が付いた。

多分、私はずーっと浮いていたのだ。
中学高校大学を通じて、いやむしろその後だって。
この歳になってようやく分かりました。いや、ようやく認められました、かな。

外国にいると自分が外国人になるので、それだけで浮いた存在になる。でも私にはそれが逆に心地良い。なぜかと考えてみれば、周りに馴染めない自分に言い訳をくれるからだ。そして外国人であることが絶対的な事実だから、周りに馴染めないことへの罪悪感とか自己嫌悪もない。(別に海外で殻に閉じこもることをすすめるわけでも正当化するわけでもありません)

日本にいたときだって罪悪感とか自己嫌悪に苛まれていたわけではない。ただ周りのノリについていけないことやグループが苦手なことも、ようは自分がカッコつけて斜に構えてやっていたんだと思っていたんだけど、そうではなくて本当にやれなかったんだと今更気づいたのだ。
どんなに現地語が上達しても、どんなにそこの生活習慣になれても、いやむしろ慣れれば慣れるほど、部分的に日本人としてのアイデンティティが強くなるように、どこにても私の中ではそこに染まりきれない、100%はそこにいない自分が居たように思う。よく言えば場所に依存していなかったんだろう。悪く言えば馴染めなかったのだ。

付和雷同の精神が根強い日本では、仲間内であれ学校であれ部活であれ会社であれ、ある種そこに染まることを要求されることが少なくない。そして私はそれができなかった。でもね、一見上手に染まっているように見える人たちだって、別に100%染まっているわけではないのだと思う。内面にはそれぞれの世界があるんだろうし、それがどんなものかなんて他人にはわからない。むしろそういう人は使い分けが上手なのかもしれない。そして私はそれが下手なのだ。

つまり私は、浮いた器用貧乏。なんか寂し気だけどちょっと笑える。
でもこんな私を浮いた存在としてではなく、対等に見てくれる数少ない友人や家族がいてくれるんだから、幸せ者だと思う。

浮いた器用貧乏から浮いてるあなたへ

もしも今、あなたが周りに馴染めずに辛い思いをしているとしても、どうか仲間外れになることを恐れないでください。一人でいることを怖がらないでください。一人でちゃんと立っていれば、いつか必ずやっぱり一人でちゃんと立っている人々と出会えるしつながれますから。