ハーモニクス講習会

12月1日と2日の週末、女性4声+チェロのボーカルグループで「ハーモニクス講習会」に参加してきた。フランス語だと”Stage d’Harmoniques”という。

事前に歌仲間から色々と噂は聞いていて、歌声がどんどん変わっていく様は魔法みたいだとか、あまりの衝撃に泣き出してしまう人がいるとか、もはや宗教か?ってほどの感想もあったので、半分疑いながら参加してきた。

 

結論から言うと、確かに世界が変わってしまう経験だった。講習会の内容は、簡単に言えば「声」のハーモニクスを聞けるようにする、ということ。

人の声でも楽器でも、例えば「ミ」の音を出しても、実際には「ミ」だけでなく、そのほか様々な倍音や雑音がなっている。でも現代の音楽教育では、その多様な響きの中の「ミ」という音だけを聞いて「ミ」と判断する訓練をするので、そういう部分を聞く力というのは、だいたい6,7才あたりから衰えていってしまうらしい。

この講習会は、そうやって子供時代には誰もが聞こえていたのに、大きくなるにつれて脳のオートメーションで弾かれてしまうようになった音を聞いてみようというものだ。

何いってるのかわからないと言う方は、ぜひ下のビデオを見てみてください。

(ずっとニヤニヤしていて、すごいすごい言っていて、宗教のように感じるかもしれませんが、私自身、皆で歌っていてハーモニクスが聞こえると微笑まずにいられないので、この方の気持ちはすごくよくわかります。)

Dainouri Choqueという、フランスではその道で結構有名らしい方が講師だったのだけど、まさしくこのビデオの人のように、ハーモニクスでメロディを奏でていた。最初からハーモニクスのメロディが聞こえる人もいれば、最初は全然聞こえないのに、半日後、1日後、最後の最後になって聞こえるようになる人もいる。

 

まず初日、1日そうやってハーモニクスに耳を凝らして帰宅すると、子供達の騒ぎ声にエコーが聞こえるではないか!これまでもずっと毎日聞いていた、家での子供達の騒ぎ声が全く違って聞こえるのだ。他の人たちは「鳥の声」とか「風の音」とかが全く違って聞こえると言っていて、私はあまり情緒ない子供の叫び声だけど、それでもやっぱり聞こえ方が違う。

そして二日目。前日に引き続き、皆でバラバラな音を出してそれらを融合させて、その上部ハーモニクスに耳を傾けるという練習をしていたのだが、昨日までは自分の耳元で聞こえていた自分の声が、全然聞こえなくなっていた。そして融合した皆の声が、自分の体に入ってきたのだ。どれもこれもあまりに感覚的なものなので、言葉で表現するのは難しいけれど、あえて言えば、自分は自分の声を出しているのではなく、「融合した声」を響かせるパーツになったという感じ。そしてその時には、音の響きが耳元ではなく胸で感じられるようになった。

Dainouriさんが繰り返し言うのは、耳が開かれるようになると「自分の声が外で鳴るようになる」ということ。自分の声が自分の中から聞こえるのはなくて、まるで録音して流しているかのように、外で鳴っているように聞こえると。自分の声が聞こえなくなるのは、そこにたどり着くまでの過程だそうだ。さらに耳が開かれると、その融合した声の中にある自分の声が聞こえるようになるらしい。

 

ハーモニクスが聞こえるから何なんだ、という話もあるだろう。別に「ミ」だけ聞こえてればいいじゃないかと。

確かにそう言う考え方もあるだろう。実際、あまりにもハーモニクスが聞こえると、耳障りなこともあるし、どの音程を取るべきが判断に迷う時もある。自分の声が耳元で聞こえないと、自分の音程がよくわからなくなったりもする。

それでも、先ほどのビデオの人が力説しているように、ハーモニクスを聞けるようにするのは、すごく有意義なことだと私は思う。

私にとっての一番の理由は、自分と他人との境目がなくなるという、現在ではとても貴重な体験ができるからだ。複数の人の声が融合すると、自分の声というよりも、融合した声が自分の体に響くようになる。つまり、人の声も体の中から響く。これは、私にとっては素晴らしい体験だったけれど、ガードが固い人とかにとっては、非常に暴力的な経験になることもあるらしい。それで気が狂ったように泣き出してしまう人もいるらしい。そしてそれはすごくよくわかる。

それでも今日、あまりにも「私」という概念に凝り固まっている私たちには、こういう経験は非常に意義があると思う。

ここ数年、「体の使い方」に興味を持っていて、古武術の甲野さんの本を読んだり、そのつながりでヒモトレをやってみたりしている。その流れで読んだ内田樹著「修行論」に出てくる「我執を脱する」というのが、今回の経験を一番正確に表している言葉だと思う。合気道での組手は、相手と自分がぶつかるのではなく、二つが二頭龍のように一つになって動きが生まれるのだというところ。

3年目に入ったピラティスでも、先生がいつも言うのは「考えずに感じなさい」「脳が思い込んでいるオートメーションから自由になりなさい」ということだ。

つまり、私たちが「〇〇だ」と定義することで、弾かれてしまう様々な部分を、ありのまま感じると言うことなのだと思う。

私たちが思っているよりも、自分という存在は曖昧で、周りと混ざっていて、周りの影響を受けていて、そして自分が思っている以上に、自分は周辺部に存在しているのだろう。

 

この講習を経て、私にとって一番有益だったのは、自分のピアノに対するアプローチが変わったことだ。Dainouriさんが言っていたのは、声であれ楽器であれ、「音の発生→自分に戻ってくるエコー→発生源への作用→エコー・・・」というサイクルが確立されれば、安定するということだった。

私はピアノのタッチというものに気を配った記憶がなくて、正しく弾く(音程を)ということしか考えてこなかった。今の先生に習うようになって、音は正しくても、タッチがとか音色がとかという風に自分で気づけるようにはなったのだが、一体どうすればそこを改善できるのか、皆目見当がつかなかった。タッチを変えようと思って色々手の加減やら動きやらを変えてみればみるほど、袋小路に入り込んでしまう。

そして、今回の講習を経て気が付いたのは、私があまりにも音の発生源である手や指に集中しすぎていたと言うことだ。集中しすぎるあまり、私はピアノから出た音の響きに耳を傾けられていなかったのだ。集中することによって手が緊張してしまっていたこともあるだろう。

日曜日の講習のあと、試しにピアノを弾いてみた。それはまるで違う楽器だった。こんなにも表情があるのか。こんなに強く弾かなくても、こんなにも響くのか。これもまた、言葉では言い表せないものだけれど。

同じ楽器でも、弾く人によってまるで楽器自体が歌っているようだったり、耳を塞ぎたくなるような音が出たりする。それを私たちはテクニックによるものだと思いがちだけれど、実はそれは演奏者の耳が、どれだけ音に開かれているかによるところが大きいのかもしれない。

想い

日経オンラインを読んでいて、一つの記事が目に止まった。

破格の国産ワイン 造リ手は早大中退のシングルマザー

早大、ワイン・・・もしかして。

読み進めると、やっぱり!!!ぶどう収穫隊参加者だった。多分年度は違うけど。

 

ぶどう収穫隊は様々な私大でフランス語を教えるワイン好きの先生たち4名が企画運営していた、大学生向けのフランスワインツアーだった。大学2年目のフランス語の担任がたまたまその中の一名で、ほとんど話したこともなかったけど、フランスに行くチャンスとばかりに同じクラスの友達と一緒に参加した。私にとっては初めてのフランス、ヨーロッパだった。

ツアーは確か3週間ほど。フランス各地のワイナリーを巡って、最後はコルシカ島でぶどう収穫を手伝うというものだった。家族とは別に海外に行くのは、多分これが初めてのことだったと思う。パリはもちろん、ボルドー、ブルゴーニュ、色々なところを回った。ワインは飲めない下戸だったけど、口に含んで味わってから出してもいいということで試飲もした。ぶどう収穫はなかなかの重労働だったけど、初めてのことで楽しかった。先生も教室で見るのとは全然違って、昆虫オタクだったりオヤジギャク連発だったり。

自分も含めて海外は初めてとか、実家から出たこともないような学生たちを40人近く連れてフランス中を周るなんて大変だろうに、先生たちも物好きだなぁと思ったのを覚えている。

先生4人の中の中心で隊長と呼ばれていたのが、早稲田大学の加藤先生だった。加藤先生はもちろんフランス語が上手で、でも何よりもとても素敵な声の持ち主だった。低いけど柔らかく、少し鼻にかかった声だった。ワイナリーの人の説明を詳しく日本語に訳してくれたり、私たちの質問を通訳してくれたり。学生たちにも気さくに話しかけてくれて、いつも笑顔だった。移動中のバスの中、音楽が好きという話になったら、コルシカ民族音楽のi muvriniを教えてくれた。それは後日購入し、今でもよく聞く。

収穫隊は何年も続いていて、時々同窓会のようなものもあったらしい。私はその後音楽の方にのめりこんで学校にはほとんどいかなくなり、卒業後もすぐに渡米してしまったため、ほとんど参加できなかった。時々、コルシカワインの購入希望のメールなどのやりとりで、隊長と連絡をとっていた。

 

「春に亡くなった先生の遺稿小説に文を寄せることになっていて、それが30日までの締め切り。その先生とのつながりを思うと、なかなか文にならなくて。

しかしほんと人って不思議だよ。生きてるんだなぁ、心の中で。」

 

数年後、隊長にメールで入籍を報告した。隊長からのお祝いメールは次のように締められていた。

 

「お元気で。そして何もなくても、時にはメール下さい。」

 

それなのに、なぜだろう。

アメリカでの生活が始まり、仕事が始まり、そのうちに妊娠してフランスに引っ越して子供が生まれ、慌ただしく毎日が過ぎて行く中で、私は一度も隊長に連絡を取らなかった。

そして2013年の年明け、実家に届いたお別れ会のおしらせで訃報を知った。前年の11月に、くも膜下出血で亡くなったとのことだった。

 

私は隊長が大好きだった。頻繁に会うことはなくとも、その人が今日も元気で別の場所で楽しく生きているのだと思うだけで、自分の一日が楽しくなるような、そんな人だった。

それなのになぜ、連絡を取ろうとも思わなかったんだろう。そのうち、そのうちにと思っているうちに5年以上が過ぎてしまった。「何もなくても」って、わざわざ言ってくれたのに。

訃報に呆然としながら、過去のやりとりを読み返して、上の言葉たちを見つけた。

 

不思議だよ。生きてるんだなぁ、心の中で。

 

私は隊長への返事にこう書いた。

以前は、自分は自分自身で確固として存在するものだと考えていたのですが、他人に映る自分の複合こそが自分であり、自分が散った後も残っていくものなのだと最近考えています。
だからこそ、自分が消えてからも誰かの心の隅っこにいさせてもらえるような生き方をしたいです。

冒頭のワインの造り手の心の中にも、隊長はしっかりと生きていることだろう。

私にとって、どこまでも目標のような人であり、生き方であったのだと思う。

ワインが好きで、学生を連れて行くようになり、その中の一人がついにはワインの造り手になった。しかも世界中から注目されるような日本産ワインの。

隊長は、きっと今頃、祝杯をあげているのだろうか。

メディアのあり方

日本を離れて8年が過ぎた。
アメリカでもフランスでも普段あまりテレビを見ないので、時事問題には疎くなった。
それでも大きいニュースや興味のあるものは人づてやネットで入ってくるし、そもそも知らないと困るニュースなんてないのかもしれないとも思う。

ブラウザのデータを整理したのでログイン情報が消えてしまって、mixiにいったらトップページのmixiニュースがででんとあった。
そしてその第1位が『死の直前「パパと呼び続けていた」 厚木の男児遺棄事件』。なんだそれって、心が痛むのは分かっていたけど開かずにいられず、関連ニュースも読んでしまった。次いつ帰ってくるか分からないお父さんを、それでも他に頼る人もなく待ちつづけるしかなかった、息子と同い年の男の子のことを思うと本当に胸が痛んで涙が出てくる。

でも、でもね、それを伝えたくて日記を書いているわけではないのです。
mixiニュースのソースは朝日新聞で、同じような男の子の生活を伺わせる記事がたくさんある。その後読売新聞を見てみるとそういう記事は皆無。白骨化遺体が発見されたというニュースと、もう一つは「厚木男児遺体、発見遅れ多くの課題…神奈川」

以前からワイドショーと報道の違いというのは感じていたのだけど、今回の朝日と読売のずれはまさしくそのままだと思った。男の子がいかにかわいそうか、お父さんがいかにひどいか、それをできる限りドラマチックに伝えるのがワイドショー。でもそれは見ている者を一時的な感傷に浸らせるだけ、あるいはすべて分かったような気にさせるだけで、そこに問題提起や建設的な問いかけは存在しない。それってようは野次馬のおばちゃんたちのひそひそ話と同じで、あることないこと話して勝手に盛り上がって、次の瞬間にはコロっと忘れてしまうってことなんだろう。

報道ってなんなのか。高校生の頃、私の夢はニュースキャスターだった。女子アナではなく。なぜなら報道がしたかったから。それはつまり、社会にむけて問題提起をするということに憧れていたのだと思う。

地球上で、日本で、フランスで、あるいはこの町で、毎日たくさんの人が傷付けられ、辛い思いをし、命を落としているはずだ。中には誰にも気づかれないままのケースもあるだろう。それら一つ一つに思いを馳せるのは個人の自由だ。でもメディアはそうであってはいけないと思う。メディアは同情を呼ぶために、読者や視聴者を感傷に浸らせるためにあるのではなく、そこにどんな問題が存在しているのか、我々がなにを変えていかなければいけないのか、そういう問題提起を行うためにあるはずだ。

今回はたまたま朝日と読売だったけど、日本のメディアは媒体を問わずワイドショー型の報道が多い。それはもちろん議論を苦手とし付和雷同の精神をもつ日本人の性質から生じた現象なんだと思う。でも会社にしろ政治にしろ、大きいものに巻かれれば安定が約束された時代はとっくに終わっているのだから、メディアもマスも変わらなければいけないんだろう。

自分では変わっていないつもりだけど、三度の飯より議論が好きなフランス人たちに私も影響されているのかもしれない。

アレルギー

小学生くらいの時だっただろうか。
友達の家の木に登ってみんなでさくらんぼを食べていた。おいしくってたくさん食べたら突然気持ち悪くなって、それ以降さくらんぼが食べられなくなった。あのほのかな甘味が口の中で温められて、それが吐き気をもよおすようになってしまった。きっかけは覚えていないけどりんごも同じ。ある時から口に残った甘味が気持ち悪くなって、しかも食べると唇が腫れるようになった。
家族は考えすぎだといいりんごは体にいいから食べなさいといわれ続けたし、自分でも甘味が苦手になっただけなのかなと思ったけど、他にもいちごとか桃とか甘味のあるフルーツは苦手になってしまった。あんなに好きだったのに。

そして今回の一時帰国中、おいしそうなビワを一つ食べたら喉と鼻の奥が腫れて声がガラガラ、咳が止まらなくなってしまった。呼吸困難になるかと思った。義理の兄がキウイアレルギーで食べたら死ぬっていつもいっていて大袈裟なって思っていたけど、今回の症状を経験するとありえるかもと思い直した。本当に息が苦しくなるんです。こういう症状は妊娠中にキウイとナッツで経験して以来。あまりの症状の強さにビックリして調べたら、なんとあるんですね、そういうアレルギーが。

口腔アレルギー症候群というらしい。バラ科の果物はなりやすいそうで、例えばリンゴ、モモ、サクランボ、洋ナシ、ナシ、スモモ、アンズ、イチゴ、ウメ、ビワ!!!なんと今までの人生のあちこちで違和感を覚えた食べ物たちは、実はみんなバラ科の植物だったのですね。一本の線でつながるとはまさにこのこと。

花粉症もあるけど何花粉に反応するのかは調べてないので分からない。でもフランスでもあるので杉だけじゃないのかも。
結局治ることはなさそうだけど、今のところウリ科の果物にはアレルギー反応が出ないだけましだと思うべきなんだろうか。きゅうりやメロンまで食べられなくなったら残念すぎる。
ちなみに色んなサイトにある通り、生のりんごはダメですがコンポートやジュース、ジャムは問題ないです。いちごもケーキとかに乗っているのは大丈夫。量の問題?あるいは新鮮さの問題?とにかくあまり大量に食べるとさらに反応しやすくなるみたいなので、少なく味わって生きていくしかなさそうです。

逃げた

最近我が家では脱走が後を断たない。

犯人は主に新入りのハイディさん。

Heidi

今の家は裏庭から家の横を通って表庭までいけるようになっていて、かつ家のガレージ部分には門が付いていないので、庭に出ているときに油断すると勝手に道路や人の家の庭に行っていたりする。今朝は来客中玄関ステップに出ていて、玄関そのものが2階だし下が見える階段は怖がって降りられないから大丈夫だと思っていたら、来客が終わってから探してもハイディがいなくて、道路に行って呼んだら3軒くらい隣の庭から戻ってきた。

じき引っ越す家は家が両隣の家とくっついているので裏庭からは出られないし、表庭もゲートが付いているので道路にも出られない。からまあもうしばらくの辛抱。と思っていたら、昨日はなんとコブが大脱走した。私と旦那で壁紙はがしたりヒビの修繕してる間、義母にも来てもらって庭で子供を見てもらっていたのだけど、上下好きに遊び回っていたコブがふと気づいたら見当たらなくて、家中探してもいない。慌てて外に出ても静かな住宅街で特に人もおらず。でも家の中にいない以上外にいるはずだと探しに出ると、通りの向こうから知らないおじさんに連れられてくる見慣れた子供が・・・。本人は義母がいなくなったっと思って探しにいったらしい。2本向こうの通りで親切なおじさんが声をかけてくれて、家まで連れて来てくれた。家を聞かれてちゃんと連れてきてもらっていたので本人はまったく迷ってはいなかったのだろうけど、こっちは生きた心地がしなかったよ。

子供ってこっちの想像を超えた思考をするのだと久々に痛感。気を付けるっていってもその発想がなかったよっていう感じ。でもとにかく大事に至らなくてよかった。甥っ子の同級生で勝手に電車に乗って何駅か先で保護された幼稚園児がいたけど、ほんと他人事じゃないな。

話は変わりますがコブの備忘録。先月の一時帰国でたっくさん日本語を吸収してきたコブさん。一人遊びももっぱら日本語。ただし甥っ子から覚えたので一人称は「おれ」、二人称は「おまえ」。たった3週間弱の滞在だったけど、ただ私がいう単語を覚えるだけでなく、自分でフレーズを作れるようになったのにはビックリ。やっぱり言葉のシャワーを浴びるのって大事なんだな。
あと色々歌を覚えました。トトロの「あるこう」は一時帰国前から好きだったけど、今は1番の歌詞はほとんど歌えるようになった。でも「かさみち とんでる くさっぱら」になってしまう。
音楽絵本で覚えたのは「はとぽっぽ」と「大きなくりの木の下で」。こちらもどうしても直らない。頑固な性格ゆえ。
「大きなきゅうりの木の下で あななと私 楽しくあそびましょう」というかなりサイケデリックな歌になります。ちなみにananasは仏語でパイナップルです。

ラムさんは16ヶ月を目前にようやく歩き出しました。

惚れる

色々とはまりやすい私ですが、最近テレビにでてくるたびにキャーキャー言ってるのはChristine Lagarde。去年からの不況にともなってメディアの露出も増える増える。おかげでニュースを見てると旦那が「出てるよ〜」と教えてくれます・笑。
なにより立ち姿が格好いい。そして笑顔ね。んでもってイギリス英語じゃなくてアメリカ英語を上手に話す。The Daily Showでの受け答えも最高でした。

The Daily Show With Jon Stewart Mon – Thurs 11p / 10c
Christine Lagarde
www.thedailyshow.com
http://media.mtvnservices.com/mgid:cms:item:comedycentral.com:225155
Daily Show
Full Episodes
Political Humor Healthcare Protests

そして今日さらに驚いたのは、この人シンクロナイズトスイミングのフランストップだったそうな。どんな経歴だよって感じですが、こんなすてきなおばさんになりたいです。
猿コジさん嫌いだけど、彼女を財務大臣にしてくれたことだけはありがとう。

パリのアパート探し

パリのアパート探しは大変だよと聞いてはいたものの、覚悟が甘かった・・・。
ベイエリアに引っ越したときも、周りからはここは貸し手市場だから大変だよと忠告されていたのだけど、結局サンフランシスコダウンタウンではなくもうちょっと南に住もうと決めてからは結構すぐにアパートが決まった。フランスなら旦那がフランス人だし、義父が保証人になってくれるっていってるし、1ヶ月もあれば見つかれるだろうと夫婦で高をくくっていたのだけど、蓋をあけてみるとアパートが決まるまで3週間、入居できたのは渡仏から1ヶ月半。その間、問い合わせた数は数十件、見に行ったのが十軒。これでもかなり順調だった方らしい。

物件情報はインターネットのみ。木曜日に発売される雑誌もあるようだけど、私は買ってないのでどちらのほうが情報が豊富かは不明。大家が直接情報をのせるPAPや不動産屋の情報を集めたSeLogerなどのサイトを毎日チェックして、ひたすら電話をかけRDVを取り付ける。が、RDVまでいけるのは10件かけて2、3件といったところ。大体が大家に確認してかけ直すといわれてそれっきりだったりする。

土地勘のないまま探し始めたので、最初は見られる物件をとりあえず見まくった。そうするうちに大体の相場とかエリアの雰囲気とかが分かってきて、結局私たちはパリ市内を諦め外へ外へ向かうことに。それと同時に色々物件を見ていくと自分たちのクライテリアがよりはっきりしてくる。そうなると電話で問い合わせる時に希望に合う物件かどうか確認しやすくなるので後々無駄足を省ける。私たちは「エレベーター有」「南向き」「バス・トイレ別」「浴槽有」というのが絶対条件になった。

パリのアパート探しで難しいのは、即入居がすくないこと。こちらでは退去の意思を3ヶ月前に伝えなければいけないらしく、大家もそれをうけて次の入居者を探し出す。当然、前の住人が住んでいる状態でアパートを見学して、入れ替わりで入居することになる。こちらもパリに住まいがあって引越しを考えているのであればとくに問題はないのだろうけれど、私たちのように居候状態だったりあるいはホテル暮らしの人にとっては1~3ヶ月後の入居というのはなかなか難しい。それでなるべく早く入居で来る物件を探すわけだけど、その中には3ヶ月前からアノンスをだしているけどなかなか借り手が決まらない物件も多くあるわけで、そういう物件にはなにかしらネガティブポイントがあるわけです。いい物件から決まっていくからね。ちなみに私たちが借りたアパートは、すでに前の住人はいなかったのだけど内装工事のためしばらく入居できませんでした。

そして一番の難関はもちろん、書類審査。今は経済も悪いので家を買うよりは借りてしのごうという人が増えているらしく、パリのアパート市場はさらに厳しくなっている。そして当然不況の煽りを受けて職を失くす人もいるわけで、大家はそういう人に貸してしまうことがないように、とにかく慎重に審査するのだ。そのために提出する書類が、あまりにも多い。

基本的に借りる本人たちの身分証明、収入証明から始まって、前年と一昨年の納税証明、銀行口座関連の書類や健康保険の書類も要求されたりする。これだけなら面倒くさいけど自分のだし集められる。でも大事なのは借りる当人ではなく保証人の方なのだ。つまり私たちが万が一家賃が払えなくなっても、必ず誰かから徴収できるようにするということ。私たちは幸い義父が快く引受けてくれたのだけど、たとえば日本人夫婦だったら会社に頼むくらいしか方法がないだろうし、難しいケースも多いだろうなぁと思った。んで保証人を頼むだけでもこちらとしては申し訳ないのに、保証人の身分証明、収入証明、納税証明、銀行口座書類、物件によっては会社からの雇用証明書まで要求されたりするので、家族でない人が万が一保証人になってくれたとして、こんなに色々な書類を後から後から要求されるとなると、毎回毎回頼みづらいだろうと思う。それでも保証人がいないと申し込める物件数は半減するので、なんとか見つけたいところ。引受けてくれるなら誰でもといいたいところだけど、保証人の経済状態によって借りられるかどうかが決まるので、それはちゃんとチェックしておかないといけない。基本的に月々の収入が借りたい物件の家賃の3倍以上ある人で(一つの物件では4倍以上といわれた)、賃貸ではなく持ち家がある人がいいらしい。いざってときに家を売ってでも金払えって言えるからみたい。

そこから先は、まあ運ですよね。妊娠後期の渡仏で、家も決まらなきゃ病院も探せないってんで結構あせっていたんですが、なんとか家も定まり、徒歩圏内に助産婦さんのキャビネも見つかり結果オーライ。とはいえもう二度と引っ越したくない気持ち満々ですが、賃貸に住んでいる以上いつかは再び通る道。今渡こそ、今渡こそは最後にしたい・・・。