平和の解剖学

真夜中、子供部屋で赤ちゃんが泣いているのが聞こえてくる。
「起きなくちゃ」と思うけど眠くて起き上がれない。
隣で寝ている旦那はびくともしない。
自分は今晩だけでももう2回寝かし付けをしている。
おむつでもミルクでもなく眠れないだけなんだから、
私じゃなくてあなたが行ってもいいのに。

そんな例えをこの本のレビューで見かけて、まるで自分のことかと思って驚いた(もう数年前の話ではあるけど)。

そしてこの例が、心が穏やかさを失う瞬間なのだと今は分かる。

子育てという、エンドレスにタスクが生まれる状態にいると、どうしても自分の直感に逆らって、それを正当化したくなる場面が増える。子供が泣いているから行かなくては、という直感。でもその直感のまま行動できず(疲れとかのせいで)、代わりに(自己正当化する方法として)非難対象を探してしまうわけだ。

私たちの日常には、こんなシチュエーションが溢れている。イラっとする場面。そこから夫婦が、友達が、家族が仲違いしていく。

もう何年も前に初めて読んで、そしてこれまでに何度読んだかわからないこの「平和の解剖学」(なぜかそのままの和訳本は存在せず、「自分の小さな「箱」から脱出する方法 」というよくある自己啓発本みたいな題の本が一番内容が近いと思われる)。

実践できています、とは全く言えないけれど、何かしらでイライラしたり鬱々するたびに、自分は今、もしかして箱に入っているのではないか?と問いかけることで少し冷静になれる。

私の人生を変えた本の中の1冊でもあるので、頭の整理も兼ねて、以下に自分の読書メモを。

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問題を解決するには、間違っている部分を正そうとするのではなく、ものごとが正しく進むようにサポートする必要がある。

問題となるのは行いそれ自体ではなく、さらに深い部分、心持ちそのもの(すなわち心が穏やかな状態なのか戦闘態勢なのかということ)。
穏やかな状態で行えば、戦争でさえもより人間的に行える(サラディンの例)。問題のほとんどはconflictではなくcollusionである、つまり自ら相手を挑発している。

穏やかな状態なのか戦闘状態なのかは、すなわち相手を自分と同等の人間とみなしているか否かの違いである(Buberの’I-It’か’I-Thou’)。後者の場合、相手を人間とは見ずに、自分にとっての障害物とみなしたり、ステレオタイプ化、一般化(◯◯人は・・・など)してしまったりしている。

本来私たちは、直感で前者の目線で相手を見られるはず(ここは本書は性善説的)だが、その直感を自分で否定した場合、自分で自分を正当化する必要が生じて余計に防衛的になり、結果として、相手に対してより攻撃的になる。そして自分の行った攻撃をさらに正当化する必要が出てくるというスパイラルに陥る。
※ただし最初の直感以前にその相手に対して戦闘状態になっていれば(先入観など)、直感も沸いてはこない

よくある正当化のパターンは下記の4つ。
1.他人を見下すことで自分を正当化
2.被害者意識、自分はこんな仕打ちを受ける義理はないと考えて自分を正当化
3.良い人面をすることで正当化
※hyperactive体面保持(やらなければと思うことが多すぎて手に負えなくなる、そのせいで心の平穏が失われる)も3の一種
4.自分を卑下することで自分を正当化

人によってどのパターンに陥りやすいか等の傾向はあるが、これらは自分の心を理解するためのサブカテゴリーであって、どのようなパターンであっても結局は自分の直感を否定して、それを正当化するために行っていることであるという意味では同じ。

反対に、たとえ自分の直感を行動に移すことができなかったとしても、「できなくて残念だった」と思えるのなら問題ない。人生とはそういうもの。できなかったことを正当化して相手を責め始めるから、心が戦闘状態になってしまう。

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自分では、箱に入っていないつもりだったのに、まさしく2,3あたりの箱にどっぷり浸かっていた時に、そうでない友達の受け答えを見て感動したというエントリーを以前に書いた。

先日、「子供の感情」というテーマの討論会に参加した時、自分の体験を語る順番が回ってきて、繊細なラム君に、何か良かれと思ってやっても、結局本人が満足することがなく、延々と続くので、最後はこっちが怒って終わってしまうという話をした。児童心理士の人が言っていたのは、「自分の心と行いの一貫性が大事」ということだった。

子供のためにやってあげたい、という思いが、どこかの段階で、もう面倒臭いな、とかに変わったはず。そこで、子供のためだからと無理に続けるから、最終的に怒ることになると。それはすなわち直感のまま動くということと同じなのか。

「ごめんね、ママもう疲れちゃったから、一人でやってくれる?」と言えばいいのよって、その先生は言っていた。そうか、ちゃんとできない自分を自分が認めてあげられれば、旦那にも子供にも、無意味に喧嘩を売らなくて済むということなのだな。

何年経っても、全然前進していない自分にちょっとがっかりするけれど、この本に出会っていなかったら、自分はもっといろんなことにピリピリ目くじらを立てて、怒っている人間になっていたと思うので、これからも何度でも読み直していきたい一冊。

想い

日経オンラインを読んでいて、一つの記事が目に止まった。

破格の国産ワイン 造リ手は早大中退のシングルマザー

早大、ワイン・・・もしかして。

読み進めると、やっぱり!!!ぶどう収穫隊参加者だった。多分年度は違うけど。

 

ぶどう収穫隊は様々な私大でフランス語を教えるワイン好きの先生たち4名が企画運営していた、大学生向けのフランスワインツアーだった。大学2年目のフランス語の担任がたまたまその中の一名で、ほとんど話したこともなかったけど、フランスに行くチャンスとばかりに同じクラスの友達と一緒に参加した。私にとっては初めてのフランス、ヨーロッパだった。

ツアーは確か3週間ほど。フランス各地のワイナリーを巡って、最後はコルシカ島でぶどう収穫を手伝うというものだった。家族とは別に海外に行くのは、多分これが初めてのことだったと思う。パリはもちろん、ボルドー、ブルゴーニュ、色々なところを回った。ワインは飲めない下戸だったけど、口に含んで味わってから出してもいいということで試飲もした。ぶどう収穫はなかなかの重労働だったけど、初めてのことで楽しかった。先生も教室で見るのとは全然違って、昆虫オタクだったりオヤジギャク連発だったり。

自分も含めて海外は初めてとか、実家から出たこともないような学生たちを40人近く連れてフランス中を周るなんて大変だろうに、先生たちも物好きだなぁと思ったのを覚えている。

先生4人の中の中心で隊長と呼ばれていたのが、早稲田大学の加藤先生だった。加藤先生はもちろんフランス語が上手で、でも何よりもとても素敵な声の持ち主だった。低いけど柔らかく、少し鼻にかかった声だった。ワイナリーの人の説明を詳しく日本語に訳してくれたり、私たちの質問を通訳してくれたり。学生たちにも気さくに話しかけてくれて、いつも笑顔だった。移動中のバスの中、音楽が好きという話になったら、コルシカ民族音楽のi muvriniを教えてくれた。それは後日購入し、今でもよく聞く。

収穫隊は何年も続いていて、時々同窓会のようなものもあったらしい。私はその後音楽の方にのめりこんで学校にはほとんどいかなくなり、卒業後もすぐに渡米してしまったため、ほとんど参加できなかった。時々、コルシカワインの購入希望のメールなどのやりとりで、隊長と連絡をとっていた。

 

「春に亡くなった先生の遺稿小説に文を寄せることになっていて、それが30日までの締め切り。その先生とのつながりを思うと、なかなか文にならなくて。

しかしほんと人って不思議だよ。生きてるんだなぁ、心の中で。」

 

数年後、隊長にメールで入籍を報告した。隊長からのお祝いメールは次のように締められていた。

 

「お元気で。そして何もなくても、時にはメール下さい。」

 

それなのに、なぜだろう。

アメリカでの生活が始まり、仕事が始まり、そのうちに妊娠してフランスに引っ越して子供が生まれ、慌ただしく毎日が過ぎて行く中で、私は一度も隊長に連絡を取らなかった。

そして2013年の年明け、実家に届いたお別れ会のおしらせで訃報を知った。前年の11月に、くも膜下出血で亡くなったとのことだった。

 

私は隊長が大好きだった。頻繁に会うことはなくとも、その人が今日も元気で別の場所で楽しく生きているのだと思うだけで、自分の一日が楽しくなるような、そんな人だった。

それなのになぜ、連絡を取ろうとも思わなかったんだろう。そのうち、そのうちにと思っているうちに5年以上が過ぎてしまった。「何もなくても」って、わざわざ言ってくれたのに。

訃報に呆然としながら、過去のやりとりを読み返して、上の言葉たちを見つけた。

 

不思議だよ。生きてるんだなぁ、心の中で。

 

私は隊長への返事にこう書いた。

以前は、自分は自分自身で確固として存在するものだと考えていたのですが、他人に映る自分の複合こそが自分であり、自分が散った後も残っていくものなのだと最近考えています。
だからこそ、自分が消えてからも誰かの心の隅っこにいさせてもらえるような生き方をしたいです。

冒頭のワインの造り手の心の中にも、隊長はしっかりと生きていることだろう。

私にとって、どこまでも目標のような人であり、生き方であったのだと思う。

ワインが好きで、学生を連れて行くようになり、その中の一人がついにはワインの造り手になった。しかも世界中から注目されるような日本産ワインの。

隊長は、きっと今頃、祝杯をあげているのだろうか。

建設的

海外に出た日本人の例に漏れず、今更ながらに日本ってって色々気になる今日この頃。
先日も仕事場にあった本を借りて読んでみた。

日本人が書かなかった日本—誤解と礼賛の450年

なんか日本像の総括って感じでしたが、色々と面白かったです。
ゲイシャ、フジヤマっていうノリではなくて、なぜそういうものばかりが
日本研究になってしまったのかっていう視点で描かれていて、結構新鮮な本でした。

んで、その他にも江戸末期の本とか最後の将軍徳川慶喜とかの本を読んで(これは授業で教えるからでもある・苦笑)、その流れで先日手に取ったのがこちら。

ラフカディオ・ハーン—虚像と実像

小泉八雲っていう名前は聞いたことあったし、上記の他の本でも色々と引用が出て来たりしていたので、それもあって読んでみたのですが、結論からいうとなんとも後味の悪い本でした。それもこれもAmazonのたった一つのレビューの最後の一文に尽きます。
「たぶん、研究しているうちに著者はハーンのことが嫌いになってしまったのだろう」

そう、あんまりにも敵意むき出しで、ハーンがいかに冷静に日本を見られなかったか、彼の調査方法にいかに問題があったかとか、そんなことばかりが一冊続く。たしかに著者の指摘は間違いではないだろうし、歴史的裏付けや根拠も示されている。でも結論が「だからハーンはそんなにすごくない」っていうのは、なんだか腑に落ちない。むしろ、そうやって批判するのであれば、そういう問題点はあった上で、じゃあハーンの作品の意義がどんなところにあるかを述べてくれないと、読んでる方としてはちっとも得る物がない感じがしてしまう。

読み終わって後味の悪さを旦那に愚痴ったら「建設的じゃないとつまらないよね」と言われ、その通りと納得した。この本はどこまでも建設的ではない。ハーンはたしかに今でいう文化人類学の手法から考えても、社会学的に考えても、情報収集とか記述の仕方に色々な偏りや脚色がある。だけど、彼は決して文化人類学的研究をしようと思ったわけではないだろうし、社会学的な論文を書こうと思ったわけではないはずだ(無論まだそんな学問なかったし)。日本という国に魅かれて、そこに住み着き帰化もして、それでもなお理解できない日本のことや、自分を受け入れてくれない日本人との関係に悩みながら、自分なりに分かっていることを発信したまでだと思う。その文節の端々を捕まえて、やれ誇張だとか脚色だというのは、ただ意地が悪い。

最終章にもともとチェンバレンの研究をしているのだけど、それとよく引き合いに出されるハーンということで、本当にハーンはそこまで親日なのかっていう疑問をもって調べた結果の本だというようなことが書いてあって、なるほどと納得はするんだけど、やっぱりだから良い本だとは思えないし、せっかくやるならもう一歩踏み込んで欲しかった。

ということで反面教師ではないけれど、ブログであれなんであれ、自分からの発信というのは建設的でありたいものです。

八月十五日と私

「堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍」ぶのは国民だと思っていたら、
「然れども、朕は時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ、
以て万世の為に太平を開かむと欲す」という文脈なのだと、今さっき知った。

玉音放送を聞いてみんな落胆し泣き崩れたのだろうと勝手に思い込んでいたが、この本を読んでみると、実はほっとしたとか、よく分からなかったとか、当たり前ながら色々な思いがあって、妙に納得した。

一番印象的だったのはなだいなだの話。
チフスの病人を病院まで運ぶのに列車では伝染するからと断られ、父親と一緒に病人をリヤカーに乗せて運んでいる途中、美しい松原の景色を見ながらお昼を食べていた頃に玉音放送が流れたんだろうけれど、自分はその存在自体知らなかったと。
「そのとき歴史が動いた」とか、あとから振り返れば劇的瞬間はある。
だけど、そのときそこで生きていた人にとっては、それもまた日常の中の一ページなのだ。

一番心が痛むのは、敗戦の玉音放送を聞いた後、浅間山に飛び込んでいったパイロットの話。戦争に負けたのに自分はなぜ生きているのだと、自分を責める人の話。思想というのは、生物の一番根幹にある生存本能にまで逆らわせることが出来るのだ。その威力と脅威。

いくつか、外地で終戦を迎えた人の話も載っていた。
中国や朝鮮が日本の植民地になり、軍人だけでなく民間人までもが移住し、日本人であるというだけで特別扱いされて暮らしていたなどという事実を、私は習ったことがない。もちろん自分の勉強不足を棚に上げるつもりはないけれど、私が習った歴史では、満州事変こそ習ったものの、それはすぐに欧米との戦いにつなげられてしまい、アジアにおいて日本が何を目指し何を強いたのかということは触れられなかったように思う。大日本帝国という言葉を知ってはいても、それが具体的にさすところ知らないままであった。

生まれてくる時代がほんの数十年違っていれば、自分もこの日を生きていたかもしれない。もはや東京にその記憶を彷彿とさせるものはほとんどない。身近な戦争経験者もあまり多くを語らない。しかし大切なのは、もしまた同じように日本が不毛な戦争に踏み込もうとしたときに、過去からの学びをもとにNOと言えるようになることだと思う。メディアや政治家の言うことを鵜呑みにしていては、また同じことの繰り返しになるだけなのだ。本書の中の唯一の西欧人ヨゼフ・ロゲンドルフの言葉がなんて説得力を持っていることか。

「日本に弱点があるとすれば、それは多くの人があまりにも安全第一主義を取りすぎることだろう。単に経済の面ばかりではない。わたしがの言いたいのはむしろ、ひとと同じことを考えよう、言っておこう、そうしておけば間違いはないという日本人の本能的願望、つまり付和雷同の性向である。」 —ヨゼフ・ロゲンドルフ

『 祝婚歌 』

元ご近所さんのcoreさんのブログで紹介されていた詩。
この詩に関しては著作権を問わないと著者が明言しているそうなので、全文掲載。
私には耳の痛い詩でもある。
はいそうですかとあらためることも出来ないけれど、
せめて時々は自分に読み聞かせたい。

『 祝婚歌 』  吉野 弘

    二人が睦まじくいるためには
    愚かでいるほうがいい
    立派すぎないほうがいい
    立派すぎることは
    長持ちしないことだと気付いているほうがいい
    完璧をめざさないほうがいい
    完璧なんて不自然なことだと
    うそぶいているほうがいい
    二人のうちどちらかが
    ふざけているほうがいい
    ずっこけているほうがいい
    互いに非難することがあっても
    非難できる資格が自分にあったかどうか
    あとで
    疑わしくなるほうがいい
    正しいことを言うときは
    少しひかえめにするほうがいい
    正しいことを言うときは
    相手を傷つけやすいものだと
    気付いているほうがいい
    立派でありたいとか
    正しくありたいとかいう
    無理な緊張には
    色目を使わず
    ゆったり ゆたかに
    光を浴びているほうがいい
    健康で 風に吹かれながら
    生きていることのなつかしさに
    ふと 胸が熱くなる
    そんな日があってもいい
    そして
    なぜ胸が熱くなるのか
    黙っていても
    二人にはわかるのであってほしい

       『贈る歌』(吉野 弘著,花神社)より「祝婚歌」全文を転載.

モモからのメッセージ

中学生や高校生の国語を担当していると、数多くの名文に出会えます。
生徒に読んでもらいながら、自分が一番感動しているなんて事もしばしばです。

先日出会った文章は「モモ」の作者、ミヒャエル・エンデの朝日新聞への寄稿でした。
生徒は魂をゼーレと読むことがおかしいらしく、ずっと笑い転げていました。
私は一人で感動に浸っていました。

先日のWilburでの時間を思い出したりしました。
日本とアメリカを行き来する日々の中で、
時々自分の心がついてきていないように感じる時があって、
そういう瞬間を思い出したりもしました。

東京に住んでいた頃、時々思いついては出先から徒歩で帰ったりしました。
そのために小さな東京の地図は必需品でした。
電車で30分の道のりを、2時間、3時間かけて歩いていると、
自分たちがいかに不自然なスピードで動き回っているのかを痛感しました。
アメリカに来て、この車社会で、それはひどくなる一方なのですけれど。

私の今の職場だって、歩いたら3時間では済まないでしょう。
私の生活範囲はすでにバーチャルと呼ぶにふさわしい規模に広がっています。
それでもその便利さを手放せるわけでもなく、今日もまた車に乗って出かけるのです。

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モモからのメッセージ      ミヒャエル・エンデ

 何年かまえ、中米奥地の発掘調査に出かけた研究チームの報告を読んだなかに、こんなことがありました。
調査団は、必要な機器等の荷物一式を携行するためにインディアンのグループをやとった。調査作業の全行程には完壁な日程表ができていた。そして初日から4日間はブログラムが予想以上によくはかどった。運搬役のインディアンたちは屈強で従順で、日程どおりにことが進んだのだ。ところが5日目になって、彼らは先へ行く足をぷっつり止めた。だまって全員で輪になり、地べたに座りこんで、もうテコでも荷物をかつごうとしない。調査団の人たちは賃金アップを提案したが、だめだった。叱りつけたり、ついには武器まで特ちだして脅したりしてみたが、インディアンたちは無言で車座になったまま動かない。学者たちはお手上げの状態で、とうとうあきらめた。日程には大幅な遅れが生じた。と、とつぜんー2日後のことだったーインデイアンたちは同時に全員が立ち上がった。荷物をかつぎあげ、予定の道を前進しだした。賃金アップの要求はなかった。調査団側から改めて命令したのでもなかった。このふしぎな行動は、学者たちにはどうにも説明のつかぬことだった。
インディアンたちは、理由を説明する気などまるでないらしく、口を閉ざしたままだった。ずっとあとになって、白人のグループの数人と彼らとのあいだにいくぶんの信頼関係が生じてから、はじめてひとりが答えをあかした。
「はじめの歩みが速すぎたのでね」という答えだった。
「わたしらの魂(ゼーレ)があとから追いつくのを待っておらねばなりませんでした」

 この答えについて、私はよく考えこむことがあります。
工業化社会の文明人である私たちは、未開民族の彼らインディアンから、学ぶべきところまことに大きいのではないでしょうか。
私たちは、外的な時間計画、日程をとどこおりなくこなしていきます。が、内的時間、魂の時間にたいする繊細な感情を、とっくに殺してしまいました。私たちの個々人にはもはや逃げ道がありません。ひとりで枠をはずれるわけにいきませんから。私たち自身がつくってしまったシステムは、容赦なき競争と殺人約な業績強制の経済原理です。これをともにしないものは落伍します。
昨日新しかったことが、今日はもう古いとされる。先を走る者を、はあはあ舌を出しながら追いかける。すでに狂気と化した輪舞なのです。だれかがスピードを増せば、ほかのみんなも速くなるしかない。この現象を進歩と名づける私たちです。
が、あわただしく走り続ける私たちは、はたしていかなる源から遠ざかりゆくのでしよう?私たちの魂からですって?そう、私たちの魂は、もうはるか以前に路上に置き捨てられました。それにしても魂を捨て子にしたことで、肉体が病んでいきます。だから病院や神経治療施設は、ひとびとであふれています。魂不在の世界 これが私たちの走りゆく目的地だったのでしょうか? 
もうほんとうに不可能でしょうか、私たち全員が狂気の輪舞をいっせいに中止して、おたがいに車座になって大地に座る、そして無言で待つ、ということは?

 もうひとつの「答え」のことは、文化人類学者の友人から最近聞いたばかりです。
これもひとりのインディアン女性の口から出ています。その友人が旅先で出かけた山の頂上にインディアンの村があった。その地方一体には水源がたった一カ所にしかなくて、それは山のふもとの井戸だった。村の女たちは、毎日半時間の坂道をおり、帰りは重い水がめを肩にして一時間、山をのぼっていく。友人は、女たちのひとりにたずねた
「いっそ村ごと、ふもとの水源近くに移したほうが賢明ではないかね」 女の答えはこうだった。
「賢明、かもしれませんね。でも、そうしたら私たちは、快適さという誘惑に負けることになると思います」
私たち文明人には、この答えはさきほどの答え以上にいぶかしく聞こえるのではないでしょうか?快適であることが、なぜ誘惑と呼ばれるのか?
私たちが手にした洗濯機、自動車、エレベーター、飛行機、電話、ベルトコンベヤー、ロボット、コンピューター、要するにおよそ現代社会を構成するすべてのものは、快適な生活のためにつくられたはずです。それとも?
これらのモノは、暮らしをらくにします。骨の折れる仕事から私たちを解放し、もっと本質的なことのために時間をめぐんでくれる。そうではなかったでしようか、私たちを解放するんでしょう?そうです、確かに。
ただ、何から解放するのでしょう?ひょっとして、まさに本質的なことから?だとしたら、いったいどうなっているんでしょう?私には、あの奇妙な言葉を口にしたインディアン女のほうが、ほんとうはこの私たちのだれよりも、ずっとはるかに解放されて自由なのだ、という思いがつきまとって離れません。 
 聖書にも、これに似たふしぎな言葉があります。
「人は、たとえ全世界を手に人れても、自分の魂(ゼーレ)を失ったら、何の益があろうか。(マタイ伝16・26)」
何、言ってる、魂がどうのこうのだって!そんなもの、我々はどこかの路上にとっくに置き忘れてきたよ。未来の世の中は徹底的に快適で、完全に本質不在の世界になってるさ。
あなたはそう思いませんか?

自分の気持ちほど信用ならないものはない

旦那との入籍の手続きを進めているときに、私は「国際離婚」という本を読んでいた。
旦那と入籍したすぐあとに、何かあった時の財産分与について文書で記しておきたいと頼んだ。

どちらも旦那さんはびっくりしていた。後者については少し嫌な顔もした。どうして結婚するときに、離婚するかもしれないって考えるのって。

もうすぐ遅ればせながらの結婚式をする身で、こういうことをいうのはものすごく不謹慎な気もするけど、やっぱり絶対一生離婚しませんとも、一生この人だけを愛しますとも、言えないのだ。

そうしたいと思う。旦那のことが好きだし、彼との生活は私にたくさんの幸せをくれる。これをずーっと、命が終わる時まで続けたいと思う。

だけどそうします、とはいえない。分からないのに断言したら嘘になるから。

自分の気持ちほど信用ならないものはないと思う。
思っているよりも簡単なことで、人の気持ちは180°変わってしまったりする。そしてそれはその人が弱いとかその人が悪いとかなんじゃなくて、そういうものなんだと私は思っている。なにしろ自分自身、そんな風にころっと変わって今日のここまで生きてきたわけで。

そんなわけで、夫婦になったばかりのダーリンが悲しげな顔をしてもなお、私は最初の二つをやめなかった。

こういう話をして、すんなり分かってくれる人と、断固否定する人と、綺麗に分かれる。そして自分がころっと変わってしまったことに気付いたあの日よりも前の私だったら、頑として否定しただろうとも思う。

あの頃の私や、その他否定派の人達は、私がこういうことを言うから私の気持ちに揺らぎがあるんだと判断するようだ。だけど、私が言いたいのはそういうことじゃない。

私はこれから、いつもいつも、当たり前じゃなく、その都度旦那といることを選ぶのだ。そのために努力するし、そのために選択するのだ。結婚したから当然一生一緒にいるなんて思えないからこそ、一緒にいるために努力出来るんだと私は思う。

とある掲示板で、婚約相手から「マンションの名義ははっきりしておこう」と言われ寂しがる女性の書き込みを見て、そんなことを思い出した。あっという間に1年半が経っている。そんな調子で本当のジジババになるまで一緒にいよう。