生産性

世間より一足早く仕事が夏休みになったので、家族3人、
4月にバルセロナ郊外に引っ越してしまった元ご近所家族を訪ねた。
家族全員初スペイン。
考えてみると親戚めぐりじゃない本当の家族バカンスは初めてかも。

la mer

6月とは言ってもバルセロナは暑い。
特に昼12時頃から17時すぎまでは、気温云々というよりも
太陽光線そのものが強力過ぎてとても外にはいられない。
パリなら多少暑い日でも日陰は涼しいくらいだけど、
残念ながらバルセロナでは日陰でも風は少なかった。
お互い二歳児がいるので、当然お昼の後は毎日昼寝の時間。
スーパーとかを除いてはほとんどの店がこの時間帯閉まっているし、
なにしろ町を歩く人がとっても少なくなる。

チュニスの町を思い出す。
みんな当たり前に午後は休みだったなぁ。
最初はなんじゃそりゃと思ったけど、
毎日午前中の授業の後、燦々と照りつける太陽の下
寮までの道を歩いていると、それこそが正しい選択だとわかる。

チュニスでもバルセロナでも、だから夜は長い。
10時すぎでも普通に子供の声が路上に響いている。
早めの午前中と遅めの夜こそが、暑い国の生活時間なのだと思う。

暑さの中でこそ味わえる果物の瑞々しさや
ガスパッチョやビールや炭酸の美味しさ。
夜風の心地よさや屋外の開放感。
そういうものを家族全員、思う存分満喫してきた。

日本もすでに暑さが厳しくなっているということだけれど、
節電のためにクーラーを我慢したり弱めたりということが
結構行われているらしい。そんな中で出会った記事。

「エアコンを止めて分かったニッポンの夏の過ごし方」

生産性なんて忘れて、暑さに酔うっていうのが、
チュニスやバルセロナの人々を彷彿とさせる。
どっちにもクーラーのあるお店もお家もあったけどね。
でも基本的には自然の気候に沿って、
暑いときは休んで、涼しくなったら外に出てって
そういう味わい方をできる生活をしていたいものだ。

来週から約5年ぶりの「真夏の日本」に帰る。
暑さに酔う覚悟で3週間乗り切れるだろうか。

人を好きになる

人を好きになるって素敵なことだ。

恋とか愛とか、男女とか、そういうことじゃなくて、
その人と会えると嬉しくて、その人と話すと楽しくて、毎日が少し色鮮やかになる。

アメリカに来てから人と出会う事自体ぐっと減っていたのだけど、
最近そういう出会いが訪れて、なんだか素直に嬉しい。

高校生くらいまで、私は人の好き嫌いが激しかった。
特定のグループには属していなかったから、
嫌いな人とか合わない人と無理に付き合う必要がなかったし、
そうでなくても嫌いと思ったら拒絶していたように思う。
それはそれで自分の性格で、別に良いと思っていたけれど、
後にわざわざ敵を作る必要はないのかもって思ってからは、
嫌いな人からこそ学ぶべきところまことに大きいということ、
そして人を嫌うのはすごくパワーが必要で、
しかも自分には「負」しか残らないということに気がついた。

そういう心持ちでいると、結構どんな人にもいいところがあるものだ。
八方美人と言われればそれまでだけどね。
それでもこの人だけは側にいたくないかもっていう人はごく稀にいて、それは「邪悪」な人。
だけどそんな人も、多分こういう言葉しか浴びて来なかったんだなぁと思うと、
以前のように嫌うパワーを使わなくなる。
それでも無意味に尖ったその言葉を受けたくなくて離れてしまうんだけど。

私は友達と呼べる人が極めて少ない。
間口の狭い自分だけれど、誰かを好きになるチャンスだけは逃さないように、
これからもいろんなアンテナを張って生きていきたいな。

お隣さん

2週間くらい前、暑い日が続いて、夜寝る前に窓を開けていたら、
すぐ近くにでっかい黒い物体が・・・。

鳩です。このまま眠っていて微動だにしない。
鳥は立ったまま寝るって聞いたことはあったけど、見たのは初めてでした。
いっつもそこで寝ているらしく、後ろが糞だらけなのはご愛嬌。
旦那と初めて見る「立ったまま眠る鳩」に興奮して写真撮影。
暗くってよくとれなくて、一眼レフまで出してきてなんとか撮影できました。

それからも毎晩気になって、布団敷くついでに窓の外をのぞく。
そしたら1週間くらい前から姿が見えなくて、連日いないので、
なんだか心配になってきてしまう自分。
きっと彼女(か彼)のところにいるんだよ、と旦那に励まされつつ
毎晩気にしてのぞいていたら、熱にうなされ朦朧としていた一昨日の夜、
窓の外に懐かしいその姿を発見。
お帰り〜と心の中で声をかけながら、なんだか少し元気になったのでした。

彼女に会った

夢で、妹犬に会った。
実家に人が集まっていて、皆が出かけてしまうんだけど、私とトトだけお留守番。
でもこれからもこうやってトトと過ごせるんだねって思って嬉しくて号泣して目が覚めた。

先日母がトトの夢を見たと言っていて、そういえばそろそろ四十九日だと言っていた。
犬に対してこういう風に書くのは飼っていない人からすれば滑稽なんだろうけど、
毎日を一緒に過ごしているという意味では人間と変わらない家族だから、本人達はいたって真剣なのだ。
四十九日って聞いたことはあるけどなんなのか良く知らなくて、色々ネットで見ていたらこんなものに行き当たった。

四十九日のもつ意味

昔の人達の知恵なんだなぁと思った。
七日ごとに様子は見に行くけれど、それ以外の日はそっとしておく。
こんなに素晴らしい配慮があるだろうか。

別れを受け入れる過程は個人的なものだし、長さもプロセスも千差万別だとは思うけど、四十九日っていうのはとりあえずの区切りみたいになっているのだろうか。
四十九日を明日に控えて(日本では今日だけど)、少なくとも私は初めて彼女と再び会うことが出来たし、母も数日前に抱きしめたらしい。
それを魂が訪ねてくれたと考えるか、自分の心が見せたと考えるかは、解釈が分かれるところだと思うけど、私としてはどっちでもいい。いなくなったことが信じられないからこそ、夢でさえ会うことが出来なかった相手が、やっと出てきてくれた。それだけで十分。自分のエゴがそれを生み出したんだとしても、構わない。

海外にいて、トトがいない生活をほとんど味わっていないせいもあって、まだ実感が湧かないというのも事実だけど、昨日の夢のように、少しずつ私の中で整理がついてきているのだろう。忘れるわけじゃなくて、ちょっとの涙とたくさんの笑顔で、いつも彼女のことを思い出せるように。

人と会う

先週末、かなり久しぶりに友達が家に遊びにきてくれた。
思い返してみると、仕事が本格的に始まってからは、
誰かを家に呼ぶこともなくなって、
そのまま引越に突入してしまったので、かれこれ数ヶ月ぶりかもしれない。
それがどうってことない人もいるんだろうけど、
日本にいたときはほぼ毎週家で誰かと集まっていた私には驚きの事実だった。

久しぶりのゲストだったのに土曜仕事なので
あまり手をかけた料理も用意できず。
でも焼きたてのパンと美味しいチーズ達、
ゲストが持参してくれた食べ物や飲み物もあり、
とても美味しい食卓を囲むことが出来た。
まだ9ヶ月のお子さんも一緒だったので、
お昼寝の時間に合わせて夕方にはお開きになったんだけれど、
たったの3時間くらいだったけど、とっても楽しくって、
なんだか人に会うってこんなに楽しくって
リフレッシュできる事だったんだと改めて実感。
Tさん一家に感謝です。

今年の目標はアクティブにって言ってたのに、
引越やら妹犬のことやらで引きこもりがちだった今日この頃。
少し遅めのスタートですが、人と会い、一緒に時を過ごして、
色々なことを体験できる年にしようと思いを新たにしています。