大学生になってフランスに行くまで、私にとって「外国=アメリカ」だった。そしてそれは「外国は進んでいる」とか「外国人は声が大きい」とか「外国人はフレンドリー」っていう、私の中の外国のイメージの元になっていた。
ところがいざフランスに行ってみると、考えていた以上にフランス人は日本人ぽかった。声は大きくなかったし、皆すごくシャイだったし、ずかずか入り込んでこなかったし、何よりフランスっていう国は、本当に先進国かい?って思うくらいにい、色んなものがアナログで非合理的だった。
フランスに行ったことで、私の考えはガラッと変わって、要するにアメリカがかなり特殊なのだという結論に至った。
その後なぜかその特殊な国に住むことになったわけだけど、本当に色んな意味で特殊だ。そしてそれを生み出す一つの要因が合理主義だと考えるようになった。
アメリカの建国って、例えば東京の人達が自然がいいっていって、キャンプ場だった所に家を建てちゃったって感じがするのだ。もちろんピルグリムファーザーズとか歴史的に色んな要因があったのは百も承知なんだけれど、今この国にいて感じる違和感はそんな感じなのだ。
当然東京の人は何が必要で何が便利かもう知っていたから、一番合理的に家を建て、必要なだけスーパーを作り、交通も考えて道も広く造る。そしてできあがった元キャンプ場の街は、すごく合理的で近代的だけど、自然の中にあるのだ。
おそらく東海岸は100年くらい歴史が長いので、また全然雰囲気が違うと思うのだけど、たった100〜200年の間に出来た西海岸エリアは、本当にそんな感じなのだ。私が住んでいる町はなんと来年で生誕100年記念らしい。それでもこのエリアでは随分古い街なんだけれどね。
逆になぜアメリカ以外でこんなに合理主義がまかり通らないのかって言うのを考えると、特に都市という意味では、自然環境による制限や、文明の発達によるものだろうと思う。例えば日本だったらあちらこちらにちょこっとある平野や盆地に住むしかなかったとか、車がない頃はもちろん大きな道を作る必要もないわけだし。あるいは、歴史的には城下町だったから塀があったり堀があったりする。要はやっぱ歴史があるから、今現在の文明において一番合理的なものをポンって作れないわけだ。だって、そこにはもう街があるから。だけどアメリカは、何もない所に作ったから、出来る限り最先端で合理的で便利なものを作ることが出来たんだと思う。
連綿と続いてきた社会があって街があって、そこに新しい世代が少しずつ新しい息吹を吹き込むっていうのが、ヨーロッパの流れだと思うんだけど、アメリカは元がない分、目的に合わせていくらでもドラスティックに変化できるのだろう。そしてこの、今あるものからどうやって目的に近づくかというよりも、目的があるからそのための方法をゼロから考えて実行する(ある意味過去との連続性は意味を持たない)っていうのは、すごくアメリカ人のメンタリティーを表していると思う。
歴史や文化の足枷がないこと、そして合理的に作られているからこその豊かさ、そういうものが重なって、アメリカのパワーを生み出しているのではないだろうか。そしてそのエネルギーが大きすぎるからこそ、アメリカという国は振り子のように右にも左にも、ものすごく大きく揺れてしまう。個人のレベルで言えば、色んなことにヒステリックだし、極端だ。そしてこの極端さが、私は嫌いだ。白か黒かしか選べない感じ。
日本はアメリカの10年遅れとかってよく言うけれど、社会の向かっていく方向が合理化の方向である以上、アメリカが先をいっているのは当たり前のことだと思う。そしてこういう流れがどんどん進んでいけば、地域差はどんどん少なくなって、どこの国でもどこの都市でも同じように便利で合理的な生活が出来るようになるのだろう。そういうことを考えていると、不便さっていうのも少し愛おしく思える。