海外に出た日本人の例に漏れず、今更ながらに日本ってって色々気になる今日この頃。
先日も仕事場にあった本を借りて読んでみた。
なんか日本像の総括って感じでしたが、色々と面白かったです。
ゲイシャ、フジヤマっていうノリではなくて、なぜそういうものばかりが
日本研究になってしまったのかっていう視点で描かれていて、結構新鮮な本でした。
んで、その他にも江戸末期の本とか最後の将軍徳川慶喜とかの本を読んで(これは授業で教えるからでもある・苦笑)、その流れで先日手に取ったのがこちら。
小泉八雲っていう名前は聞いたことあったし、上記の他の本でも色々と引用が出て来たりしていたので、それもあって読んでみたのですが、結論からいうとなんとも後味の悪い本でした。それもこれもAmazonのたった一つのレビューの最後の一文に尽きます。
「たぶん、研究しているうちに著者はハーンのことが嫌いになってしまったのだろう」
そう、あんまりにも敵意むき出しで、ハーンがいかに冷静に日本を見られなかったか、彼の調査方法にいかに問題があったかとか、そんなことばかりが一冊続く。たしかに著者の指摘は間違いではないだろうし、歴史的裏付けや根拠も示されている。でも結論が「だからハーンはそんなにすごくない」っていうのは、なんだか腑に落ちない。むしろ、そうやって批判するのであれば、そういう問題点はあった上で、じゃあハーンの作品の意義がどんなところにあるかを述べてくれないと、読んでる方としてはちっとも得る物がない感じがしてしまう。
読み終わって後味の悪さを旦那に愚痴ったら「建設的じゃないとつまらないよね」と言われ、その通りと納得した。この本はどこまでも建設的ではない。ハーンはたしかに今でいう文化人類学の手法から考えても、社会学的に考えても、情報収集とか記述の仕方に色々な偏りや脚色がある。だけど、彼は決して文化人類学的研究をしようと思ったわけではないだろうし、社会学的な論文を書こうと思ったわけではないはずだ(無論まだそんな学問なかったし)。日本という国に魅かれて、そこに住み着き帰化もして、それでもなお理解できない日本のことや、自分を受け入れてくれない日本人との関係に悩みながら、自分なりに分かっていることを発信したまでだと思う。その文節の端々を捕まえて、やれ誇張だとか脚色だというのは、ただ意地が悪い。
最終章にもともとチェンバレンの研究をしているのだけど、それとよく引き合いに出されるハーンということで、本当にハーンはそこまで親日なのかっていう疑問をもって調べた結果の本だというようなことが書いてあって、なるほどと納得はするんだけど、やっぱりだから良い本だとは思えないし、せっかくやるならもう一歩踏み込んで欲しかった。
ということで反面教師ではないけれど、ブログであれなんであれ、自分からの発信というのは建設的でありたいものです。