家族のカタチ

*ここ数日、サーバーの移動に伴い、アクセスできなかったり表示がおかしくなったりしていたようです。すみません。が、昨夜旦那が3時間かけて直してくれたのでもう大丈夫。頼りっきりで何も把握できていないのですが、ありがとう☆

すっかり更新頻度が落ち着いてしまっていますが、それなりにイベント続きの今日この頃です。

昨日までは、お義父さんとその彼女が来ていました。2週間程。
週末でこそ皆でヨセミテとか行ったけど、平日も自分たちでハーレー借りてサンタクルーズまで行ったりしてしまう、パワフル&アクティブなカップルでした。

周りに説明するときに、「旦那の両親」とも言えず、「旦那のお父さんとその彼女」と言うわけですが、それに対する反応がまたそれぞれ違って面白かった。

ただ「そっかぁ」という人や、言葉に困ってから「なんか複雑ですね」という人とか。

一方でお義母さんは一人のままなのですが、その事情を知っている女性は激怒したりしていました。
彼女曰く「自分が一人でいる間に元彼や元旦那が新しい恋人を作って幸せになって、しかも息子夫婦の所に遊びにいくなんて耐えられない!」というもの。怒るかどうかは別として、そりゃ辛い、というか寂しいだろうとは思います。

私はお義父さんもお義母さんも大好きだから、二人がまだ一緒にいてくれたらどんなにいいだろうって思うけど、こうなってしまっている以上は仮定の話でしかない。そしてこうなってしまった以上は、それぞれ別々の場所ではあっても、どちらも幸せでいて欲しいと思うのだけど、こうやってお義父さんの幸せを見ているときに、少し心が痛むのも事実だったりします。

っていってもこれは血のつながってない赤の他人である私だからそう感じるだけなのかもしれないし、家族である旦那はもっと別の感情を持っているんだろうと思う。というかもっと複雑で、こんがらがっていて、矛盾したりしているのかもしれない。あるいは、もう納得しているのかもしれない。

私が旦那さんと知り合った時にはもう二人は別れてしまっていたので、どういういきさつでとかっていうのは詳しく知らないけど、どちらかが浮気したとかDVとか借金とかそういう理由ではなかったので、そういう意味でも誰も悪くないんだと思う。そして誰も悪くないからこそ、ただ家族であったものがそうでなくなってしまうという寂しさが、極めて純粋にそこにある。

なんとなく人の死と似ている気がする。もうなくなってしまったもの。とても大切だけれど、なくなったという事実に慣れていくしかないもの。受け入れるしかないもの。

離婚の理由なんて千差万別だし、自分だっていつの日かそういう結果に至るかもしれない。だけど、なるべくならそういう「なくす」体験を自分も、自分の大切な人達にもしないでもらいたいし、そのためには家族でいるために努力を惜しまないということしかできないんだろう。といっても私はまだ子供もいないし、まだ家族というスタートラインにも立っていないのかもしれないけどね。

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