昨日はエスパスジャポンのPortes Ouvertesへ行った帰りに、思いつきでモンマルトルへ。ここまでバリバリの観光地に行ったのは今回の渡仏後初めて。コブは旦那が抱っこしてくれたのでモンマルトルの上り坂も楽しめました。4年前に来たときはベタに教会の周りを回っただけだったんだけど、今回アメリのカフェまで歩いたら素朴で素敵な町並みだった。アーティストが集うエリアっていうのも納得。
アメリのカフェは内装がピンクっぽくて入り口のタバはなかったけど、たしかにあの通りのお店でした。コブの授乳もしたかったので奥の食事用の席に座ったら、たまたまアメリの巨大ポスターの真ん前で次々に写真をとる人がいて、こんな姿で端っこに映ってしまってるのかと思うと申し訳なかったです。クロックベジタリアンなるものを初めて食べたけど美味しかった。映画から10年経っていてもファンは多かった(予想通り日本人率高し)。
そして日曜はSt Germain en Layeへ。ここに住めたらいいと思っていたのですが、RERがあるとはいえちょっと遠い&高いってことで流れた地。初めて行ってみていつか住めたらいいとやっぱり思うけど、ここに住むなら共働きだろうなとも思う。
コブは4ヶ月で7kgあるのだけど、うちはもっぱら抱っこ紐(Echarpe de Portage)。というかまだお座りできないからベビーカーは大きいのしかダメで、そうなるなると電車とかパリの細い歩道を歩くときになにかと不便でいつも抱っこ紐にしてしまっている。今日は私がずっと抱っこしてて合計4時間。やっぱり肩は疲れるけどね。
そして昨日に引き続き今日もご飯ついでに授乳したんだけど、カフェじゃなくクレペリーだったこと(ちゃんとしたレストラン)、お店が小さめだったこともありちょっとやりにくかった。アメリのカフェはソファ席だったので、コブを下ろしてちょっと遊んだりもできたんだけど、今日のクレペリーは椅子で、下ろすと隣の人にぶつかりそうでとても遊べませんでした。なので途中からコブは飽きてぐずりだしてしまった。ということで今週末の教訓としては、授乳もするならレストランよりカフェでクロックムッシューとかつまむ方がよい(気が楽)&できればテラス席かソファ席ってとこですな。
出産直後は難なく哺乳瓶でも母乳をのんでいたコブですが、先週あたり両親と旦那に頼んで出かけたときはどちらも哺乳瓶を拒否したそう。絞って飲ませるのってタイミングが難しいし面倒くさいのですぐやめてしまったんだけど、いつの間にか受付けなくなってしまったんだろうか。まあ本格的に預けることを考えたら再度挑戦しようかな。
外出は子どもも大人も疲れるけど、決して嫌な疲労ではないしいい気分転換になるので、これからもちょこちょこ出かけたいねと旦那と話していたところ。でももっと大きい子のいる親からすれば、今ほどお出かけしやすい時期ってないんだろうな。なのでやっぱり今のうちに、ですな。
手作り
旦那はあみぐるみとか作るのが好きなんですが、私はもっぱら実用専門。といってもガサツな性格ゆえ自分用の物しか作れないんだけど。
出産後初めての手作りは腹巻と布ボール。どちらも欲しいんだけどフランスでどこに行けば売ってるかいまいちわからないので作ってみた代物。腹巻は肌触りのいい毛糸と思ったら茶色しかなくて、白い長肌着に合わせるとすっかりバカボンのパパ。布ボールはこちらのブログをみて勢いで作りました。古着Tシャツをきって、面倒くさいので4枚のみにして、綿も鳴き鈴もなかったので余っていた毛糸玉とオマケの缶にレンズ豆をいれた物を詰めました。なのですぐに歪むし綺麗な球形ではないのだけど、こうやってコブが手に抱えて遊んでくれるとやっぱり嬉しいなぁ。

産後4ヶ月経ったとはいえ目は疲れたし肩もこったけど、やっぱりものを作るのは楽しい。そして作ったものを毎日使えるとなおさら。次はのびのびの授乳クッションかバーかな。でもミシンがなくて手縫いなので大きさのある物はやっぱり時間がかかりそうだ。
うた
フランスのニュースでも放送されたSusan Boyleさんのオーディション。
曲がまたレ・ミゼラブルでいいですね。もっと聴いていたいって思わせてくれる。
素敵な歌を聞くと、ついつい笑顔になってしまったり、
体の中からこみあげてくるものがあったりするんだよなぁと久々に思い出させてもらいました。
審査員たちの表情がまさにそういう変化をしていて、それもまた見ていて笑顔になります。
歩いても 歩いても
うちから歩いて5分のところに映画館があって、しかも外国映画を吹き替えでなく字幕で放映している(フランスは結構吹き替えが主流)。さすがパリ郊外!
先週の水曜日から是枝監督の「歩いても 歩いても」が公開されたので、先日早速旦那と見に行ってきた。平日の8時半からの回。そもそも小さな映画館だし、日本映画とあってお客さんは10人にも満たない。
アメリカの映画館は決して安くなかったし、ゴミが多くて汚いし、みんな平気で靴のまま足を前の座席にのっけるし、ポップコーンやソーダを貪りつづけ、映画の進行にあわせてキャーキャー歓声やら奇声やらを発するので、正直あんまり好きではなかった。平日の最終回であんまり人気のない映画を選べばゆっくりみられたけど。
そんなわけでポップコーンさえ売っていない(アイスの自販機のみ)小さな映画館で、映画を堪能しました。
映画自体はホームシックになるような懐かしいもので、引退した町医者のおじいちゃんの日常とか、おじいちゃんおばあちゃんの喧嘩とか、嫁姑の会話とか、そういうディティールがいちいち自分の祖父母を髣髴とさせるのでした。日本の家族、親族って結構みんなこんな感じなのかなあ。果たしてそれがどのくらいフランス人に理解・共感できるのかわからないのですが、後ろのおばあさん3人組は映画が淡々としすぎていると評していました。でも樹木希林の演技?キャラ?は絶賛してました。淡々とした日常、その中にあるメッセージって、フランス映画のお決まりだと思うんだけどなぁ。それにしても日本映画はどれもこれも美味しそうだ。
「人生は、いつもちょっとだけ間に合わない」
年明けに祖父が亡くなった。私が日本に一時帰国したその日だった。
お腹の子が元気にうまれてきてくれたら、一緒にお墓参りにいくからね。
パリのアパート探し
パリのアパート探しは大変だよと聞いてはいたものの、覚悟が甘かった・・・。
ベイエリアに引っ越したときも、周りからはここは貸し手市場だから大変だよと忠告されていたのだけど、結局サンフランシスコダウンタウンではなくもうちょっと南に住もうと決めてからは結構すぐにアパートが決まった。フランスなら旦那がフランス人だし、義父が保証人になってくれるっていってるし、1ヶ月もあれば見つかれるだろうと夫婦で高をくくっていたのだけど、蓋をあけてみるとアパートが決まるまで3週間、入居できたのは渡仏から1ヶ月半。その間、問い合わせた数は数十件、見に行ったのが十軒。これでもかなり順調だった方らしい。
物件情報はインターネットのみ。木曜日に発売される雑誌もあるようだけど、私は買ってないのでどちらのほうが情報が豊富かは不明。大家が直接情報をのせるPAPや不動産屋の情報を集めたSeLogerなどのサイトを毎日チェックして、ひたすら電話をかけRDVを取り付ける。が、RDVまでいけるのは10件かけて2、3件といったところ。大体が大家に確認してかけ直すといわれてそれっきりだったりする。
土地勘のないまま探し始めたので、最初は見られる物件をとりあえず見まくった。そうするうちに大体の相場とかエリアの雰囲気とかが分かってきて、結局私たちはパリ市内を諦め外へ外へ向かうことに。それと同時に色々物件を見ていくと自分たちのクライテリアがよりはっきりしてくる。そうなると電話で問い合わせる時に希望に合う物件かどうか確認しやすくなるので後々無駄足を省ける。私たちは「エレベーター有」「南向き」「バス・トイレ別」「浴槽有」というのが絶対条件になった。
パリのアパート探しで難しいのは、即入居がすくないこと。こちらでは退去の意思を3ヶ月前に伝えなければいけないらしく、大家もそれをうけて次の入居者を探し出す。当然、前の住人が住んでいる状態でアパートを見学して、入れ替わりで入居することになる。こちらもパリに住まいがあって引越しを考えているのであればとくに問題はないのだろうけれど、私たちのように居候状態だったりあるいはホテル暮らしの人にとっては1~3ヶ月後の入居というのはなかなか難しい。それでなるべく早く入居で来る物件を探すわけだけど、その中には3ヶ月前からアノンスをだしているけどなかなか借り手が決まらない物件も多くあるわけで、そういう物件にはなにかしらネガティブポイントがあるわけです。いい物件から決まっていくからね。ちなみに私たちが借りたアパートは、すでに前の住人はいなかったのだけど内装工事のためしばらく入居できませんでした。
そして一番の難関はもちろん、書類審査。今は経済も悪いので家を買うよりは借りてしのごうという人が増えているらしく、パリのアパート市場はさらに厳しくなっている。そして当然不況の煽りを受けて職を失くす人もいるわけで、大家はそういう人に貸してしまうことがないように、とにかく慎重に審査するのだ。そのために提出する書類が、あまりにも多い。
基本的に借りる本人たちの身分証明、収入証明から始まって、前年と一昨年の納税証明、銀行口座関連の書類や健康保険の書類も要求されたりする。これだけなら面倒くさいけど自分のだし集められる。でも大事なのは借りる当人ではなく保証人の方なのだ。つまり私たちが万が一家賃が払えなくなっても、必ず誰かから徴収できるようにするということ。私たちは幸い義父が快く引受けてくれたのだけど、たとえば日本人夫婦だったら会社に頼むくらいしか方法がないだろうし、難しいケースも多いだろうなぁと思った。んで保証人を頼むだけでもこちらとしては申し訳ないのに、保証人の身分証明、収入証明、納税証明、銀行口座書類、物件によっては会社からの雇用証明書まで要求されたりするので、家族でない人が万が一保証人になってくれたとして、こんなに色々な書類を後から後から要求されるとなると、毎回毎回頼みづらいだろうと思う。それでも保証人がいないと申し込める物件数は半減するので、なんとか見つけたいところ。引受けてくれるなら誰でもといいたいところだけど、保証人の経済状態によって借りられるかどうかが決まるので、それはちゃんとチェックしておかないといけない。基本的に月々の収入が借りたい物件の家賃の3倍以上ある人で(一つの物件では4倍以上といわれた)、賃貸ではなく持ち家がある人がいいらしい。いざってときに家を売ってでも金払えって言えるからみたい。
そこから先は、まあ運ですよね。妊娠後期の渡仏で、家も決まらなきゃ病院も探せないってんで結構あせっていたんですが、なんとか家も定まり、徒歩圏内に助産婦さんのキャビネも見つかり結果オーライ。とはいえもう二度と引っ越したくない気持ち満々ですが、賃貸に住んでいる以上いつかは再び通る道。今渡こそ、今渡こそは最後にしたい・・・。
選挙
オバマが大統領になった。
オバマがアメリカで初めての非白人大統領になったというのは事実。だけど、肌が黒かったから当選したわけじゃない。オバマ本人も選挙戦の中で人種については絶対に触れなかった。オバマだからできたこと。
だけど同時に、新しく選ばれた大統領が白人ではなくケニア人とアメリカ人のハーフで、黒い肌を持つ人間だったことは、この国にとってあまりにも大きすぎる出来事だ。アメリカにおける黒人の歴史を、映画やドキュメンタリーで見てはいても、実際にそれがどういう影響を今持っているのか、実感できることは少ない。特にベイエリアは黒人の住み分けが湾を隔てていて、正直こちらに来てからあまり黒人を多く見かけない。そんな中、昨日の”The View”という番組の中での黒人の司会者の発言が印象的だった。
“The View”はウーピー・ゴールドバーグをはじめ、バーバラ・ウォルターズ等、人種、思想、年代的にも多様な面々が時事問題についておしゃべりをする番組だ。支持政党も分かれており、今回の選挙戦中は番組も随分ヒートアップした。司会者の一人、黒人女性のシェリは、どちらの主張にもそれぞれ共感できるところがあると言って最後の最後までどちらに投票するかを決めかねずにいた。彼女は結局オバマに投票したそうだが、そのことについて話そうとして、彼女は泣き出しながらこう言った。「私がハリウッドで女優になりたいと言ったとき、両親は郵便局に勤めなさい、この国では黒人には出来ることと出来ないことがある、ハリウッドでは黒人は働けないと言った。昨日の夜、自分の息子を見ながら、この子にはそういう人種ゆえの限界があると言わなくていいんだと分かった。限界なんてないって言うことが出来ると。」
正直これを見るまで、「黒人大統領」という言葉をあまり好意的に見ることが出来なかったし、何よりもパウエルが発言した通り「黒人だからオバマを支持するのではなく、オバマだから支持する」という風にならないといけないと私も思っていた。今回オバマに投票した人の中に、黒人なら誰でも良いと思って投票した人が多くいたとは思わない。だけど両者を比較したときに、彼が黒い肌を持つ人間であるということが一つの要素として加わっていた人は結構いるのではないかと思うのだ。そういう思いもあって、アメリカはもちろん、日本の報道で「黒人大統領」が連発されるのを見て、なんだか複雑な気分になった。でも先ほどの発言を聞いて、そんなきれいごとではないのだということが、納得できた。今回の大統領選の結果には二つの側面があるのだ。一つはヒラリーに対しても、マケインに対しても、かなりのハンデを負って選挙戦をスタートしたバラクオバマという人物が当選したこと。そしてもう一つは、黒い肌を持つ人間がアメリカの大統領になったということ。そして人によっては前者より後者の方がより大きな意味を持つこともあるというのは、充分に理解できることなのだと思ったのだ。
今回の選挙を受けて、アメリカンドリームの国、誰にでもチャンスがある国アメリカという思いを、国民が強く意識したという。これによって愛国心がさらに強くなる人々もいるだろう。それが良いことなのかどうか、私にはよく分からないけれど、歴史の流れの中での、大きな一歩であったことは確かなんだろうと思う。今までの8年間に嫌気がさしていたからこそ、オバマに対する支持があそこまで上がったという指摘もあった。決して楽観視できる情勢ではないけれど、アメリカがどんな方向に進んでいくのか、見るのが楽しみではある。
残念な選挙
大統領選と同時に、様々な法案が住民投票にかけられた。こちらでは(特にカリフォルニアは)何から何まで住民投票にかける。それが民主主義だという主張も分かるけど、州の法案だけで10個以上あって、さらにそれぞれの街ごとのものもあって、果たして人々がどれだけリサーチして自分の意見を投票してるのか、それが本当の民主主義なのかよく分からない。一番よく分からないのは”Vote NO on Prop××”とか”Vote YES on Prop××”の類いのCM。どちらもたかだ30秒でその法案の善し悪しを伝えることなんか出来るはずないのに、人々の心につけ込もうとする意図丸見えのCMばかりなのだ。それを見るたびに、民主主義の意義を考えてしまう。
で、今回カリフォルニアで最も話題になったのがProp8。しばらく前にカリフォルニアの裁判所が合憲と認めた同性婚を禁止するための法案だ。そして残念ながらこの法案は通ってしまった。合憲との裁判所の判決があるので、同性婚賛成派は裁判を起こすそうだけれど、投票した人の半分以上の人が同性婚はダメと言ったんだと思うと悲しい。
私は同性愛っていうのは自分で選ぶものではなくて、その人の性質というか、自分の意志とは関係ないところで決まってしまうものなんだと思う。以前自分もゲイになり得ると思うかと聞かれて、考えたときの答えは「好きになった人がたまたま同性なら、なる」というものだった。私自身はそういう経験はないけれど、それはたまたま好きになった人が外国人で国際結婚をした自分と似ている気がしたのだ。国際結婚はもちろん結婚できるし、人権侵害というほどのハードルはないけれど、戸籍とか国籍とか偏見とかで、やはり日本人同士だったらなかったであろう問題にぶつかることもある。私は外国人と結婚したいと思っていたわけではなくて、好きになった人がたまたま外国人だったのだ。だからそれと同じ意味で、好きになった人がたまたま同性だったってことは充分にあり得ると思う。でも私のその返答はかなり風変わりなものと受け取られた。
私が今回の投票結果を見て残念に思うのは、おそらくは未知のものに対する恐怖心から、自分に迷惑がかかるわけではないのにNOを選んだ人が多かっただろうと思うからだ。ゲイが結婚できて迷惑する人なんているんだろうか。反対派の主張は「伝統的な家族を守る」とか「宗教の自由を」とかだったけど、ゲイの家族が出来たからってどうして異性カップルの家族が脅かされるのか分からないし、好きな宗教を信じるのは勝手で、なぜ彼らの意思の自由は認められないのかっていうのが不思議だ。何よりも不快だったのは、「Prop8が通らなければ、小学校で子供が同性婚について教えられることになる」というCM。しかもそれをさも脅威のように煽り立てているのだ。
自分自身もひょんなことから同性を好きになる日が来るかもしれない。自分には来なくても、自分の子供や親戚で、そういう経験をする人が出てくるかもしれない。その時に願うのは、人に迷惑をかけることなく幸せになって欲しいということだと思う。婚姻関係を結べなければ、遺産は家族に取られてしまうし、本人の意思表示ができない場合の医療的選択をすることも許されない。サンフランシスコのゲイを見ていて思うのは、彼らは声高にゲイであることとかゲイの権利とかを主張したいわけではなくて、ただ単に平穏な日常生活を、お互いを頼れる老後生活を求めているんだということ。婚姻という言葉にこだわる人が多いのであれば、Civil UnionをフランスのPACSのようなものにすることも一つの方法だと思う。どういう形が一番良いのか、私にはわからないけれど、ゲイを認めず、彼らのパートナーとしての権利も認めず、直視しようとしないのは、決していい結果にはつながらないはずだ。ゲイカップルの子供の問題も、私たちが目を背けている間にどんどん実際に誕生しているわけだし、目をそらすのではなく、お互いの妥協点を探していくことが、何より大切なんだと思う。無知は恐怖しか生まないのだ。
幕引き
サザンを好きになって、もう15年くらいになる。サザン自体が私より年上なので、どうあがいてもデビュー当時からのファンにはなれないのだけど、初めて車の中で「女呼んでもんで抱いていい気持ち〜♪」を聞いた日から今日まで、私が好きなミュージシャンはいつでもサザンオールスターズだ。当時はまだ小学生だったし、当時流行っていたサザンの曲も「エロティカセブン」だったので、サザンが好きといっても奇異の目でしか見られなかった。それは中学に入ってからも変わらず、私の同世代にファンが急増する「TSUNAMI」現象までそんな状態だった。もちろんお金なんてなかったので、図書館でこつこつとCDを借りてテープにダビングし、夜眠る時と朝目覚まし代わりに毎日聞いていた。当時は年越しライブもWOWOWではなくTBSで、「しじみのお味噌汁」の途中で放送時間枠が終了してしまって、悲しみに暮れながら年を越した覚えがある。自分がいつからファンクラブに入っているのか、いつからライブに行きだしたのか覚えていないけど、気付いたら毎年のライブを心待ちにするようになった。高校生になった頃からは、一つのツアーに2度3度と参加するようになり、大学生の頃はぴあの店頭に徹夜で並んでばかりだった。気付いたら、サザンライブと桑田ソロライブのために、北は北海道から南は福岡まで行っていた。数年前に渡米してからもそれは変わらず、仕事をしてなかったときはライブの度に、仕事をしていたときも休みとタイミングを合わせてはライブのために帰国した。
どのライブだったか忘れたけど、大森が脱退し毛ガニがお休みし、最後ステージで手をつないだメンバーが4人になった時、ライブの余韻よりもただ寂しさでいっぱいになった。そしてこれもいつの頃からだったか覚えてないけれど、桑田さん、しんどいのかもって思うようになった。「キラーストリート」が出た時、これで解散するんじゃないかという噂があった。それもあり得るんだろうなぁと思った。今のサザンファンはサザンに新しさを求めてくれない。やってくれるねっていう、ソロの「東京」みたいな曲を出さなくても、エロくて夏っぽくて、あるいはバラードであれば売れてしまう。それはそれでお決まりなりに楽しいのだ。新曲の振り付けを覚えてライブで皆で踊る。でも桑田さんにとって、それはある意味手抜きというか、自分の限界に挑戦することとは対局にあることで、だからこそこのままではいけないっていう葛藤があったんんだろうと思う。
私がサザンがこれ以上変わらないのは無理だろうと感じたのは、2007年の桑田ソロツアー「呼び捨てでも構いません!!」を見たときだ。そもそもこのツアーに向けて出された「明日晴れるかな」と「風の詩を聴かせて」を聞いたときに、ん???とは思ったのだ。なんでこんななんとなくバラードな当たりも外れもしないような2曲がシングルなのだと。噂ではアミューズがお金ないからCMとか映画のタイアップばかりやらなくちゃいけないっていうのも聞いたけど、そうだとしてももうちょっと桑田ソロじゃないと出来ない曲とかないのかなぁって、偉そうだけど1ファンとして思ったのだ。そしていざ初日の福岡に合わせて帰国したのだけど、初日ってこともあってか会場のせいなのか分からないけど、終始斎藤誠さんのギターチューニングがずれたままで、感動的なはずの「白い恋人達」の間奏部分でさえも聞いてられない程だった。ピアノとギターの音がずれているのだもの。そして初めて、アンコールを聞かずに帰った。さらに後日横浜アリーナのアンコールで、ソロとしては初めてサザンの「希望の轍」をやったと聞いて、あ〜って、そういうことかぁって、なんだか分かった気がしたのだ。今のサザンのままでは、桑田さんは思う存分ソロ活動をすることも出来ないんだろうって。だからきっと、そろそろサザンは変わらなくちゃいけないんだろうって。
そんなわけで、サザン無期限活動休止のニュースをアメリカで聞いて、ショックはショックだけど、仕方ないよねっていうのが正直なところだった。真夏の大感謝祭の最終日、大雨の中で桑田さんは「この夏が終わってしまうのが寂しい気もしますが、これでやっと終われるのかなっていう気持ちもあります」と言った。ドキュメントの中では、ファンからの「30周年おめでとう!」の掛け声の後には「一分でも一秒でも早くこの場から出たかった」とも。居心地が悪いから、嫌だから活動休止するわけじゃない。なんか別れ際の恋人みたいだと思った。嫌いになって別れる人なんてそんなにいない。ずっと一緒にいたんだし、過ごした時間が長い分、楽しい思い出も人一倍持ってる。だけど、お互いが前に進むためには離れるしかない。
あの日から何度目の夏が来ただろう
出会ったり別れたりくりかえし
美しい思い出も大切だけど
人生はこれからを夢見ることさ
大好きな曲を、もう生で聞けないと思うと寂しい。サザンで〜すという彼らに会えないのが寂しい。新曲だツアーだと騒げないのが寂しい。だけど、サザンにとって必要な、前向きな休業だったのだから、ファンとしては「ありがとう、お疲れさま」と言って見送ることしか出来ないように思う。いつの日か、サザンの曲を楽しく演奏できる日が来たら、是非復活してください。もし来なくても、自分の音楽を楽しんでください。私も音楽とともに人生楽しみます。
建設的
海外に出た日本人の例に漏れず、今更ながらに日本ってって色々気になる今日この頃。
先日も仕事場にあった本を借りて読んでみた。
なんか日本像の総括って感じでしたが、色々と面白かったです。
ゲイシャ、フジヤマっていうノリではなくて、なぜそういうものばかりが
日本研究になってしまったのかっていう視点で描かれていて、結構新鮮な本でした。
んで、その他にも江戸末期の本とか最後の将軍徳川慶喜とかの本を読んで(これは授業で教えるからでもある・苦笑)、その流れで先日手に取ったのがこちら。
小泉八雲っていう名前は聞いたことあったし、上記の他の本でも色々と引用が出て来たりしていたので、それもあって読んでみたのですが、結論からいうとなんとも後味の悪い本でした。それもこれもAmazonのたった一つのレビューの最後の一文に尽きます。
「たぶん、研究しているうちに著者はハーンのことが嫌いになってしまったのだろう」
そう、あんまりにも敵意むき出しで、ハーンがいかに冷静に日本を見られなかったか、彼の調査方法にいかに問題があったかとか、そんなことばかりが一冊続く。たしかに著者の指摘は間違いではないだろうし、歴史的裏付けや根拠も示されている。でも結論が「だからハーンはそんなにすごくない」っていうのは、なんだか腑に落ちない。むしろ、そうやって批判するのであれば、そういう問題点はあった上で、じゃあハーンの作品の意義がどんなところにあるかを述べてくれないと、読んでる方としてはちっとも得る物がない感じがしてしまう。
読み終わって後味の悪さを旦那に愚痴ったら「建設的じゃないとつまらないよね」と言われ、その通りと納得した。この本はどこまでも建設的ではない。ハーンはたしかに今でいう文化人類学の手法から考えても、社会学的に考えても、情報収集とか記述の仕方に色々な偏りや脚色がある。だけど、彼は決して文化人類学的研究をしようと思ったわけではないだろうし、社会学的な論文を書こうと思ったわけではないはずだ(無論まだそんな学問なかったし)。日本という国に魅かれて、そこに住み着き帰化もして、それでもなお理解できない日本のことや、自分を受け入れてくれない日本人との関係に悩みながら、自分なりに分かっていることを発信したまでだと思う。その文節の端々を捕まえて、やれ誇張だとか脚色だというのは、ただ意地が悪い。
最終章にもともとチェンバレンの研究をしているのだけど、それとよく引き合いに出されるハーンということで、本当にハーンはそこまで親日なのかっていう疑問をもって調べた結果の本だというようなことが書いてあって、なるほどと納得はするんだけど、やっぱりだから良い本だとは思えないし、せっかくやるならもう一歩踏み込んで欲しかった。
ということで反面教師ではないけれど、ブログであれなんであれ、自分からの発信というのは建設的でありたいものです。
八月十五日と私
「堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍」ぶのは国民だと思っていたら、
「然れども、朕は時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ、
以て万世の為に太平を開かむと欲す」という文脈なのだと、今さっき知った。
玉音放送を聞いてみんな落胆し泣き崩れたのだろうと勝手に思い込んでいたが、この本を読んでみると、実はほっとしたとか、よく分からなかったとか、当たり前ながら色々な思いがあって、妙に納得した。
一番印象的だったのはなだいなだの話。
チフスの病人を病院まで運ぶのに列車では伝染するからと断られ、父親と一緒に病人をリヤカーに乗せて運んでいる途中、美しい松原の景色を見ながらお昼を食べていた頃に玉音放送が流れたんだろうけれど、自分はその存在自体知らなかったと。
「そのとき歴史が動いた」とか、あとから振り返れば劇的瞬間はある。
だけど、そのときそこで生きていた人にとっては、それもまた日常の中の一ページなのだ。
一番心が痛むのは、敗戦の玉音放送を聞いた後、浅間山に飛び込んでいったパイロットの話。戦争に負けたのに自分はなぜ生きているのだと、自分を責める人の話。思想というのは、生物の一番根幹にある生存本能にまで逆らわせることが出来るのだ。その威力と脅威。
いくつか、外地で終戦を迎えた人の話も載っていた。
中国や朝鮮が日本の植民地になり、軍人だけでなく民間人までもが移住し、日本人であるというだけで特別扱いされて暮らしていたなどという事実を、私は習ったことがない。もちろん自分の勉強不足を棚に上げるつもりはないけれど、私が習った歴史では、満州事変こそ習ったものの、それはすぐに欧米との戦いにつなげられてしまい、アジアにおいて日本が何を目指し何を強いたのかということは触れられなかったように思う。大日本帝国という言葉を知ってはいても、それが具体的にさすところ知らないままであった。
生まれてくる時代がほんの数十年違っていれば、自分もこの日を生きていたかもしれない。もはや東京にその記憶を彷彿とさせるものはほとんどない。身近な戦争経験者もあまり多くを語らない。しかし大切なのは、もしまた同じように日本が不毛な戦争に踏み込もうとしたときに、過去からの学びをもとにNOと言えるようになることだと思う。メディアや政治家の言うことを鵜呑みにしていては、また同じことの繰り返しになるだけなのだ。本書の中の唯一の西欧人ヨゼフ・ロゲンドルフの言葉がなんて説得力を持っていることか。
「日本に弱点があるとすれば、それは多くの人があまりにも安全第一主義を取りすぎることだろう。単に経済の面ばかりではない。わたしがの言いたいのはむしろ、ひとと同じことを考えよう、言っておこう、そうしておけば間違いはないという日本人の本能的願望、つまり付和雷同の性向である。」 —ヨゼフ・ロゲンドルフ