アメリカ化する日本

「おしゃぶり」提訴和解

おしゃぶりの使い過ぎが歯並びに悪いって、
母親じゃなくても知ってるような情報じゃないんだろうか。
自分の無知が引き起こしたことなのに人を責めるってどうなのよ。

自分の準備や下調べが甘かったのに、なにか起こると人のせいにする。
自分の落ち度は認めずに、おおげさに訴えて騒ぎにする。

そういう人は沢山いると思うけど、母親が自分の子供に関してこれでいいんだろうか。
添加物とか農薬使った食材を目一杯食べさせて、何か影響が出てきてから
パッケージには書いてなかったって訴えるんでしょうか。

まるでアメリカ。
どんなに便利なものにも必ず弊害はあるわけで、
それは自分で調べた上で自分で決めるべき。
書いてあることが全てだなんて夢物語でしょ。
書いてなければ何やっても良いわけじゃないし、
そんなこといったら、注意書きがどれだけ長くても足りない。

アメリカで、洗った猫を電子レンジで乾かそうとして殺しちゃった人が
電子レンジ会社に勝訴したって話を聞いて、
アメリカって無茶苦茶だよねぇって言ってたのに、
これじゃあ日本も何も変わらないですね。

日本人も「すみませんでした」とか言わなくなって
「私のせいではありません」が代名詞になる日も近いのだろうか。

ま、勝訴ではなく和解だったので、
この原告側の意図がどこにあったのかは不明だけど、
それにしても後味の悪いニュースだなぁ。

人と会う

先週末、かなり久しぶりに友達が家に遊びにきてくれた。
思い返してみると、仕事が本格的に始まってからは、
誰かを家に呼ぶこともなくなって、
そのまま引越に突入してしまったので、かれこれ数ヶ月ぶりかもしれない。
それがどうってことない人もいるんだろうけど、
日本にいたときはほぼ毎週家で誰かと集まっていた私には驚きの事実だった。

久しぶりのゲストだったのに土曜仕事なので
あまり手をかけた料理も用意できず。
でも焼きたてのパンと美味しいチーズ達、
ゲストが持参してくれた食べ物や飲み物もあり、
とても美味しい食卓を囲むことが出来た。
まだ9ヶ月のお子さんも一緒だったので、
お昼寝の時間に合わせて夕方にはお開きになったんだけれど、
たったの3時間くらいだったけど、とっても楽しくって、
なんだか人に会うってこんなに楽しくって
リフレッシュできる事だったんだと改めて実感。
Tさん一家に感謝です。

今年の目標はアクティブにって言ってたのに、
引越やら妹犬のことやらで引きこもりがちだった今日この頃。
少し遅めのスタートですが、人と会い、一緒に時を過ごして、
色々なことを体験できる年にしようと思いを新たにしています。

夢の役割

パプリカをみた。
期待していなかったせいもあるけど、すごく良かった。
東京ゴッドファーザーズもそうだったけど、すごく現実離れしているようでリアルな感じ。
想像していたよりもグロテスクでなくてよかった。

そんな映画を見たせいか、幾晩か続けて夢を見た。
というか、見た夢が、醒めた後も記憶に残っていた。
夢って自分の心に在ることを、良いことも悪いことも映し出すように思う。

妹犬が旅立ってから数週間後に、実家の夢を見た。
そこは薄暗くて、父と母が泣いていた。
亡くなった妹を想って、泣いていた。
夢から醒めたら、あまりの悲しさに涙が止まらなかった。

予言とか暗示とか言い出すつもりはないけれど、
それはやっぱり心の叫びだった。

心の叫びは叫びにしかならないし、
心の悲しみは悲しみにしかならない。
だからこそ、そのままの形で出してあげなくては。

そう思って行動した。
そしたら心が落ち着いた。

もう一つは教訓的な夢。
大切な人が私の軽はずみな行為のせいで傷つけられそうになる。
私は自他ともに認めるわがままではあるけれど、
それでも、その人をそんな風に傷つけてしまうようなことだけは
してはなるまいと、目覚めてから思った。

いつかきっと、この夢に感謝する日が来るような気がする。

身近な死からいつも考えること

死はいつも突然だ。
降って湧いたように突然で、
それでいて絶対に元には戻れない境界を作ってしまう。
こんなに絶対的なものが、この世の中に他にあるだろうか。

死によって遮断された時を和らげることが出来るのは、時間だけだ。
誰かの死を乗り越えることはできない。
あるのは慣れなのだ。その命が旅立ってしまったという事実に慣れること。

いつか自分の親、兄弟、そして自分自身も突然死ぬ。
どれだけ病床に伏せていたとしても、死はやっぱり突然だから。
それは万人、そして命ある全ての存在に平等に訪れるもの。

だからこそ今を大切にしよう。
死によって時空が分たれた後、
元に戻れなくて後悔することがないように。
今言える言葉は今伝えよう。
会いたい人には会いにいこう。
流したい涙も今流し、叫びたいときには叫ぶ。
たまには愛をささやこう。
感謝の言葉を伝えよう。

もしも私かあなたの命に明日がないのだとしても
もしも命の旅立ちを見とれなかったとしても
それでも後悔しないように。

実際には突然である以上誰もが後悔するんだけれど、
だからこそせめて心構えをしておかなくては。
いつ誰が旅立つか分からない。
それくらい命って不確定なものなのだ。
当たり前で気付きにくい事実。

間に合わなかった

2/3、節分生まれの私たち。
記念日を忘れないようにと、2/4に入籍した私たち。

そして今日、2/5、私たちの妹犬が旅立ってしまった。
あなたの最期にいられなくてごめん。
最期までこの胸に抱きしめたかったよ。
あなたが苦しいとき、そばにいられなくてごめん。
あなたはいつも泣いている私を励ましてくれたのにね。

本当は春休み日本に帰れば良かったと思う。
本当はこの間帰ったとき、もっと家にいれば良かったと思う。
あなたはまだまだ元気だったから、
こんなに早く旅立ってしまうとは思わなかったんだ。

誰かが旅立つとき、後悔は後を絶たないけれど、
でも私が言いたいのはただ、ありがとう。大好きだよ。

私たちが忘れないように、でも重ならないように
今日まで頑張ってくれたのかな。

それでも間に合わなかった。
ごめんね。

アメリカ国内引越業者

引越業者で迷うのは、日系にするかどうかという点が大きいと思います。
私は今回の引越ではアメリカの会社にしたのですが、当初は日系にしようと考えていました。
そこで調べた情報が何かお役に立てばと思い、まとめます。

私は日本からアメリカへの引越を日通でしたので、
そのときお世話になった方に連絡してまず見積もりをもらいました。

日通のメリット
・パッキングとか当日残ってたらただでやってくれる
・段ボールやガムテープをタダでくれる
・見積もり金額で確定なので、引越作業が長引いたりしても追加料金を取られる心配がない
・日本語で交渉できる
・安い保険料で高額の保険がかけられる

日通のデメリット
・土日が休み(私たちの第一希望は日曜日)
・もとのアパートも新居も3階で階段のみなので、その分の追加料金が見積もりに入る
・日通の方で他の引越が入っている日だと料金が高くなる

その後、やはり見積もりは複数社からということでクロネコさんにもお願い。
こちらは条件は日通とほとんど一緒でしたが金額がほぼ1.5倍!
しかも保険料が高い。ので、今回は選択肢から外しました。

その他にも日系の引越業者はあります。
遠藤運輸は評判がいいのですが、私は引越予定日が2週間後だったためか
すでに予約がいっぱいでお願いできませんでした。
また、レビューで見つけただけですが、
ジャパンエクスプレスという会社もあるそうです。

いくつかレビューを見ていて、アメリカの会社の方が
英語さえ問題なければ安いというレビューを読んで、
アメリカの会社にも見積もりを取ることにしました。

アメリカの引越会社は掃いて捨てるほどあります。本当に。
なので選ぶ際私がポイントにしたのは「チェーン店ではなく、
ローカルでやっているお店で、家まで無料見積もりにきてくれるところ」です。

チェーン店を選ぶ場合は、支店によって差があるようなので、
本部とかに電話して、自分のエリアでAwardを取った支店とか、
評判のいい支店を教えてもらうといいという書き込みを見ました。
私はやっていませんが、ご参考まで。

知り合いで、チェーン店に依頼し、見積もりのときには
テレビはこのままでブランケットをかけて運ぶと言われたのに、
当日になって梱包しないと運ばないと言われてその梱包材の料金を請求され、
見積もりの4倍を支払う羽目になったというケースがあります。
運ぶ人曰く、皆勘違いしていて困るということだったので、おそらく毎回
見積もりの人が誤った情報に基づいて見積もりを出しているのでしょう。
こういう事態を防ぐには、まず見積もりをする人が当日もいるかどうかを確認すること、
あるいは見積もりの金額でFixになるようなプランを選ぶこともできます。

いくつか見た中で今回頼んだのはAll Care Movingという会社。
見積もりに来てくれたのは背の高いタイソンという人。
名刺をもらったらこの人が会社のオーナー。
オーナー自らが見積もりに行くというのは随分好感が持てます。
私たちは見積もりをもらっても即答はしなかったのですが、
その時に彼が、
「自分は18年この仕事をしてるから、見積もりは正確だよ。
もしなにか予期せぬ事態があったとしても(アクセスしにくい
部屋とか狭い通路とか)、10%以上の誤差は出ないはず。」
と言ったのを聞いて、私たちはとりあえずここに頼むことに決めました。

引越当日は1時間遅刻しましたが一応電話連絡はあり
(連絡があれば良しとしないとアメリカの会社は使えないと思います・苦笑)。
タイソンともう一人同じくらい背の高い人、二人でひょいひょい荷物を運び、
見積もりよりも短い4時間で引越完了しました。
普通は運ばないという植物も運んでくれて、大満足でした。
壊れたものもありません。

All Care Movingのメリット
・安い
・土日もやっている
・オーナー自ら見積もりにきて、信頼できる
・本当に大柄な人で段ボール二つとか持てるので早い
・段ボールでなく紙袋に入ってるものとかも関係なく運んでくれる
・パッキングも頼みたければ前日までに電話すれば追加料金無しでやってくれる
・何階かとかエレベーターがあるかどうかでは加算なし

All Care Movingのデメリット
・時間に少しルーズ(でも連絡はあります)
・時間で加算なので、長引くと高くなる(これは見積もりの正確さ次第)
・土足で入る

そんなこんなで、見積もりでは$90×5h=$450だったのですが、
結局はミニマムチャージの4hで終えてくれて、$90×4h=$360と
さらに安い値段になりました。気に入ったのでチップも多めに
払いましたが、日系の会社の見積もり($650と$920)にはいかなかったです。

引越業者に頼む以外に、自分でトラックを借りて引越方法がありますが、
よほど力持ちの家族がいない限り、結構大変だと思います。時間もかかります。
そしてそこまで安くならないようです。

友達に頼むのは友達次第ですが、食事をおごったりしていると、
結局そんなに安くは上がらないという書き込みをいくつか見ました。

ということで、私なりの今回調べた情報をまとめてみました。
とはいえ、これはあくまでうちの引越の場合なので、
子供がいる家族や、大型の家具(ベッドやダイニングセット他)がある場合、
あるいはアパートでなく一軒家からの引越であれば当然価格が変わってくると思うので、
そこらへんは参考程度にみてください。ということで、何かお役に立てれば嬉しいです。

アメリカ国内引越

引越は無事完了。南に20マイル程移動しました。
自分のための覚え書き、そしてもし同じように州内引越する人がいればと思い記録することにします。

・大型の家具はなるべくなくす
私たちは数年後にフランスに引っ越すだろうこともあり、
大型の家具は全部なくすことにしました。
ダイニングテーブルをなくしてリビングで床生活。
ベッドではなく布団という感じです。
結局本当に大きな家具は本棚とソファベッドだけになりました。

・割れ物は自分で包んで自分で運ぶ(=最小限に減らす)
日系の会社に依頼するのであれば頼んでも問題ないと思いますが、
安く済ませるためには下記のとおりローカルの業者に頼んだ方が良いと思うので、
その場合は自分で運ぶことをオススメします。
トラックで揺られるより、自家用車の助手席で固定されている方が安全です。

・梱包は自分で
ローカルの会社であれば料金は実際にかかる時間次第です。
なので自分で出来ることは自分でやった方が得です。
私は日本から引っ越してきた時の段ボールや梱包材を全て取っておいたのですが、
それが今回とても役に立ちました。

・業者はローカルの小さい会社が良さそう(口コミやレビューを参考に)
これは今回の私の経験から思うことです。(詳しくは次のエントリで)
日系の会社は安心ですが、その分の安心料がかかります。
自分でできることをやって、リスクを減らした上であれば、
ローカルの会社を吟味して頼んだ方が随分お得になると思います。

ということでざっとまとめましたが、よくよく見ると
別にアメリカ国内引越だからってわけでもないですね・笑。
国際結婚だからなのか、今後も引越は避けて通れないみたいですが、
少しずつ効率的にできるようになりたいです。

Panton

私のモットーは「見た目より実用性」なので、基本的にはデザイン自体にはこだわらないほうだと思うんだけど、一つだけ忘れられない写真があって、それは言葉ではうまく言い表せない空間のデザインだった。多分その写真欲しさに本を買ったはずだけど、引越のさなかそれはどこにあるのやら・・・。

そんななか、年明け早々引っ越し準備に追われながらも
新居での生活を色々練っていて、旦那と元旦にピザを食べながら行き着いた結論。
・ベッドじゃなくて布団
・ダイニングテーブルじゃなくて座卓で床生活

そんなわけで色々売り出しつつも座卓と座椅子を探しまわる日々。
そしたらあったんです。もんのすごいビビビッと来てしまった座椅子。
Pantonのその名も”Tatami Chair“。

しかし製造元が日本の会社だから、需要が少ないのか、こちらでは売ってる様子は皆無。
ネットで引っ掛かるのはデザイナー家具用オークションサイトとかだけ。
そんなわけで実はまだ買ってはいないのですが、なんとか手に入れます。絶対。

んで、何が肝心かっていうと、前述の忘れられない写真、それが同じ人の作品だったのです。
何たる偶然。というか私はよっぽどこの人のデザインが好きみたい。
パントンさんのVisionaIIという作品だったらしい。
panton

自分家の居間がこんなんがいいとずっと思ってきたのですが、
興奮してこれを旦那にみせたら「面白いけどそのうち気が変になると思う」っていわれた。
それでもTatami Chairには好反応だったので、デザイナー家具で高くても、
日本からの輸送費で値段が跳ね上がっても、絶対絶対手に入れてやる!

モモからのメッセージ

中学生や高校生の国語を担当していると、数多くの名文に出会えます。
生徒に読んでもらいながら、自分が一番感動しているなんて事もしばしばです。

先日出会った文章は「モモ」の作者、ミヒャエル・エンデの朝日新聞への寄稿でした。
生徒は魂をゼーレと読むことがおかしいらしく、ずっと笑い転げていました。
私は一人で感動に浸っていました。

先日のWilburでの時間を思い出したりしました。
日本とアメリカを行き来する日々の中で、
時々自分の心がついてきていないように感じる時があって、
そういう瞬間を思い出したりもしました。

東京に住んでいた頃、時々思いついては出先から徒歩で帰ったりしました。
そのために小さな東京の地図は必需品でした。
電車で30分の道のりを、2時間、3時間かけて歩いていると、
自分たちがいかに不自然なスピードで動き回っているのかを痛感しました。
アメリカに来て、この車社会で、それはひどくなる一方なのですけれど。

私の今の職場だって、歩いたら3時間では済まないでしょう。
私の生活範囲はすでにバーチャルと呼ぶにふさわしい規模に広がっています。
それでもその便利さを手放せるわけでもなく、今日もまた車に乗って出かけるのです。

* * * * * * * * * * * * * * * * * *

モモからのメッセージ      ミヒャエル・エンデ

 何年かまえ、中米奥地の発掘調査に出かけた研究チームの報告を読んだなかに、こんなことがありました。
調査団は、必要な機器等の荷物一式を携行するためにインディアンのグループをやとった。調査作業の全行程には完壁な日程表ができていた。そして初日から4日間はブログラムが予想以上によくはかどった。運搬役のインディアンたちは屈強で従順で、日程どおりにことが進んだのだ。ところが5日目になって、彼らは先へ行く足をぷっつり止めた。だまって全員で輪になり、地べたに座りこんで、もうテコでも荷物をかつごうとしない。調査団の人たちは賃金アップを提案したが、だめだった。叱りつけたり、ついには武器まで特ちだして脅したりしてみたが、インディアンたちは無言で車座になったまま動かない。学者たちはお手上げの状態で、とうとうあきらめた。日程には大幅な遅れが生じた。と、とつぜんー2日後のことだったーインデイアンたちは同時に全員が立ち上がった。荷物をかつぎあげ、予定の道を前進しだした。賃金アップの要求はなかった。調査団側から改めて命令したのでもなかった。このふしぎな行動は、学者たちにはどうにも説明のつかぬことだった。
インディアンたちは、理由を説明する気などまるでないらしく、口を閉ざしたままだった。ずっとあとになって、白人のグループの数人と彼らとのあいだにいくぶんの信頼関係が生じてから、はじめてひとりが答えをあかした。
「はじめの歩みが速すぎたのでね」という答えだった。
「わたしらの魂(ゼーレ)があとから追いつくのを待っておらねばなりませんでした」

 この答えについて、私はよく考えこむことがあります。
工業化社会の文明人である私たちは、未開民族の彼らインディアンから、学ぶべきところまことに大きいのではないでしょうか。
私たちは、外的な時間計画、日程をとどこおりなくこなしていきます。が、内的時間、魂の時間にたいする繊細な感情を、とっくに殺してしまいました。私たちの個々人にはもはや逃げ道がありません。ひとりで枠をはずれるわけにいきませんから。私たち自身がつくってしまったシステムは、容赦なき競争と殺人約な業績強制の経済原理です。これをともにしないものは落伍します。
昨日新しかったことが、今日はもう古いとされる。先を走る者を、はあはあ舌を出しながら追いかける。すでに狂気と化した輪舞なのです。だれかがスピードを増せば、ほかのみんなも速くなるしかない。この現象を進歩と名づける私たちです。
が、あわただしく走り続ける私たちは、はたしていかなる源から遠ざかりゆくのでしよう?私たちの魂からですって?そう、私たちの魂は、もうはるか以前に路上に置き捨てられました。それにしても魂を捨て子にしたことで、肉体が病んでいきます。だから病院や神経治療施設は、ひとびとであふれています。魂不在の世界 これが私たちの走りゆく目的地だったのでしょうか? 
もうほんとうに不可能でしょうか、私たち全員が狂気の輪舞をいっせいに中止して、おたがいに車座になって大地に座る、そして無言で待つ、ということは?

 もうひとつの「答え」のことは、文化人類学者の友人から最近聞いたばかりです。
これもひとりのインディアン女性の口から出ています。その友人が旅先で出かけた山の頂上にインディアンの村があった。その地方一体には水源がたった一カ所にしかなくて、それは山のふもとの井戸だった。村の女たちは、毎日半時間の坂道をおり、帰りは重い水がめを肩にして一時間、山をのぼっていく。友人は、女たちのひとりにたずねた
「いっそ村ごと、ふもとの水源近くに移したほうが賢明ではないかね」 女の答えはこうだった。
「賢明、かもしれませんね。でも、そうしたら私たちは、快適さという誘惑に負けることになると思います」
私たち文明人には、この答えはさきほどの答え以上にいぶかしく聞こえるのではないでしょうか?快適であることが、なぜ誘惑と呼ばれるのか?
私たちが手にした洗濯機、自動車、エレベーター、飛行機、電話、ベルトコンベヤー、ロボット、コンピューター、要するにおよそ現代社会を構成するすべてのものは、快適な生活のためにつくられたはずです。それとも?
これらのモノは、暮らしをらくにします。骨の折れる仕事から私たちを解放し、もっと本質的なことのために時間をめぐんでくれる。そうではなかったでしようか、私たちを解放するんでしょう?そうです、確かに。
ただ、何から解放するのでしょう?ひょっとして、まさに本質的なことから?だとしたら、いったいどうなっているんでしょう?私には、あの奇妙な言葉を口にしたインディアン女のほうが、ほんとうはこの私たちのだれよりも、ずっとはるかに解放されて自由なのだ、という思いがつきまとって離れません。 
 聖書にも、これに似たふしぎな言葉があります。
「人は、たとえ全世界を手に人れても、自分の魂(ゼーレ)を失ったら、何の益があろうか。(マタイ伝16・26)」
何、言ってる、魂がどうのこうのだって!そんなもの、我々はどこかの路上にとっくに置き忘れてきたよ。未来の世の中は徹底的に快適で、完全に本質不在の世界になってるさ。
あなたはそう思いませんか?

立つ鳥跡を濁さず

自分がいなくても、世界は確実に前に進んでいく。

初めてそう思ったのはいつだっただろう。
卒業後に小学校を訪れたときか、
あるいは桐朋を訪れた時だったかもしれない。

懐かしい校舎、匂い、先生。
いつもあった場所にいつも通りに並んでいるロッカーには、
もう知らない生徒の名前があって、先生達は忙しそうだった。

こうやって世界は進んでいく。
自分にとって自分は不可欠な存在だけれど、
今自分が属している世界にとって、自分が不可欠なわけではない。
多分そんな状況は滅多にない。

数ヶ月も経って前のエントリと同じ結論なんて進歩もない感じもするが、
やっぱり結局学校や団体や職場とか、
形ある場所は自分がいなくなってもちゃあんと前に進んでいくのだ。
自分がそこでやりがいを感じ、時に生き甲斐をも感じていたもの達は
私でなければ出来なかったものではなくて、
私がいなければ他の誰かがやっていたであろうことたち。
無論やり方は違ってくるだろうから、そういう意味で言えば私にしか出来なかったんだけど。

それでなんで数ヶ月ぶりにまた同じことを考えているかって言うと、
最近痛感していることが「人間、引き際が肝心」ってことで、
これも突き詰めていくと同じことなんだと思うのだ。

責任を持って何かをやっていた人間にとって、それを手放すのは寂しい。
時には自分の一部をもぎ取られるような気持ちさえなるのかもしれない。
しかもそれを人に譲るってことになるとさらに気持ちは複雑になる。
責任感が強ければ強い程、自分に厳しい人であればあるほど、
自分がこなしてきたことを人にも求めてしまうし、そこに口を出したくなるはずだ。
だけどそれは一番してはいけないことだと思う。
自分が去ると決めた以上、たとえそれが短期でも長期でも恒久的なものでも
まずは自分がいなくてもその世界が成り立つことを認めて、
そこに自分の居場所がないことを認めて、そして手を引かないといけない。
自分の知識や経験を伝えるというのはもちろん大事だけれど、
それは一朝一夕で伝わるものではないから今までどれだけ共有できていたかで決まってしまう。
それまで一人でやってきた人が、去るときになって伝えようと思っても、
それは文書とか表面的な言葉にしかならなくなってしまうように思う。

と、つらつら書きましたが、
要は実際にそういう状況に置かれてみてわかったのは、
残された側にもいらないストレスが溜まるということ、
そして本人に対して不必要な嫌悪感が募ってしまうということ。
だからもうきれいに飛び立ってくれないかぁ。