Daughters

I know a girl
She puts the color inside of my world
but she’s just like a maze
Where all of the walls all continually change

僕の世界を色付きにした女の子がいる
でも彼女は迷宮だった
まるであらゆる壁が常に変わっていく迷路みたいに

And I’ve done all I can
To stand on her steps with my heart in my hand
Now I’m starting to see
Maybe it’s got nothing to do with me

僕は 出来ることを全部やった
彼女の歩みに 命を懸けて寄り添った
でも今になって やっとわかってきたんだ
もしかしたらそれは 僕とは何の関係もなかったのかもしれない

Fathers, be good to your daughters
Daughters will love like you do
Girls become lovers who turn into mothers
So mothers, be good to your daughters too

お父さん あなたの娘を愛してあげて
彼女はあなたがしたのと同じように 人を愛するだろう
少女達はやがて恋人になって いつの日か母になる
だからお母さん あなたの娘を愛してあげて

(John Mayer, 2003)

イニシエーション

PLEASANTVILLE“を観た。実は前にも観たことがあったと途中で気がついた。でも、前に観た時はこんなに考え込まなかったな。

「人生はイニシエーションの連続だ。後戻りはできない。それを表現したかった。」

「蝶の舌」という映画を撮った監督の言葉。
「蝶の舌」は未だに見ていないけど、この言葉だけは心に深く刻まれたまま薄れることがない。

何かを経験したり、誰かに出会ったり、何かを話したり、何かを見たり、あるいは毎日のルーティーンのような生活の中で何かを発見したり。どんな些細なことも、私たちは巻き戻すこともやり直すことも出来ない。その些細な出来事が起こる前の自分に戻りたくても、そんなことに気付いてしまった自分を否定したくても、私たちはもうそのイニシエーションを受けてしまっていて、それをなかったことにはできないのだ。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と、栖とまたかくのごとし。」
『方丈記』鴨長明

「こうしてこの時が 続けばと願ってから 人生はやがて たしかに終わると感じた」
『風の坂道』小田和正

このままでいたいと思う時がある。この幸せを、この瞬間をどうか続けたいと思う時がある。だけど全てのものは移り変わる。諸行無常。自分だってそうなのだ。今の自分と明日の自分は違う。もうあの瞳に会えないように、私はかつてそうしたように君の目を覗き込むことは出来ないだろう。

私たちはやり直すことも、
取り消すことも、
留まることもできない。

だからどうか、毎日を味わい尽くそう。

何のために生きるのか

人生のゴールは死ぬことだ。

結局自分は人類っていう種族の連綿と続いていく命の鎖の一つに過ぎない。
その大きなうねりのような人類の命の営みの中の、たった一つの鎖として、私に何が出来るのだろう。

偉業を成し遂げたいとか、有名になりたいとか、自己実現を目指すとか、
そういう気持ちはもちろん否定しないし、それはそれでいいのだけど、
それが生きる目的かと問われれば違うと思う。

そもそも自分で産まれようと思って産まれてきた人間なんていないんだし、
生きようと思って生き続けている人も多数ではないはず。
多くの人はたまたまこの世に生を受けて、そのまま毎日生きている。
それなのに自分の命そのものに意味を求めることがおかしいと思うのは理不尽なんだろうか。

命なんて自分で手に入れたものじゃなく、ましてや自分のものと言い切れるものでもない。
なぜなら自分だけに影響するわけじゃなくて自分の先に続くはずの鎖全てに影響するから。

だから何のために生きるのかと聞かれれば、子孫を残すためってことになる。
そういってしまうと残念ながら子供が出来ない人に失礼なのかもしれないけど、でも結局やっぱりそうなのだ。そして子孫を残すことこそが人類という種族の唯一の目的だからこそ、不妊治療とか代理母とかっていう技術が発展し得たんだと思う。

時々、社会的な成功とか充実とかを、命の目的だと勘違いしてしまう。
ゴールに辿り着くまでをどう生きるかっていううちの一つを、それこそが目的だと思い込んでしまう。
日本は人生のレールががっちりと敷かれているからこそ、余計にその先にあるものが目的のように感じられてしまう。
私はずっとそう思っていた。高校を出て大学を出て、就職して昇進して、何かしら名を残せるようなことをしたい。そう思っていた。
でも実際にレールを外れてみて、レールの先にあるものが必ずしもゴールではないと気付いた。

ゴールに辿り着くまでの道は、どんなでも良いはずだ。
がむしゃらに走っても、ゆっくり歩いても、のんびり休みながらぶらついても。
できたら衣食住には困らずに、自分の歩んできた道を愛おしみながら命の目的地に辿り着きたい。
だから今出来ることって言ったらとりあえず「衣食住には困らずに」いられるようにすることかな。
誰かに食べさせてもらっても、誰かに食べさせてあげても、どっちでもいいんじゃない。
そう思ってくれる、そう思える相手がいるのなら、それでいいんじゃない。

人を好きになる

人を好きになるって素敵なことだ。

恋とか愛とか、男女とか、そういうことじゃなくて、
その人と会えると嬉しくて、その人と話すと楽しくて、毎日が少し色鮮やかになる。

アメリカに来てから人と出会う事自体ぐっと減っていたのだけど、
最近そういう出会いが訪れて、なんだか素直に嬉しい。

高校生くらいまで、私は人の好き嫌いが激しかった。
特定のグループには属していなかったから、
嫌いな人とか合わない人と無理に付き合う必要がなかったし、
そうでなくても嫌いと思ったら拒絶していたように思う。
それはそれで自分の性格で、別に良いと思っていたけれど、
後にわざわざ敵を作る必要はないのかもって思ってからは、
嫌いな人からこそ学ぶべきところまことに大きいということ、
そして人を嫌うのはすごくパワーが必要で、
しかも自分には「負」しか残らないということに気がついた。

そういう心持ちでいると、結構どんな人にもいいところがあるものだ。
八方美人と言われればそれまでだけどね。
それでもこの人だけは側にいたくないかもっていう人はごく稀にいて、それは「邪悪」な人。
だけどそんな人も、多分こういう言葉しか浴びて来なかったんだなぁと思うと、
以前のように嫌うパワーを使わなくなる。
それでも無意味に尖ったその言葉を受けたくなくて離れてしまうんだけど。

私は友達と呼べる人が極めて少ない。
間口の狭い自分だけれど、誰かを好きになるチャンスだけは逃さないように、
これからもいろんなアンテナを張って生きていきたいな。

おめでとう

以前このブログにも書いた、アメリカで唯一楽しみなテレビ番組のホスト、Ellen Degeneres。
つい先日カリフォルニア州最高裁で同性婚が認められ、ついに彼女も結婚するそうです。
観客席にいるポーシャも嬉しそうで、見ていてこっちまで幸せになりますね。
Ellenはもう50歳らしいですが、なんとも年齢を感じさせない素敵な人だなぁ。
どうぞお幸せに。

お隣さん

2週間くらい前、暑い日が続いて、夜寝る前に窓を開けていたら、
すぐ近くにでっかい黒い物体が・・・。

鳩です。このまま眠っていて微動だにしない。
鳥は立ったまま寝るって聞いたことはあったけど、見たのは初めてでした。
いっつもそこで寝ているらしく、後ろが糞だらけなのはご愛嬌。
旦那と初めて見る「立ったまま眠る鳩」に興奮して写真撮影。
暗くってよくとれなくて、一眼レフまで出してきてなんとか撮影できました。

それからも毎晩気になって、布団敷くついでに窓の外をのぞく。
そしたら1週間くらい前から姿が見えなくて、連日いないので、
なんだか心配になってきてしまう自分。
きっと彼女(か彼)のところにいるんだよ、と旦那に励まされつつ
毎晩気にしてのぞいていたら、熱にうなされ朦朧としていた一昨日の夜、
窓の外に懐かしいその姿を発見。
お帰り〜と心の中で声をかけながら、なんだか少し元気になったのでした。

模様替え

久しぶりの予定のない日曜日。
San Carlosで旦那おすすめのイタリアンを食べた後、
引っ越してからずっとやりたかったカーテンを作ろう!
ということで久しぶりのJoanneへ。

我が家のテラスに出るドアは、ブラインドがついているんだけど
扉を開けてしまうと網戸も何もない。
せっかく南向きだし、風も通したいので、
窓開けたときに虫除けになるものをってことでレースを購入。
ついでにカーテン吊るす用に工作用の細長い木の棒を買って、
帰ってからレースを切ってそれに縫い付け。

作業時間1時間弱。お値段$20ちょっとで、カーテンの完成〜!

最初は真ん中を切って暖簾みたくしようかと思っていたのだけど、
旦那がこのままの方がきれいって言うし、
私もまっすぐに切れ目を入れる自信がないので(苦笑)そのままで放置。
適当に入れたドレープもそれなりにカーテンっぽくて大満足なり。

母が、カーテンは窓の大きさに関係なく、床までの長さがあった方が
部屋がすっきりして見えるといっていたんだけど、なるほど納得。
それにしてもやっぱCraftsは楽しいなぁと実感した日曜日でした。

『 祝婚歌 』

元ご近所さんのcoreさんのブログで紹介されていた詩。
この詩に関しては著作権を問わないと著者が明言しているそうなので、全文掲載。
私には耳の痛い詩でもある。
はいそうですかとあらためることも出来ないけれど、
せめて時々は自分に読み聞かせたい。

『 祝婚歌 』  吉野 弘

    二人が睦まじくいるためには
    愚かでいるほうがいい
    立派すぎないほうがいい
    立派すぎることは
    長持ちしないことだと気付いているほうがいい
    完璧をめざさないほうがいい
    完璧なんて不自然なことだと
    うそぶいているほうがいい
    二人のうちどちらかが
    ふざけているほうがいい
    ずっこけているほうがいい
    互いに非難することがあっても
    非難できる資格が自分にあったかどうか
    あとで
    疑わしくなるほうがいい
    正しいことを言うときは
    少しひかえめにするほうがいい
    正しいことを言うときは
    相手を傷つけやすいものだと
    気付いているほうがいい
    立派でありたいとか
    正しくありたいとかいう
    無理な緊張には
    色目を使わず
    ゆったり ゆたかに
    光を浴びているほうがいい
    健康で 風に吹かれながら
    生きていることのなつかしさに
    ふと 胸が熱くなる
    そんな日があってもいい
    そして
    なぜ胸が熱くなるのか
    黙っていても
    二人にはわかるのであってほしい

       『贈る歌』(吉野 弘著,花神社)より「祝婚歌」全文を転載.

ハンドミル

フランスに行ってもチュニジアに行っても、原産国のブラジルに行ってさえも、手挽きのコーヒーミルを見つけることはなかなか難しい。日本ほど、「豆を買ってきて自分で挽く」っていうのが浸透している国は他にないように思います。

アメリカももちろん例に漏れず、店頭で見つけられるのは電動ミルのみ。電動は摩擦熱で香りが飛んでしまうって聞いたので、やっぱり手でやりたいなぁと思ってようやくAmazonで見つけて購入したのだけれど、おそらくは飾り用?って感じでとても使いづらいものだった。ので結局挽いてあるものを買ってくるようになってしまっていた今日この頃。

ところが週末、お気に入りのLos Altoのダウンタウンを散策していたら、なにやらオシャレなコーヒーショップを発見!これはもしやと思い入ってみると、あるじゃないですかハンドミル!しかもKalita。
kalita.jpg

お値段は日本での倍くらいだったんだけど、でもまあ何度日本に行き来しても荷物に空きがあったことがないので、これは安い投資だと思って買ってしまいました。

しかも話してみたら店員さんは日本人!ご主人がアメリカ人なんだけど、皆でかなり長く日本に住んでいたそうで、旦那さんも日本語が話せる。お店での立ち話ながら、色んなお話が出来て楽しい時間でした。

そしてそこでローストしている豆も買ってきたんですが、今日早速挽いて飲んでみたら、香りが良くって美味しかったです。これからもちょくちょくお世話になりそう。

しかもこの豆、Organic・Fair Trade・Shade Grown・Bird Friendlyな代物。最初の二つは結構良く聞くけど、うしろ二つは私は初耳。Shade Grownとは熱帯雨林を伐採してコーヒーしかない畑を作るのではなくて、木々を残して元の生態系を維持しながらコーヒー豆の栽培を行う方法らしい。Permacultureとかにはまりつつある私としては、とても興味をそそられるものです。

とまあそんなわけでEaster Sundayにも休まず美味しいコーヒーを入れてくれる素敵なお店です。
Mr. English

彼女に会った

夢で、妹犬に会った。
実家に人が集まっていて、皆が出かけてしまうんだけど、私とトトだけお留守番。
でもこれからもこうやってトトと過ごせるんだねって思って嬉しくて号泣して目が覚めた。

先日母がトトの夢を見たと言っていて、そういえばそろそろ四十九日だと言っていた。
犬に対してこういう風に書くのは飼っていない人からすれば滑稽なんだろうけど、
毎日を一緒に過ごしているという意味では人間と変わらない家族だから、本人達はいたって真剣なのだ。
四十九日って聞いたことはあるけどなんなのか良く知らなくて、色々ネットで見ていたらこんなものに行き当たった。

四十九日のもつ意味

昔の人達の知恵なんだなぁと思った。
七日ごとに様子は見に行くけれど、それ以外の日はそっとしておく。
こんなに素晴らしい配慮があるだろうか。

別れを受け入れる過程は個人的なものだし、長さもプロセスも千差万別だとは思うけど、四十九日っていうのはとりあえずの区切りみたいになっているのだろうか。
四十九日を明日に控えて(日本では今日だけど)、少なくとも私は初めて彼女と再び会うことが出来たし、母も数日前に抱きしめたらしい。
それを魂が訪ねてくれたと考えるか、自分の心が見せたと考えるかは、解釈が分かれるところだと思うけど、私としてはどっちでもいい。いなくなったことが信じられないからこそ、夢でさえ会うことが出来なかった相手が、やっと出てきてくれた。それだけで十分。自分のエゴがそれを生み出したんだとしても、構わない。

海外にいて、トトがいない生活をほとんど味わっていないせいもあって、まだ実感が湧かないというのも事実だけど、昨日の夢のように、少しずつ私の中で整理がついてきているのだろう。忘れるわけじゃなくて、ちょっとの涙とたくさんの笑顔で、いつも彼女のことを思い出せるように。