自分の気持ちほど信用ならないものはない

旦那との入籍の手続きを進めているときに、私は「国際離婚」という本を読んでいた。
旦那と入籍したすぐあとに、何かあった時の財産分与について文書で記しておきたいと頼んだ。

どちらも旦那さんはびっくりしていた。後者については少し嫌な顔もした。どうして結婚するときに、離婚するかもしれないって考えるのって。

もうすぐ遅ればせながらの結婚式をする身で、こういうことをいうのはものすごく不謹慎な気もするけど、やっぱり絶対一生離婚しませんとも、一生この人だけを愛しますとも、言えないのだ。

そうしたいと思う。旦那のことが好きだし、彼との生活は私にたくさんの幸せをくれる。これをずーっと、命が終わる時まで続けたいと思う。

だけどそうします、とはいえない。分からないのに断言したら嘘になるから。

自分の気持ちほど信用ならないものはないと思う。
思っているよりも簡単なことで、人の気持ちは180°変わってしまったりする。そしてそれはその人が弱いとかその人が悪いとかなんじゃなくて、そういうものなんだと私は思っている。なにしろ自分自身、そんな風にころっと変わって今日のここまで生きてきたわけで。

そんなわけで、夫婦になったばかりのダーリンが悲しげな顔をしてもなお、私は最初の二つをやめなかった。

こういう話をして、すんなり分かってくれる人と、断固否定する人と、綺麗に分かれる。そして自分がころっと変わってしまったことに気付いたあの日よりも前の私だったら、頑として否定しただろうとも思う。

あの頃の私や、その他否定派の人達は、私がこういうことを言うから私の気持ちに揺らぎがあるんだと判断するようだ。だけど、私が言いたいのはそういうことじゃない。

私はこれから、いつもいつも、当たり前じゃなく、その都度旦那といることを選ぶのだ。そのために努力するし、そのために選択するのだ。結婚したから当然一生一緒にいるなんて思えないからこそ、一緒にいるために努力出来るんだと私は思う。

とある掲示板で、婚約相手から「マンションの名義ははっきりしておこう」と言われ寂しがる女性の書き込みを見て、そんなことを思い出した。あっという間に1年半が経っている。そんな調子で本当のジジババになるまで一緒にいよう。

職人技

最近、ちょっと時間がある時とかに、ついついふらふら覗いてしまうのがニコニコ動画。「YouTube+2ch」とも言われたりしているらしいけど、ものにもよるけど確かにコメントが面白かったりすることもある。

そんでこの間一人で感動していたのがこのビデオ。
板さんという名の板前さんがきゅうりを色んな風に切っていく。
ただそれだけなんだけれど、職人技だなぁってうなってしまった。
普段食べてた付け合わせの野菜も、こうやって出来ていたのか。

たった一つの野菜が、切り方次第でこんなに色々に変身するなんて。
なんだか新しい命を与えられたみたいで驚いた。ま、だからこそこれからも付け合わせの野菜はちゃんと食べようと思う。

日本の万能包丁を見たフランス人に、こんな大っきいの怖くて使えないと言われたことがあるんだけど、フランスでよく使われている小さいナイフだと私は逆に力が必要で疲れてしまったりする。まあ慣れもあるとは思うのだけど、日本は食に占める野菜や魚の割合が多いからこうなのかなぁと思う。逆にフランスは肉の割合が多いから波刃ナイフなのだろうか、とか。

とにかく和食の職人技です、ご堪能あれ(会員登録必要だけど)。

【ニコニコ動画】きゅうりの変わった切り方

選挙

安倍さんが首相に就任した時、私は既に日本にいなかったので、どういう世間の波で支持率がうなぎ上りだったのかはよく分からない。ただ、アメリカで夜やっているNHKニュースを見ながら、なんてカリスマ性のない人だろうと思ったことを覚えている。小泉さんの後だったから余計そう思ったのかもしれないし、小泉さんの後でそういう意味で存在感を示せる人の方が稀なのかもしれない。良いか悪いかはという評価は別として、とにかく巨大なインパクトを与えた小泉劇場が終わった後で、今度は自分の劇場を開こうって思える人はどれだけいるんだろう。まともな感覚でいけば、「とても劇場なんてできないけど、地味にコツコツやっていこう」ってとこだと思う。そして私はてっきり安倍さんもそういう考えだと思っていた。そしたらビックリ、彼は世にも珍しい、自分の劇場を開こうとする人だった。しかも自分ならそれが可能だと信じて疑っていない。小泉さん直伝のパフォーマンスで最初のうちは支持率も高かったけど、実際の問題が生じたときに彼の限界が明らかになったんだと思う。

なんか安倍さんって学級委員長のようだと思う。責任感と権力に対する執着、そして自負。私こそがっていうのが何を語っている時でも入ってしまう人。そしてクラスの皆は実はうんざりしていたりする。それでもうまくいっているときはいいけれど、何か問題が生じたときには誰も協力してくれないのだ。でも本人はいたって真面目で、それが悲しく、そして恐ろしいことでもある。つまり安倍さんは、本気で「美しい国」を自分が実現できるって思っているんだと思う。そのために必要だと思うことは、権力を使って実行させる。

大学で政治学を専攻して、なんてくだらないんだろうって思った。結局は戦争とかお金とか権力でしかない。私には興味の持てないものだった。そして政治家になる人っていうのは、逆にそういうものに興味を持てる人なんだと思う。だからこそ(こういうと語弊があるかもしれないけど)政治家がお金のこととか権力のこととかばっかり考えているのは当たり前なのだ。そしてもっと極端にいえば、私はそれでも良いと思う。ただし、大事なのは、あくまでも国民の代表って立場を忘れずに、国民を納得させることを意識するってことだと思う。たとえ裏で何かやっていようとも、国民がこの人を選んで良かったと思えるように見せなくてはいけない。小泉さんはそれが上手だったんだと思う。

私は、大衆っていうのは自分を含めそんなに賢明なものではないと思う。だからその人達にどう見せるかっていうのは、簡単な人には簡単なことなのだ。でもそれってセンスに近いものだから、ない人にはないんだと思う。そして、それがないってことを自覚できずに突き進むから安倍政権は痛いのだ。見ていてイタいのだ。

例えば年金問題って騒がれていたけれど、ちょっと落ち着いて考えてみたら、これって安倍さんがしたことではない。だから、逆に考えれば、今まで放置されていたことが明らかになっただけで、それを安倍さんがうまく解決の指揮を執れれば、評価は上がったかもしれない。そこで「私が直してみせましょう!」って言ってしまうのが、安倍さんのセンスのなさだと思う。

ってことでつらつらと長引きましたが、選挙に行ってきました。生まれて初めての在外投票。っていっても記入するものが増えるだけで何も変わらないんだけど。手順が複雑なので、選挙管理の人もいっぱいいて、逆に投票する人は少ないので、なんかすんごい手取り足取りやってもらった感じでした。たかが1票ですが、塵も積もれば山となるってことで、結果を心待ちにしている今日です。

ジャパニーズな週末

土曜日は日中トレーニングという名の仕事があり、帰宅したのは7時近く。ようやっとの週末スタートで、無論ご飯作る元気など残っていないので、旦那のリクエストを聞いてレストランへ。どうやら旦那さんは「とんかつ」が食べたいらしいということで、ちょっと遠いけれど今までベイエリアで食べた中では一番美味しかったYoshidaまで行くことに。ちなみにこのお店はCupertinoにあります。
前回はランチだったので、それにくらべると随分値段がはりましたが、それに見合う程の味と量。とんかつなんて二枚重ねですよ。普通のとんかつが二枚来るんですよ。私はとんかつとエビの柳川風を食べたのですが、卵のだしの味付けが濃すぎなくてとても美味しかったです。ちょっとリッチなお夕飯でしたが、美味しくてお腹いっぱいででも胃もたれしなくて大満足でした。
そして日曜日は噂には聞いていたけれど行ったことなかったNijiyaへ。San MateoのNijiyaはたしかに新しくて綺麗でした。ただちょっと高めかな。日本食スーパー久しぶりだったので勢いに任せて買いまくったら、普通の買い物の倍の値段になってしまった・・・。でもまあいいんです。食こそが幸せですから。そしてお夕飯はNijiyaでお弁当を買い、Rimoでガキの使いやらウリナリやら懐かしいものを眺めながら食べました。旦那さんはコンビニ弁当を懐かしがっていました。私以上に日本人・・・。

ベイエリアは本当に和食や和食材が豊富で、下手すると日本と全く同じ生活も可能です。ちょっと値は張るけど。しかしこんなのに慣れてしまうと、今後もしフランス(しかもパリじゃなかったりしたら)に引っ越したら、和食恋しさに気が狂ってしまうかも。とんかつくらい作れるようになろうと思う今日この頃です。

ちなみにベイエリアのおすすめレストラン一覧はこちら

名前に惚れる

現実に人に会うなかで一目惚れってしたことないのですが、これがひとたびテレビとか音楽とかモノとかになると結構頻繁にある。一番最近だとEllen Degeneres。それ以外でも、もともとCDでもジャケ買い(とはもう言わない?)が多いし、本も表紙で選んでしまったりします。

と、見た目から入ることが多い私ですが、かなーり稀ですが名前に一目惚れしてしまうことがあります。そんな一人がQueen Latifah。Queen Latifahですよ、この名前。かっこいい・・・。この名前を初めて見たのは、確か映画”Chicago”のエンディング。映画自体も面白かったんだけれど、そのロールのなかにこの名前を見つけたときには、なんだかもう衝撃を受けてしまったのを覚えています。それ以降、本人の雰囲気、歌ももちろんなんだけれど、何よりも名前に魅かれてしまって、なにかとチェックしてしまうのです。

最近ではエマトンプソンが主演だからってふらっと見に行った映画”Stranger than Fiction”に彼女が出ていて、更に勝手に運命を感じ、今日も久々のお休みでテレビをぼーっと眺めていたら”Tyra”のゲストが彼女だった!どうやら”Life Support”という最新映画に主演しているようです。これは見なければ。

一目惚れ(名前を含め)した後って、ハマっていくか勘違いだったとなるか、両極端に分かれるわけですが、
そういう意味ではQueen Latifahは俄然前者。やっぱり本人が相当魅力的なんだろうな。Ellenは惚れてしまう感じですが、Queen Latifahはなんなんだろう、母性愛を感じさせるような、そんな魅力を感じます。

と、女に惚れた話をしても勘違いされるだけですが、今日もテレビでみかけたら、やっぱり記しておこうと思ったので書きました。

ちなみに”Stranger than Fiction”は「主人公は僕だった」という邦題で日本で公開中のようです。エマトンプソンにダスティンホフマン、さらにウィルファレルとQueen Latifahを除いてもかなりの豪華キャストですが、映画としても見終わってから幸せになれる良い映画です。心身ともに不健康な女流作家を演じるエマトンプソンの演技に脱帽。

オタク天国

初めての6日連続勤務後、遅めのランチに出かけるときにポストをチェックしたら、やっとやっとで運転免許が届いた!!!実技に合格したのは3/30なので、実質3ヶ月近く。途中で日本に帰ったりしてI-94が変わってしまったので、それを報告しに行った日から数えるとちょうど1ヶ月でした。早いのか遅いのか、不明。早くはないか。でもこれからステータスが変わったりするとまた面倒くさそうだなぁと思っていたので、これで一安心です。

んでその後そのままお昼を食べに行き、ブラブラ買い物をしての帰り道。いつもは通らない道を通ると旦那が叫んだ!ビックリして何事かと思ったら、今まで気付かなかったんだけど、線路沿いのちょっと寂れた店が並んでいる中に”Museum of PEZ”なるものが。

PEZって皆さん知ってます?バンドじゃなくてお菓子のPEZ。

pez.jpg

とりあえずそこではハローキティーのPEZもあったので、日本でも売られていると思います。そういえば昔食べたような気もしなくもない・・・かな。

んでそんなミュージアムがあることもビックリなんだけど、もっとビックリなのはそこが混んでたこと・笑。
狭い店内なのに私たちも含めて8人ぐらい人がいて、しかも皆出る気無しって感じであれ見てこれ見て館長(?)と話にふけっている。ま、比較的年配の人が多かったけどね。

日本でも妙な博物館ってあるみたいだけど、ここシリコンバレーも多いです。というか私が思うにここは、世界中で唯一、オタクであることがかっこよくてかつその社会的ステータスが高い街なんだと思う。そんなことも手伝ってだと思うんだけど、こういうオタクとしかいえない博物館が結構ある。私は行ったことないけど、旦那さんの会社の近くには”Lock Museum”があって、ただただ色々な鍵が展示されているのだとか。”Computer Museum”は有名だけれど、それでも中身はかなりオタクっぽいらしい。これも私は行ってないけど。

ものすごく何かに熱中している人に、アメリカっていう国は日本より温かいと思う。それでもやっぱりこのエリアはちょっと普通じゃないと思うけどね。今日の館長(?)さんも、他のお客さんに聞かれて超誇らしげに「ここが世界で唯一のPEZ博物館だよ!」って答えていました。

多分彼も、鍵博物館の人も、コンピューター博物館の人も(この人は確実に)それで食べているわけじゃなくて、本職は別にあったり、もう引退したりしているんだと思うけど、趣味というのかなんというのか、仕事じゃないものへの情熱をそこまで形にできてしまうってすごいパワーだよなぁと思う。

ここで出会う人の多くがそうなんだけど、あるいはエンジニアがなのかもしれないけど、中身が子供っぽい人が多い。悪い意味ではなくていい意味で。子供のような好奇心とかを持っている。真剣に遊ぶ。皆じゃないけど、そういう人に会う確率が日本にいた時より凄く高くなっていると思う。それはこの気候とこの産業とが生み出すオタク天国のおかげなんだろうか。あるいはそういう人達が集まってくるからここがこうなっているんだろうか。よく分からないけど、とりあえずうちの旦那には素晴らしすぎる場所だと思う今日この頃。

Macでdocx

拡張子を変えるってあり得ないと思う。

噂には聞いていたけど縁がないと油断していたら、先日友達からの添付ファイルがdocxだった。しかもちょっと急ぎの用だったので慌てて対策を探す。

とりあえず使っていたNeoOffice1.2では対応できず、ネットで調べると最新版の2.1ならdocxにも対応できるらしい!なんて素晴らしいの、NeoOffice。と思ってダウンロードを開始したんだけれど、ネットワーク環境のせいか、ファイルが大きいからか、ダウンロードに一時間以上かかるってことで、急ぎの用には使えず・・・。

結局はDOCX Convert Officeというサイトでコンバートしてそれをプリントアウトして持って行きました。しかしこれもすぐに削除しないとファイルが残ってしまうのでちょっと嫌。デスクトップコンバーターも試してみたけど、どうしてもDashboardにドロップできなかった・・・。ということで緊急用には役立ったけど、今後は他のソリューションを探したいところ。

急用は無事に済み、帰宅後バージョンアップしたNeoOfficeでdocxを開けてみるも、レイアウトだけでなくいくつかの文字が消えてしまっていたりしました。う〜ん、概要確認なら使えるけど、人には渡せないなぁ。

そんなわけでNeoOfficeのさらなるバージョンアップを期待しつつ、噂ではOpenOfficeのMac版が既にβらしいので、ある程度バグが落ち着いたら使ってみようかと思います。

あ、でも新しいNeoOfficeもアイコンとかがよりMacらしくなってかわいいです。まだ使ってないけど・・・。

とりあえずdocx対策、またいい方法見つけたら報告します。

アメリカ考察ー合理主義ー

大学生になってフランスに行くまで、私にとって「外国=アメリカ」だった。そしてそれは「外国は進んでいる」とか「外国人は声が大きい」とか「外国人はフレンドリー」っていう、私の中の外国のイメージの元になっていた。

ところがいざフランスに行ってみると、考えていた以上にフランス人は日本人ぽかった。声は大きくなかったし、皆すごくシャイだったし、ずかずか入り込んでこなかったし、何よりフランスっていう国は、本当に先進国かい?って思うくらいにい、色んなものがアナログで非合理的だった。

フランスに行ったことで、私の考えはガラッと変わって、要するにアメリカがかなり特殊なのだという結論に至った。

その後なぜかその特殊な国に住むことになったわけだけど、本当に色んな意味で特殊だ。そしてそれを生み出す一つの要因が合理主義だと考えるようになった。

アメリカの建国って、例えば東京の人達が自然がいいっていって、キャンプ場だった所に家を建てちゃったって感じがするのだ。もちろんピルグリムファーザーズとか歴史的に色んな要因があったのは百も承知なんだけれど、今この国にいて感じる違和感はそんな感じなのだ。

当然東京の人は何が必要で何が便利かもう知っていたから、一番合理的に家を建て、必要なだけスーパーを作り、交通も考えて道も広く造る。そしてできあがった元キャンプ場の街は、すごく合理的で近代的だけど、自然の中にあるのだ。

おそらく東海岸は100年くらい歴史が長いので、また全然雰囲気が違うと思うのだけど、たった100〜200年の間に出来た西海岸エリアは、本当にそんな感じなのだ。私が住んでいる町はなんと来年で生誕100年記念らしい。それでもこのエリアでは随分古い街なんだけれどね。

逆になぜアメリカ以外でこんなに合理主義がまかり通らないのかって言うのを考えると、特に都市という意味では、自然環境による制限や、文明の発達によるものだろうと思う。例えば日本だったらあちらこちらにちょこっとある平野や盆地に住むしかなかったとか、車がない頃はもちろん大きな道を作る必要もないわけだし。あるいは、歴史的には城下町だったから塀があったり堀があったりする。要はやっぱ歴史があるから、今現在の文明において一番合理的なものをポンって作れないわけだ。だって、そこにはもう街があるから。だけどアメリカは、何もない所に作ったから、出来る限り最先端で合理的で便利なものを作ることが出来たんだと思う。

連綿と続いてきた社会があって街があって、そこに新しい世代が少しずつ新しい息吹を吹き込むっていうのが、ヨーロッパの流れだと思うんだけど、アメリカは元がない分、目的に合わせていくらでもドラスティックに変化できるのだろう。そしてこの、今あるものからどうやって目的に近づくかというよりも、目的があるからそのための方法をゼロから考えて実行する(ある意味過去との連続性は意味を持たない)っていうのは、すごくアメリカ人のメンタリティーを表していると思う。

歴史や文化の足枷がないこと、そして合理的に作られているからこその豊かさ、そういうものが重なって、アメリカのパワーを生み出しているのではないだろうか。そしてそのエネルギーが大きすぎるからこそ、アメリカという国は振り子のように右にも左にも、ものすごく大きく揺れてしまう。個人のレベルで言えば、色んなことにヒステリックだし、極端だ。そしてこの極端さが、私は嫌いだ。白か黒かしか選べない感じ。

日本はアメリカの10年遅れとかってよく言うけれど、社会の向かっていく方向が合理化の方向である以上、アメリカが先をいっているのは当たり前のことだと思う。そしてこういう流れがどんどん進んでいけば、地域差はどんどん少なくなって、どこの国でもどこの都市でも同じように便利で合理的な生活が出来るようになるのだろう。そういうことを考えていると、不便さっていうのも少し愛おしく思える。

アメリカ考察ー人の間の距離ー

ここ数ヶ月ずっと、アメリカについて考えている。
昔からそうだけど、私はアメリカが大好きで、大嫌いだ。

アメリカの中にいると、凄く楽だ。この国は誰でも受け入れてしまう。国籍が何でも肌の色が何でも、どんな言葉を喋っていようとも。
ここには、いてはいけない人なんていないのだ。

旅行者として度々アメリカを訪れていたころ、それはとてつもなく心地いいことだった。でもいざ住んでみると、適合していく先を見いだせない寂しさもある。

「あなたはあなたでいいのです。アメリカに来たからって英語を喋らなくちゃいけないとか、アメリカ式の暮らしをしなくちゃいけないなんて事はありませんよ。あなたの好きなように、自由に過ごしてください。」

なんだか、そんな風に言われているように感じる。そしてそれは、すごく楽だけど、同時に詰まらないと私は思う。

「あなたはあなたでいい」というのは、自由を認めているともとれるけれど、同時に興味が無いということでもある。隣の人が何の言葉を喋っていても、何を食べ、何を着て生活していても、別にいいのだ。自分は自分で、あなたはあなただから。そしてそういう距離を持っているからこそ、誰とでも仲良く出来る。

例えば、アメリカでは外を歩いていれば、すぐ人に話しかけられる。道を聞かれるのなら驚かないけれど、私が一番驚いたのは、通りすがりのおばさんに「そのスカート素敵ね」と言われたこと。道を聞くんだったら日本でもあるけど、さすがに「そのスカート素敵ね」とか、突然話しかけることは日本ではないと思う。

「そのスカート素敵ね」と言われて、ただ「ありがとう」で終わることもあれば、こちらの返答次第では会話が始まることもある(まず私はしないけど)。でも肝心なのは「そのスカート素敵ね」って言葉の意味、重さ。多分ほんとに「あら素敵」って思ったからそういっただけなのだ。それ以上でもそれ以下でもない。だから、「ありがとう」で終わっても、会話に発展しても、言った方も言われた方もどっちでもいい。

そういうコミュニケーションが好きな人もいるし、そういう人にとってアメリカって過ごしやすいんだと思う。逆に私は苦手。いや、正確には別に構わないんだけど、どうでもいい会話に意味を見いだせないといってこと。

文化とか言語とかに強い興味があるからかもしれないけど、たとえ最初はよそ者であっても、少しずつその文化を学び、とけ込んでいく過程が私は好きだ。それがアメリカには無い。っていっても、いざフランスに住んだらそのよそ者具合に悩まされることになるのかもしれないけど。

どちらがいいとかってことではなくて、正反対だということが言いたいだけ。そして私は土着の文化がある方が好きなのだ。

家族のカタチ

*ここ数日、サーバーの移動に伴い、アクセスできなかったり表示がおかしくなったりしていたようです。すみません。が、昨夜旦那が3時間かけて直してくれたのでもう大丈夫。頼りっきりで何も把握できていないのですが、ありがとう☆

すっかり更新頻度が落ち着いてしまっていますが、それなりにイベント続きの今日この頃です。

昨日までは、お義父さんとその彼女が来ていました。2週間程。
週末でこそ皆でヨセミテとか行ったけど、平日も自分たちでハーレー借りてサンタクルーズまで行ったりしてしまう、パワフル&アクティブなカップルでした。

周りに説明するときに、「旦那の両親」とも言えず、「旦那のお父さんとその彼女」と言うわけですが、それに対する反応がまたそれぞれ違って面白かった。

ただ「そっかぁ」という人や、言葉に困ってから「なんか複雑ですね」という人とか。

一方でお義母さんは一人のままなのですが、その事情を知っている女性は激怒したりしていました。
彼女曰く「自分が一人でいる間に元彼や元旦那が新しい恋人を作って幸せになって、しかも息子夫婦の所に遊びにいくなんて耐えられない!」というもの。怒るかどうかは別として、そりゃ辛い、というか寂しいだろうとは思います。

私はお義父さんもお義母さんも大好きだから、二人がまだ一緒にいてくれたらどんなにいいだろうって思うけど、こうなってしまっている以上は仮定の話でしかない。そしてこうなってしまった以上は、それぞれ別々の場所ではあっても、どちらも幸せでいて欲しいと思うのだけど、こうやってお義父さんの幸せを見ているときに、少し心が痛むのも事実だったりします。

っていってもこれは血のつながってない赤の他人である私だからそう感じるだけなのかもしれないし、家族である旦那はもっと別の感情を持っているんだろうと思う。というかもっと複雑で、こんがらがっていて、矛盾したりしているのかもしれない。あるいは、もう納得しているのかもしれない。

私が旦那さんと知り合った時にはもう二人は別れてしまっていたので、どういういきさつでとかっていうのは詳しく知らないけど、どちらかが浮気したとかDVとか借金とかそういう理由ではなかったので、そういう意味でも誰も悪くないんだと思う。そして誰も悪くないからこそ、ただ家族であったものがそうでなくなってしまうという寂しさが、極めて純粋にそこにある。

なんとなく人の死と似ている気がする。もうなくなってしまったもの。とても大切だけれど、なくなったという事実に慣れていくしかないもの。受け入れるしかないもの。

離婚の理由なんて千差万別だし、自分だっていつの日かそういう結果に至るかもしれない。だけど、なるべくならそういう「なくす」体験を自分も、自分の大切な人達にもしないでもらいたいし、そのためには家族でいるために努力を惜しまないということしかできないんだろう。といっても私はまだ子供もいないし、まだ家族というスタートラインにも立っていないのかもしれないけどね。